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ぼくとみすゞと就労支援  作者: 赤木冬夏
2/4

序破急……破

後編-----------------------------



彼女は姿を消した


 その日は朝から夜だった。


 そして、その日は朝から雨だった。




 カーテンを開けるまでもなく、雨音を聞くまでもなく、


 ベッドの上で横たわっているだけで、雨が降っているかどうかを認識することができる。もっとも僕の部屋にはカーテンもなければ、ベッドもない。ゴミ捨て場から拾ってきたソファだけ。




 仕事に就いてもいない身では、Amazonの1万円組み立てシングルベッドさえ注文することすらできぬ。寝返りをうつこともできやしない。


 台風が来るとだるい。雨の日はだるい。雨の日の前の日もだるい。


 それを「気象病」と呼ぼうが、なんと呼ぼうが、俺ぼくの知ったことじゃない。自律神経の不調だろうが、知らぬ。


 ああ、血液と脳髄液が鉛のようだ。どんより、という言葉さえも生ぬるい。どんに、寄り。いや、どんに寄ってさえいない。「鈍どん」。どんどんそのもの。 


 まさにきつい、障害だ。どうしてこんな障害を背負ってまで、生きなければいけないのか。目覚ましライデンが鳴り響くんだから、7時過ぎだろう。なんでこんな重い身体をひきずらなければいけないのか。心も身体もずぶ濡れになりながら、バスに乗る。わかるまい、わかるまい。諸君らには、わかるまい。見えない。僕たちの首に巻き付いているDSSチョーカーが。知るまい?この黒シャツは、100キロあるんだ。脱げば、このバスの床に、きっと穴が開くぞ。「あいつ、こんなもの着て戦うつもりだったのか……」と声を上げるに違いない。僕のアームカットアムカの痕きずあとを隠すアームカバーは、1つ2トンあるのだ。10トンでもいけるぞ?パポイでも倒しちゃうぞ?


 実際、メンタルを病むまでは、気圧や、天候で身体が重いとか、頭痛がするとか、調子を崩すなんて聞いても、「何を言ってるんだ、妄想じゃないか……」と思っていたものだ。自分の身になってみなければ、信じることもできなかったとは……、情けない話だと思う。


 ましてやあの面接のあとの虚脱感は、僕に50倍の重力、負荷をかけてくれていたのだった。




 午前9時。


 犯罪的に過酷な時間。


 よくもまあ、間に合う方も間に合わせたものだと思う。僕は心中、自分に緑綬褒章を授与した。 


 いつものように。


 何事も変わりの無いように。


 就労を目指すメンバたちが集まる。




 集まっていた。




 いつもの景色。


 いつもの風景。




「9時になりましたので、体操を行います。皆さん、手の当たらない位置に広がって、移動してください」





「体操、初めー」




 もはやパワハラ。パワハラはやられる方がパワハラと思ったらパワハラなので、僕はこれをパワハラと定義した。




 PCからHDMIで映し出される、映像に沿って、皆、体操を始める。


 僕には、それにならう気力はまったく残されていない。




 僕は自分で自分を褒めたたえてやった。アカキくん。お前は素晴らしいぞ。よくやった。やるだけのことはやった。「うん。俺もやるだけのことは、やったさ。あれだけの面接を、よく自分の主張を通したもんだ。よくやった、よくやった」




 かくして、




 僕と、




 みすゞさんの、




 就労移行支援の物語は終わり、




 それぞれの道を歩み始めた。




 その先に見出すものは、僕であり、みすゞさん次第である。おわり


 というわけにもいかない。


 僕はラジオ体操に似た、ブレイク体操をほとんど心そこにあらずという様子でこなした。動きに機敏さは微塵もなく、だらだらとした手と足の動作。傍目から見れば、なんだこいつはと思われるだろう。僕はそんな気力で取り組んでいた。




 ぶらーん、ぶらーん、ゆやゆよん。


 


 ぶらーん、ぶろーん、ゆやゆよん!


