5 決意
僕らはそうして二日ほど、そこで暮らした。退屈だった。
やる事と言えば特にない。ただ缶を食べてゴロゴロするだけの事。たまに運動部屋で体を動かしたりしたけれど、それも大して時間を使うわけじゃない。
ゴロゴロする内に僕の方が気づいたのだけど、部屋には「文字」に当たるものがほとんどなかった。唯一あったのは、ドアの『絶対に開けるな!』だけ。それを弟に話すと「そういや、そうだね」と言った。それで、僕らはひとしきり、文字の話をした。
僕らは文字がある生活を以前はしていた。弟が思い出したけれど、束ねられた紙に文字を沢山書きつけたものがあって、それを読めば色々な事がわかったらしい。僕も言われたら、そんなものがあった気がした。それがどういう風に役に立ったかはわからなかったけれど。『色々な事がわかった』って、何がわかったんだろう?
時間はいくらでもあったし、鉛筆と紙もあったから、僕らはそれを使って文字を思い出してみる事にした。僕らは思いつく限りの文字を並べていった。全部で23個出てきた。
「23?」
僕は言った。「これで全部かな?」 紙を前に頭をひねった。弟は「まだあった気がする」と言ったけれど、後何個あったのか思い出せなかった。僕らは字を思い出し終えると、単語を思い出す遊びをしてみた。それから文を作る遊びも。そうしていると少しは気が紛れた。
そうそう、言い忘れるといけないから言っておくと、僕が忘れずにしようとした話、弟に「前に部屋の外に行った事がある?」と聞いた件だけど、弟は全然覚えていなかった。「部屋の外なんてあるわけないだろ」と弟は冷淡だった。僕はがっくりきた。
※
僕は退屈だった。弟は楽観的だった。「きっとどうにかなるさ」 弟は言った。「その内、誰か来てくれるよ。それまで待っていればいいさ」 僕は弟の姿勢に疑問だった。弟は僕の顔を見ると「兄さんは考えすぎだよ」と言った。「昔からいつもそうさ」 それで僕は黙った。
僕は…黙った。
二人で缶を食べた後、僕は聞いてみた。「なあ」 弟は顔を少し上げた。
「なあ、その、あのドアさ……」
「ああ、それを言うと思ってた!!」
弟は大きな声を出した。僕の声を打ち消すように。僕は黙った。
「兄さん! あそこだろ! あのドアを開けたいっていうんだろ! 開けてはいけないっていうドアを! だけど、だめだよ。あそこは開けられない。そんな、何の責任もない事をやらせるわけにはいかない。僕は兄さんにはそれは許さないよ。それだけは許さない」
僕は頬をポリポリ掻いた。(まだ何も言っていないんだけどな…)と心の中でつぶやいたが、弟の言う通りだったのでやっぱり黙るしかなかった。
※
ある時、弟に尋ねた。「なあ、前の事で覚えてる事ない?」 弟は「それはもう言ったろ」と言ったけど、僕は食い下がった。
「そうじゃない。そうじゃなくて、そもそも僕らはどこで住んでたのか、どうしてここで目を覚ましたのか、それをもっと知りたいんだよ。だから記憶合わせをしよう」
「記憶合わせ?」
「そうさ。僕らの記憶があっているかどうか。あっていたら、それは確かに存在した事実だ。僕は…知りたいんだよ」
弟はうつむいていた。弟は「僕は別に知りたくない」とボソッと言った。
それでも弟は、僕の遊びに付き合ってくれた。僕らはそれぞれ思い出せる事を言い合った。
そこでわかったのは…いや、わかった事はほとんどなかった。はっきりしたのは僕らが生活していたのが今よりももっと狭くみすぼらしい部屋の中で、そこで誰か(多分二人)と一緒だった。その頃には何かする事があって、それをすると、疲れて夜はぐっすり眠れるという事だった。弟は「腕が疲れる事をやったよ」と言った。彼は腕まくりをして、「ほら、それがこの痕だ」と腕を見せてきた。確かに、弟の腕は全体的に赤っぽくなっていたが、それがその事によるものかどうかははっきりとわからなかった。僕はその記憶ははっきりしていなかったので「そうか」と言った。
結局、二人がいくら話し合っても、どうしてここで目覚めたのかはわからなかった。
「みんなどこに行ったんだろう?」
僕は言った。
「どうして僕らだけがここに残されたんだろう?」
僕は言った。弟は、首を横に振って「考えても無駄だよ、兄さん」と言った。
「兄さん、無駄だよ。とにかく僕らはここで目が覚めたんだ。だからここで生活していかなきゃならないんだ。そうだろ?」
弟は僕の目をじっと見た。その目は以前にも、随分以前にも見た気がした。僕は黙っていた。しかし心の中ではドアのイメージが浮かんでいた。(あそこを開ければ…) だけど僕はそれを言わなかった。
「そうだね」
と僕は言った。