青空を願う
なんとなく恋愛ものを絡まない話を書きたいな〜と思ったのと、
長いこと書いてみたいなぁ〜と思ってた"共感覚"、"反抗期、思春期特有のくすぶり"みたいなのを合わせて書いた作品です。
俺は、幼馴染の絵を見るたび、コイツの世界はどうなっているのだろうといつも思う。
"今日の空き地"。
そんな面白みのないタイトルをつけられた絵は、空は淡い黄色で、雲は紫だ。
葉の色は俺の知る緑から黄緑と些細な変化だが、それを支える幹や枝は茶と水色と緑が混ざる。
花の色は細かな色を使い分け、なんとも鮮やか…
ピンクの花は、全く違った色が組み合わされ、絶妙な"紅"に彩られる。
前に『人間は何色なんだ?』と聞いたら、
『人間は複雑すぎて描けるわけないだろ?』と平然と言われた。
晴輝には、俺に見えない世界が見えている。
"共感覚"と言われるものの一種ならしい。
晴輝にはその目に見える一部の刺激が、色を持って見えている。
俺が晴輝のそれに気がついたのは、まだまだ記憶が朧気な小さい頃。
幼稚園の帰りに、よく商店街の八百屋に両親と寄っていた俺たちは、そこでその日のおやつに果物を買うのが定番となっていた。
『大ちゃん…それ黒いから、こっち。』
よくわからないが、いつも晴輝はそう言って果物の中から何かを見分け、俺もそれを疑うことなく買ってもらっていた。
それが果物の"鮮度"を見ていたと気がついたのは、母が何気なくスーパーで買ってきたリンゴだった。
『ねぇ…これ、味違う。美味しくない。』
『えっ?なに言ってるの?アンタの好きなリンゴでしょ?』
母はそう言って俺の言葉を取り合ってくれなかったが、何故か俺には確信があった。
"晴輝が選ぶものが1番美味しい"と。
自然とそれ以来、晴輝の選ぶ果物しか俺は食べなくなった。
そんな日常が俺の中で当たり前になった頃…
晴輝は、共感覚と診断された。
「…大ちゃん、悩み事?」
ぼーっとしてれば空気に溶けてなくなってしまいそうな、そんな耳に優しいテノール。
晴輝はこちらに振り返らないまま、俺に声を掛けた。
きっと、だいぶ前から俺が美術室に入ってきたのに気がついていたのだろう。
校舎の端に置き去りにされたようなこの部屋には、馴染みのない絵の具の匂いに満ちている。
「…わかるか?」
「そんな悶々とした紫を漂わせてたらね…」
俺の問いに晴輝クスクスと笑うと、そこでようやくこちらを振り返った。
黒より明らかに色素の薄い、亜麻色の瞳が俺のことを困ったように見つめている。
晴輝の共感覚は主に、有機物の状態に対して色が見える。
特に、人間の場合はその人の健康状態だけでなく、感情も見えてしまうからとても不便だ。
「悪い…」
「別に、紫でも藤色だったから。そんな影響受けるほどじゃないよ。」
気まずそうに視線を逸らせば、そんな独特な言い回しで晴輝は俺を慰める。
感情の色は人によって個体差はあるが、強い感情ははっきりとした色、弱い感情は淡い色、正の感情なら明るく、負の感情なら暗くなる規則性がある。
そして、時として負の感情は、晴輝の視覚のみならず、精神にもダメージを与える毒となってしまう。
「それで?珍しく何を悩んでるんだい?」
答えられなかった。
たぶんここは嘘をつくのが正しい。
だけど、晴輝に嘘はバレてしまう。
でも、だからと言って真実をそのまま話し、言葉で晴輝を傷つけたくもない。
ただでさえコイツは、もう十分すぎるくらい傷つけられているのに…
「クスッ、ほんと…大ちゃん。不器用だよね。」
眉間にしわを寄せ、だんまりを貫く俺を、晴輝は可笑しそうに笑っている。
そう、黙ってたところで結局はバレているのだ。
今、晴輝は、背後で察する程度のぼんやりとした色ではない、まっすぐ前から捉えた俺の色を目にしているのだ。
俺の中で事細かく塗り足される感情の機微、それにコイツの察しの良さを加えれば、答えなんてすぐ見つかってしまう。
「…うっせえよ。」
だから、仏頂面でそう言い返すのことしか出来ないのだ。
何事もない、傷ついてないように笑顔の下に、晴輝がその傷心を隠していても俺は見つけてやれない。
それがいつも…どうしようもなく虚しくなるのだ。
「そっか、時間の問題だと思ったけど…もうそっちまで噂になってるか…」
晴輝がいるのは東棟のA組、俺のいるのは西棟のF組…
別棟の、A組の反対端のクラスであるはずの俺の耳に入っているなら、もう全学年に知られたことは間違いない。
明日になれば…もう他の学年でも噂となってしまうだろう。
「…お前は何も悪くないだろ。」
「ふふ、そうだね。だけど、また窮屈な生活になるのは確実だ。」
中学に入って、晴輝は共感覚のことを隠すようになった。
小学校と、その事で色々面倒ごとが多かったから…それは仕方ないことに思えた。