 


 ぶろーん、ぶらーん、ゆよゆやん!




 僕は叫び出したい気持ちを、あからさまに、20人近いメンバーの目の前で、誰にともなく当てつけるように、ふざけてその体操に取り組んだ。


「はい、時間になりましたので、15分訓練に移ってください」


 そんな声も、僕には遠く遠く聞こえていた。


 案の定、佐々木さんと、僕の担当である後藤さんに呼び出された。


 特に担当の後藤さんは、暴走王と呼ばれるだけあって、厳しい。模擬面接の訓練で、少し冗談めかしたことを言っただけで、「この面接を点数で言うなら、0点から、最高100点だとするなら、赤木さんな。お前は、マイナス100点だ……」と言われたこともあるくらいだ。もっと言うなら、小川さんには「赤木さん、あなたは身だしなみがなっていない。自分では身だしなみがなっていると、思うのか?どうなんだ?え?言ってみろ。答えてみろ。自分で自分のことを、清潔だと思っているのか。思っているのか?思っているなら……、マイナス、100点だ」と言われたこともあるくらいだ、


 そんな時、センターの隣の公園のベンチで、どうーんと落ち込んでいる僕に声をかけて、辛さの言葉を聞いてくれたのが、このセンターのレジェント、中邑氏であった。


 それはともかくとして、スタッフ後藤氏と佐々木サービス管理責任者サビ管が集まる部屋に呼び出された。


「赤木くんさあ、どうだった? ウチの面接」


 と聞くのは、もちろんスタッフ後藤氏。 


 佐々木氏は結果を知ってかしらないのか、黙っている。


 スタッフ後藤氏は、ひらだけど、模擬面接とか、履歴書・職務経歴書の添削ではかなりアドバイスを頂いている人。それだけじゃない。僕がセンターに入ると必ずやる気500のヨッチが一人加わる。それが、小川さんが入っている日だということにも気付いているし、Windows95くらいの時代のLeafの名作の話を、センターのメンバーとしているときも、「そのようなデリケートな話は、つつしめ」と言ったのも後藤氏である。こんな話は、ちょっとやそっとのライトゲーマーでは、わかるものではない。僕にも匹敵するような、「相当の」やり手だということは、よく知っている。


「で、どうだったの? 俺んとこにはまだ連絡は来てないけど」


 どこの職場でもいるような、常に怒っているのか、それとも怒っていないのか、それが素なのか、わからないような表情、風体で尋ねてくる。


「話にならなかったです。 一応、経歴だけはかなり綿密に聞かれました。あとは何も……。自己紹介も、自己PRも聞かれなかった。こんな面接、あるんだなって思いました。ある意味、勉強になったっていうか」


「え? 自己PRもなかったのか?」


「もっと言えば、志望動機も……」


「……志望動機も聞かれなかったのか?」


「はい」


 後藤氏は頭をぐしゃぐしゃと掻きむしる。


「まあ、志望動機ってのは、書いてあるのを読めばわかるからさ。そこはそんなに、落ち込むこともないと思うんだよ。ただ、自己紹介も自己PRもやらせてもらえなかったって? そいつはどうかなあ……」


「前回もそういうこと、ありましたから。自己紹介、自己PR、志望動機、何一つ聞かれない圧迫面接。その時のテクニックが役に立ちました。『何一つ聞かれない時、こっちから無理やりねじ込んでいく方法』……。やっぱり、何事も経験しておくもんですね……」


「まあ、それはいいけどな……」


「こっちの立場も、考えてくれよ」と、後藤氏は小さな声で言った。


  それは、そうだろう。採用担当者に、下手な面接の内容を見せたなら、それはセンターの支援員のスキルをそのまま疑われることになってしまう。


「だとしても、ぶちこむことはすべてぶちこんだと思います」


「何だ、それは言いたいことは全て言えた、言ったということか?」


「はい。採用担当の方も、かなり聞いてくださったと思います。まだまだ言うことや伝えたいことは、いくらでもありますけど、変な圧迫面接より、とても親身になって聞いてくれたと思います。感謝していますよ」




