十七歳・残された日々(5)私は彼を愛している
六月某日の昼休み。
廊下側の自分の席で、教室後方の黒板に解いてある四時限目の数学の解答をノートに写している時だった。
「神崎さん」
私を呼ぶ声がして、顔を上げた。
その時。
私は心臓が止まるかと思うほど、びっくりしてしまった。
声の主は紛れもなく「彼」だったから。
「何か用事?」
それでも、廊下側の窓越しに立っている彼に向かって素知らぬ風に私は尋ねた。
「頼みあるんだ」
「頼みって、私に?」
「英語のノート、コピーさせて欲しいんだけどね」
彼はいつもと変わらない声をして、私に言った。
「試験近いだろ。俺、普段やってなくて、授業もろくに聴いてなかったし困ってんだ。二組だったら英語、かなり先行ってんだろ? どうせコピーするならその方が何かと助かるし、さ」
「私のノートで予習さぼろーってわけね。呆れた」
そう言いながらも、私は鞄からノートを取り出していた。
「あ、英Ⅱと読解だけじゃなくて。英作文もいいかな」
「今日は授業ないのよ。明日持ってきてあげる」
「悪いね」
そう言いながら彼は、パラパラとノートに目を通している。
「さすがだねえ。赤で細かく書き込んで、ノート整理もカンペキじゃん」
「エーゴが出来ないことには話にならないもの、私はね」
「やっぱ有名私大受けんの?」
「ううん。……国立一本」
「やるなあ。落ちたらどうすんの」
「浪人するしかないでしょうね」
軽く首をすくめてみせる。
「ま、神崎だったらダイジョーブだよな」
と、彼は笑った。
「ともかく助かった。明日返しに来るからさ」
「忘れないでね」
「わかった」
そう呟いて、
「……あ。神崎」
「え?」
彼は、手にしていたモノを私の前に提示した。
「これ、久磨予備の夏季講習のパンフ」
「久磨予備校?」
「そう。ここ、特待制度があって、A判定なら全額免除。B判定なら半額負担だから、受けてみろよ」
「えー、でも難しいでしょう」
突然の彼の話にはビックリする。
「神崎なら大丈夫だって」
「でも……」
「ま、軽い腕試しにはいいんじゃないか」
「……そうね。落ちても、夏休みはどこか予備校に通うつもりだったし。ここにするわ」
「そうしろよ。俺もここ行くし」
そう言うと、彼は笑んだ。
守屋君。
何故、私にそんな話を勧めてくれるの……?
そんな疑問符を浮かべる私に、
「サンキュ」
と一言を残し、彼は私のノートを小脇に抱えて今度こそ隣の教室へと消えた。
守屋君……。
気付かれているのか。
それとも単なる彼一流の気紛れなのか。
彼の本心がわからない。
どうして。
私に……。
思考がぐちゃぐちゃに混乱していく。
ああ。
けれど。
知っている。わかっている。
私は彼を愛している─────
私はいつまでも彼が立っていた廊下の窓際を見つめていた。