でも、そこは地域から持ち上がりの中学校。
そういうことを掘り返したがる奴は当然いる。
今回、晴輝のことを面白おかしく噂を流した女だって、晴輝や俺と同じ小学校だった。
クラスは違ったが…当然、晴輝が"変わった感性の持ち主"だったことは知っていたし、何となく暗黙の了解として皆、秘密にしていた雰囲気に気がついていたはずなのに…
そいつはしょうもない感情から晴輝のことをバラした。
数日前、晴輝にフラれた嫌がらせだ。
もともと他のやつより色素が薄く目立つ容姿が、中学に入ってからグッと目を惹くようになった。
背が伸び、子供特有の丸みがなくなり、男らしさが際立った。
それを和らげるような穏やかな気質と、優しげな笑み…
モテないはずがなかった。
共感覚を理由に下手に付き合おうとはしない晴輝に、そいつは言ったのだ。
『私は貴方のこと、わかってるから…』
だから、付き合わないか?と。
…恩着せがましい。
そしてその結果逆恨みしたのだ。
『せっかく、私が、付き合ってあげようと思ったのに』と。
「大ちゃん、今回は暴れないんだね?」
小学校の頃にも、ある生徒たちが共感覚のことで晴輝を意地悪く揶揄った事があった。
その時、俺は晴輝に代わってめちゃくちゃに暴れた。
もうそりゃそいつらの顔や身体がボコボコに青あざだらけになるくらいには…
当時の俺は1番身体もデカかったし、当然力も強かった。
中学で皆が晴輝の共感覚について触れなくなったのはたぶん、それが1番の原因だった。
"澤村 晴輝"を揶揄うと、乱暴者の"久我山 大地"に殴られる。
「…俺が暴れたら、お前が困るだろ?」
「はは、そうだったね。」
晴輝はどうも、俺の出す感情の中で強い怒りの色が嫌いだ。
前に暴れた時も、激情を露わにしない晴輝に、泣きながら詰られた。
そしてその後、3日ほど寝込んだ。
以来俺は、目つきがより一層鋭くなっても、髪が金色に染まっても、そのせいでガラの悪い連中にしょっちゅう絡まれても…晴輝の前だけでは切れたことも、喧嘩も起こしたことがない。
「まぁ、2年と少し。随分長く、隠し通せていたと思うよ。」
そう言って、晴輝はそっと窓の外へと視線を投げた。
薄暗い美術室にひっそりと佇む窓から、三色の淡い紫陽花が雨に打たれて揺れている。
…あと少し。この梅雨が終わって、夏休みに入れば、あっという間に秋になる。
そうすれば俺たち3年は、他人のことをうかうかと考えられないくらい、勉強に忙しくなるだろう。
「…あとほんの半年だ。」
「そっか……そうだね。」
俺の言葉に、一瞬そのガラス玉のような瞳を瞬かせ、晴輝は言葉を噛みしめるようにはにかんだ。
久々に見る、純粋な笑みなような気がした。
「…ねぇ、大ちゃん?」
いつもより少し覇気の乗った、悪戯な声が俺を呼ぶ。
「志望校、俺と一緒にしてよ。」
「…なんだよ、急に。」
あまりに突拍子もない話に、思わず声が上擦った俺を、晴輝は楽しそうに見つめてくる。
「大ちゃん、時頭いいし、少し頑張ればいけると思うんだよね〜。東高。」
「……不良の俺が、優等生のお前と同じ高校か?」
物静かに過ごしてきた晴輝と違い、服装や頭髪、サボりや喧嘩騒ぎを起こす俺の学校の評価は高くない。
「だから、誰も文句言わせない成績で合格するんでしょ?俺も手伝うから。」
「いや、別に行きたいとも思ってないし…」
「"俺が"、大ちゃんと一緒の学校がいいんだよ。大ちゃんみたいな人…そうそういないからね。」
そう言うと、晴輝は少し寂しそうに笑った。
俺が、昔からの幼馴染で、安心感があるのはわかるが…
「…幼馴染への依存は良くないと思うぞ。」
「違うよ。"絶対なる理解者に対する信頼と安心"。」
ただ昔からずっと一緒で、晴輝のそれを"当たり前の一部"として自然と受け入れてきた…それだけなのにな。
思わず苦笑してしまう俺に、晴輝はくるりと背を向け、筆を水に浸した。
どうやらもう、絵を描くのはやめるらしい。
「まぁ、とにかく。志望校ないなら付き合ってよ。その髪になったのも、素行が悪くなったのも、半分は俺のせいなんだし…東高に合格すれば、大ちゃんの嫌いな、"頭の固い大人たち"の鼻も明かせると思うよ?」
そんな普段なら言わないであろう皮肉を言いながら、晴輝はクスクス笑い、画材道具を片付ける。
…本当に、何もかもお見通しで困ってしまう。
「それに、高校でも俺という理解者がすぐ近くに居て、大ちゃんママと担任の佐原先生が喜ぶオプション付きです。」
くるっと顔だけ振り向いた晴輝はそう言ってニィっと、得意げに笑った。
そんな珍しく、子供らしい表情の大盤振る舞いに、思わず釣られて笑ってしまう。
「あぁ…そりゃいいな。」
俺たちにはまだまだ生きづらい世界が、ほんの少し笑った気がした。
明日はきっと、青く澄んだ空になる。