 後藤氏はそれを聞いて、言う。


「まあ、赤木君がそこまで言うなら悔いもないんだろう。そりゃ、ラッキーだったと言ってもいいと思うぞ? 赤木君が言うようにさあ、自己紹介も自己PRも志望動機も聞かれないで終わる面接なんて、ザラなんだから。でも、そこで自分の言いたいこととか、気持ちとか、想いとか、全部ぶち込めたんだよな?」


 個室の向こうから、にーに、さんし、さんに、さんし、という体操の声が聞こえる。


「ブチ込みました」


「なら何も言うことはない。俺からはね。佐々木さんからは、何かありますか」


 佐々木サービス管理責任者は静かな笑みを浮かべながら、言った。


「私が言ったとおり、嘘はつかなかったんですよね?」


 僕は迷った後、言った。


「ん……。嘘なんか、ついてないです」


「それなら、結構だと思います。ならいいです。わたしたちのほうから、特に言うことはありません。結果が出たら、私の方から連絡します。とにかく、お疲れさまでした。今日は普通の訓練日ですけど、いろいろあってかなり疲れていると思いますから、特に注意したりとか、そういうことはしませんから、なにしろ昨日の今日ですから今日は、とにかくゆっくり休んでください。こんな時間に言うのも変ですけど、お疲れさまでした」




 僕は個室をあとにして、体操が終わったスペースに戻り、15分訓練をして、時間を潰した。


 15分訓練なんていったって、たいしたことじゃない。塗り絵をやったり、漢字の書き取りをやったり、といったことだ。それに特別重い意味が込められているわけじゃない。ただ、それをやることで、訓練の時間に向けて、集中力を高めていこう、というだけの話。


 そんなことでも、意味があると思えば意味があるし、くだらねーと思えば、なんだってくだらなくなる。ぼくは前者の人間だ。




 そこに、中邑氏がやってきて僕に話しかけてきた。


「お疲れさまです。どうでした?」


「どうもこうもない。中邑さん……、はやっぱり、すごいわ。センターのレジェンドだよ。何も、聞かれなかったもん。自己紹介も、自己PRも、志望動機も……」


「え、まじですか?」


「まじもまじ、大まじ。 一応『なにひとつ聞かれなかった時のため』の想定はしてたから、無理やり言いたいこと言わせてもらったけど、それも無理やりだもん……。4次?5次?面接まで行けたってことは、それだけ中邑さんは手放したくない逸材だって思ったってことだよ……。勝ち負けじゃないけど、完敗だ。俺の完敗に、乾杯だよ……。終わったらガスト行こうか」


「4次、まではいきましたけどね。もう、次はわからないです。たぶん、無理だと思いますよ。それと、話したいことがあります」


「え……?」


「大事なことです」


「外、出る?」


「はい。出ましょう」




 僕たちは公園でタバコに


 そこで聞いたことは、衝撃的な、ことだった。


「彩樺さん、退所しました」


「……嘘だろ」


「本当です。確実な情報。スタッフから、聞きました」


「な、んで。どうして」


「わからないですけど……。実は、実際は、赤木さんがやられた事件のことかもしれないって、噂が。アラカワのせいですけどね」


「……なんで、なんでだ……!」


「赤木さんは、悪くないです。悪いのは、あいつです。妄想ふくらませて……」


 そんな。


 そんなことって。


 信じられない。信じたくない。


「確かな事実、なんだね」


「……はい。僕たちも、応援したかった」


 ……僕は、言葉にする言葉も、なかった。少し、ひとりにして、ください、と彼に言った。中邑さんは、察してくれたようだった。


 ぼくは、彼女の力になりたかった。


 ぼくが就職するとか、そんなことよりも、ぼくよりもずっと若い、就労の経験のないだろう、彼女に、僕のこれまでの経験とか、アドバイスとか、彼女の力になれることを、伝えたかった。彼女の、役に、立ちたかった。彼女の、力に、なりたかった。


 それは、もう、かなわない、のか。


 どうして。


 どうして!!!


