6 決行
それから三日が経った。いや、一週間が経った。どっちだっていいや。とにかく時間がある程度経った。その間、誰もやってこなかった。何も起こらなかった。部屋は落ち着いたままだった。
「誰も来ないね」
僕が言うと「ああ」と弟は言った。弟はこっちを見て、禁じられたドアの話をさせまいと警戒しているようだった。僕もそれを感じて、言わなかった。
だけどそうずっと我慢しているわけにもいかなかった。いつかはどこかに出て行かなきゃならない。以前、寝る前は、僕らは確かに今よりも小さい部屋に生きていたけれど、その時にはやる事があったし、他の人との接触もあった。ものすごく朧気なイメージだけど。弟以外の人とも会った。一緒に暮らしていた人以外(年上の二人以外)の人とも会って話した気がする。部屋のドアを伝って、他の人が生活している部屋へも行った気がする。つまり、自分以外の人が住んでいる部屋へ出かけていった。僕はそれを途中で思い出した。弟に話したら「そうだっけ?」と言っていたけど。
とにかく、もう僕は我慢ならない。あのドアを開けて、この部屋とは違う所に行きたい。誰か、僕ら以外の人に会いたいし、僕らがなぜこうなったのかもしりたい。でも弟はそれをさせまいとしている。僕は段々弟が憎くなってきたけど、弟もそれを感じたのか、僕をぞんざいに扱い出した。
まあそれはいい。とにかく僕はドアの向こうに出たい。ドアの向こうへ! それで、僕は夜、寝ている時に、こっそりあのドアの所に行く事にした。僕らは弟の部屋で並んで寝る。だけど弟が熟睡したら、あそこへ行こう。僕はそう決意した。いくらなんでももう限界だったから。
※
僕らはいつものように退屈な、長い時間を過ごしてから、部屋の真ん中で毛布をかぶって寝た。部屋の明かりはいつも一定で、明かりは消せない。
僕は寝る前に、事前に準備をしておいた。三つ目の部屋に通じるドアを開けておいたのだ。弟は「あそこ閉めようよ」と寝る前に言ったけれど、僕が「あの方がいい。風通りがいい気がするんだ」と妙な理屈を立ててなんとか言い分を通した。弟は首をかしげていたけど、「まあいいよ」とだけ言った。
後は、弟が眠るのを待った。僕は寝たふりをして、目をつむってじっとしていた。弟は隣で何度かもそもそと動いていた。
僕は考えていた。あのドアの向こうには何があるんだろう、と。正直、その先に危険があっても別に良かった。どうなってもかまわない気持ちだった。僕はあの先へ行きたかった。あの先…何があるんだろう? ほんとに?
考えていると時間が経った。弟の寝息がスースー聞こえてきた。…僕は静かに、静かに起き上がった。
※
忍び足で歩いた。音を立てずに、開いているドアの横を抜ける。三つ目の部屋に入り、開けてはいけないドアに向かった。僕は息を殺していた。わくわくしていた。何か、とても愉しみで、自分の中から何かが湧き上がってくるのを感じた。だけどそれは同時に虚しいものだという気も何故かしていた。僕はドアの前にたどり着いた。
ドアを改めて見る。相変わらず書いてある。「絶対に開けるな!」 その下には取っ手がついている。取っ手は、当然開ける為のものだ。どうして取っ手がついているのに、開けてはいけないんだろう? 開けてはいけない、というのならその理由も書いていて欲しい、と思った。理由くらい書いとけよ! わけもなく怒ると、取っ手に手をかけた。横に引っ張る。その時のわくわくした気持ち、とても言葉に表せない。
思い切り引っ張った。けれど、ドアはびくともしない。一度。二度。三度。体から汗が出てきた。思い切りもう一度引っ張るが、全然開かない。(なんだよ、これもしかして開かないようになってるのか?) 苛立った。深呼吸して、息を整えて、もう一度取っ手に手をかけた。その瞬間、肩に何かが触れた。僕は驚いて、飛び跳ねた! 素早く後ろを向くと、そこには………弟がいた。
弟は薄い笑みを浮かべていた。
「な、なんだよ」
僕は言った。完全に狼狽状態だった。
「なんだよ…なんだよ…別に…これは…その…あの…」
言葉にならなかった。心底驚いていた。弟は近づいてきて、肩に手をポンと置いた。今度は、正面から。
「兄さん」
弟は諭すような口調だった。
「兄さん、兄さんはやると思ってたよ。必ずやると思ってた。僕ね…思い出したんだ」
弟は手を外した。弟は僕の目をじっと見た。どっちが兄かわからなかった。
「さっき兄さんのあとをつけてる時ね、思い出したんだよ。兄さんが足音を殺して歩いているのを僕は知ってて、視界に入らないようにこっそりついてきた。今さっきね。この部屋に入ったのは兄さんがこのドアに手をかけてからだけど…見つからないように、後から入ってきたんだ。振り向かれたら見つかるから。僕も慎重だった。…とにかくね、僕は思い出したんだ。前にもこんな事があったな、って。あとをつけていて思い出した。兄さんはこんな風にして一人でどこかに行ってしまって、行こうとして、僕が止めようと思ってあとを追いかけた。僕はその時、転んで…ここの膝の青い所はその時にできたと思うんだけど…前にもあったんだよ。こういう事が。僕は思い出した。以前にもこんな事があったんだって。でもそれがどこかはわからない。いつかもはっきりとはわからない。ただ子供の頃、二人共、もっと小さい時にあったんだ。こういう事が」
僕は弟の言葉を理解しようと必死だった。変にならないだけで精一杯というところだった。
「兄さんはやると思ってたよ。このドアを開けて、出て行くってね。そんな予感がうっすらしてた。このドアを見つけた瞬間からそういう気がしてたんだ。兄さんが機会を伺っているのも感じてた。でもね……僕ももう止めないよ。もう、いいんだ。何故か、理由は自分でもわからないけど、兄さんが本当にそれを選ぶなら、それでいいやって気がするんだ。僕ももしかしたら本気で兄さんを止めてたわけではないかもしれないね…。だけどさ、兄さん。せっかくだから、僕も一緒に見させてよ。ドアの向こう。もうとやかく言わないから。もう何も言わないから」
弟はいつになく達観したような表情だった。僕は、何を言えばいいのかわからなかった。「それはいいけど…」と言って口ごもってしまった。弟は、僕を押しのけてドアの前に立った。
「それから、このドアはさ…ほらここに出っ張りがあるだろ。それを押したら、開くと思うんだ。…兄さんは鈍くさいから。最初にドアを見つけた時に僕はこれを見つけていたよ」
そう言って、弟はドアの取っ手についた出っ張りを押して、押したままドアを引っ張た。すると、スルスルとドアは開いた。僕は驚いていた。
「ほら、開いたよ」
弟はそう言っていとも簡単に開けてしまった。「絶対に開けてはいけないドア」を。ドアは開いた。その向こうには光の洪水があった。そんな光は今まで見た事がなかった。僕と弟は圧倒された。それは名状しがたいものだった。なにせそんなものは、生まれてこの方、一度も見た事がなかったからだ。風もすごかった。向こうから風がゴウッと入ってきた。温かい、とても温かい風だった! そんなに強い風があるだなんて思わなかった。僕らはドアを開けた時、向こう側に危険があるかもしれないというのを忘れていた。ただただ風と光に圧倒されていた。