「ああああああああああ!!!!!」


 ぼくは公園で、ひと目もはばからず、声を上げて叫んだ。


 もう、一生、会えない、だろう。


 もう、一生……。


 たぶん。


 許せない。


 


 許せない……。




 許さない……。




 僕の行き場を失った気持ちが向かうのは、ひとつの場所だった。


「許さない」





-----------------------

一つの結果,結果のひとつ


 求人については、どっかの企業の求人ページを発掘する方法、自分で見つけた求人情報をたどっていく方法のほかに、ハローワークで情報を集めてくる方法が一般。それに加えて、障害者の場合、ハローワークの障害者窓口がある。ここは障害者雇用専門窓口だから、そこに集まった求人に応募するということは、自分が障害者であることを公開して応募することになる。というか、応募するのに、障害者であることが、条件の求人である。




 いまさらちゃんと書くのも僕の片手落ち今危ない言葉なのだけれど、これを「オープン」と呼ぶ。オープンでの応募。障害者が障害があることを隠して応募することはそれに対して「クローズ」。これは障害者が就職するうえで、きわめてふつうに使われる用語。




 それで、障害者窓口などで情報を集める他に、大手の就労移行支援事業者では利用者向けに、企業で集まっている情報を集約しているところも多く、それを利用者はセンターのLANでWebの形式で見ることができる。




 午後は、僕はそれを眺めていた。どうせここはもう終わったのだ。同業他社を探すか、国家資格を活かせる求人を探すか。




 面接が昨日の、今日だ。本気で力を入れるのも、面倒。もとより、入れる力も、ない。PCをいじっていれば、何かしらやっているようには見える。


 LAN求人は、軽作業が多い。まいばすの品出し、工場のピッキング。軽作業はどれも時給制で、首都圏でも、時給1000円代は全く望めそうもない。品出しを何年やれば正社員になれるのか?5年先、10年先も品出しをするのか。品出しといえばこの人みたいな品出しマスターみたいな……。


 ……目指したくねぇ。。。




 僕が頭を抱えていると、女性スタッフから呼び出しを食らった。


「アカキさん、アカキさん」


「ぁい。」


「履歴書一緒に作ってるんですけど、固まっちゃったんです、どこクリックしても、動かなくて。わかります?再起動しなくちゃだめかしら」


「ぁぃ。」


 僕はエスケープキーを押して、変なところがアクティブになっている状態を戻した。


「わっ!すごい。どうもありがとう」


「ぁい。」




 こういうスキルって、お金に繋がらないだろうか?


 PCのトラブルの解決方法のテストがあって、それを解決する試験とか、資格とか……。


 ないんだろうなあ。たぶん。




 PCをいじるのも、けだるい。


「丸尾先生さあ、最近のウインドーズって、コントロールパネルないの?なくしたの?うそでしょ?なに、テンってほんとにないの?」


「アニキよりわかるひといないでしょうが!」


「そもそも俺Macだし、うちPCないし……」




 僕が同業他社のサイトや、法律系有資格者の求人を探していると、またスタッフから呼び出された。




「はい。」


 個室に入ると、佐々木氏がいて、言った。


「アカキさん、これから時間ありますか?」


「はい?」


「実は、私のところに電話がありまして」


「はい」


「警察から呼び出しが来ています。これから警察署へ行ってください」


「なんだと」




「警察ですか?」


 思いもよらない言葉を言われた僕は、凍りついた。


「申し訳ありません。びっくりさせましたよね。そんな、構えなくても大丈夫ですよ。アカキさんは被害者側ですから」


 そう佐々木氏は、笑って言った。


「……そっか。アラカワの件ですね?」


 佐々木氏は頷く。


「……なんだ。人が悪いな、佐々木さんも」


「さすがにうやむやにしておくわけにもいかないですから」


「アラカワは、まだ謹慎しているんですよね」


「こちらとしては、通所禁止の措置を取っています。当たり前ですけどね。センターの中でも、こちらから周知することはしてませんけど、知ってる人は知ってるでしょうし、一部ではかなり動揺してる人もいます。ここだけの話、あれから通所したくないっていう人も出てるんですよ。退所した人も、います。迷惑極まりない」


 退所した人……。


 心が、軋む言葉だった。20人以上のコミュニティがあれば話が広まるのは当たり前。センター内ではスタッフにはメンバは極力、見せないようにはしているがないわけじゃない。ないわけが、ない。ほとんどのメンバは、いい歳をした人間だ。実際LINEもすれば、メンバ同士のグルチャもある。送別会もあれば忘年会もやる。


 メンタルを病んでいる障害者のコミュニティとなれば、なおさら不安も動揺も強いはずだ。彩樺みすずさんのように、かたくなにセンターのルールを遵守し、人と距離を置いている人たちは、センター外の繋がりはほぼ、あるいは全くないだろうから、メンバ同士で情報のやりとりをすることがあまりない。事件の話が入ることもあるまい。それはそれで、いいとは思う。センターとしてもいたずらに不安を惹起させることもないのかもしれない。いや、事実、危険があるのだから注意喚起はすべきなのかもしれないが……。


 本命の面接と、その後の虚脱感でそちらを考える余裕もなかったけれど、押し込めていた感情が思い出したように僕の中で目を覚ましてくるような感覚。


 怒りだ。


「で? 僕が呼び出されるってのは、どういうことですか?」


「今回の件については、本社のほうにももちろん私たちのほうから報告はしてます。法務部の方にも話は行っているでしょう。アカキさんが被害を受けたということ、大変なことになりかねなかったということを考えたら、さすがに社内で完全に……こういっちゃ変ですけど、握り潰しちゃうっていうことにしてしまうというのは、問題になりかねないですよね」


「大変なことになっちゃってますよ。既に大問題になってます。あえて今、その気持を佐々木さんにぶつけることは、しませんけど。これは僕だけの問題じゃあ、ない」


「もちろん、わかってます。ご両親の方からも、謝罪はあったんですよね?」


 あの病院でのことか。


「まあ、あったといえば、ありましたけどね。なかったということは、なかったというか。でも、謝られたって、怖いものは怖い。言っちゃ悪いですけど、逆恨みっていうか……、逆恨みならまだわかりますよ?恨まれるようなことを僕がしたっていうんなら。それすらない、妄想じゃないですか。妄想は……、怖いですよ」


「うん。私も、担当の後藤も、改めてアカキさんにはお詫びしなければいけないと思っています。アラカワさんからそのあたりも含めて、警察立会いの上で、ご両親は謝罪したいとおっしゃってるというわけです。今後の対応も含めてね」


「警察立会いの上で……ですか?」


「先方はそう仰ってますけどね」


 なぜわざわざ警察を……?あまり気が進まない。


「警察立会いなら……」


 佐々木氏は言う。


「アカキさんがどうしてもと言うなら、事件にもできると思います。それは止めません。権利ですから。私たちにそれを止める権利もありません」


 正直、事件にしてしまいたいという気持ちもなくはない。


「どうしても、これから行かなければいけませんか? 今日の今日、これから、今、あいつの両親がもう警察で待ってるんですか?」


「いえ、どうしてもとは。今日都合がつくなら、ご両親は合わせる、と言っています。けど、アカキさんにも都合があるでしょうし、というか、アカキさんに合わせるのが筋ですから。そこはアカキさんの裁量ですよ」


「今すぐ決めないとまずいですか? うーん、だったら、今日の今日っていうのは、ちょっと、さすがに。心の準備もあるし……。それに、気分じゃないです……」


「まあ、場所が場所ですからね。。ぜんぜん、無理に今日じゃなくてもいいですから。それにアカキさんでなくてもそうですし、アカキさんも、警察ってなると、えっって思っちゃうと思いますし。ただ、アラカワさんたちは、今日のつもりで来るようですよ」


「……佐々木さん」


「?」


「もしお願いしたら、そこに同席していただくことって、できますか?」


「こちらの予定もありますけど……、時間さえ都合付けば、大丈夫ですよ」


「ありがとうございます。先生、その時は、お願いします」


「それともう一つお知らせがあるんですよ」


「まだあるんですか。 悪い知らせですか?いい知らせですか?」


 もったいぶりすぎだろう……。


「いい知らせ、だと思います。さっき連絡がありまして」


「あぃ。」


「採用選考の結果です」


 僕は、


 それを聞いて、息が止まりそうになった。


-----------------------------

 2日が経った。


 木曜日の朝、いつもと同じ地獄の季節朝を迎え、昨夜のうちに作って冷やしたゆで卵をバッグに放り込んで、僕はセンタへ向かうバスに乗り込んだ。


 車内のいつもの、最後部座席に座る。3DSを開き、時渡りの迷宮へと向かう。1時間ほど、時間を潰す。


 バスは図書館前に止まり、人を乗せ、駅の前に止まり、人を乗せる。警察署の前、法務局の前、公証役場。やがてバスは人でいっぱいになる。知った顔はいない。センタ近くのバス停は、終点。平日は渋滞にぶつかることも多いから、1時間以上かかることもある。


 バスは終点間際になる。


「次は終点、府中駅前です」と聞く瞬間、僕はボタンを押す。この速さだけは、誰にも負けない。バスは止まり、人が降りだす。既に消えたボタンを、さりげなくまた押す。運転手は停車したのに押されて点灯するボタンを、リセットする。またさりげなく押す。リセットする。降りがけに、また押す。


 こんなバカな遊びも、そろそろ終わりにしなければならないな、と思う。


 


 もともと服も、奇抜なほうだ。


 黒のパンツボトムに、黒のシャツ。それも、燕尾タイプのシャツ。襟は、まるでコウモリみたいだ。それを、首元までボタンを留めて、ネクタイも赤と黒。靴はソールの高いブーツで、やっぱり赤一色。


 平日には、このスタイルも、できまいな。




 センタはまだ開いていない時間帯で、入り口の前に3人ほど、ドアが開くのを待っている。この時間には珍しい顔がいる。僕はいう。


「おはようございます。ハギモトさん、ずいぶん早いですね」


「今日はほら、担当会議でしょ。それに、そこでさっきまで飲んでたから、寝てないっつう」


 と笑いながら言う。


  僕はコミュ障だから、人と関わることは苦手だし、自分から人に話しかけることはどうやったって、できやしない。だからこそ、一瞬の、一度の、チャンス。人から話しかけられた時のチャンスを逃すまいと、コミュ障なりにアンテナを常に張って、人との繋がりを保つようにしている。広げるようにしている。


 その甲斐あって、センタのメンバで飲み会があればありがたいことに誘われるし、男女問わずLINEの繋がりも人よりは多い。それが面倒事に繋がることもあるのだけれど……。


 その繋がりの中で入ってくるのが、このハギモトという男の話。僕と直接接するうちは、僕に対する感情をおくびにも出さないのだけれど、彼が僕以外の第三者と集まると、もう、鬼のように僕をディスっているという情報はうんざりするほど入ってくるのである。


 服がまともじゃない、俺に攻撃を仕掛けてきやがる、知識をひけらかしている、スキル自慢が鬱陶しい、エトセトラ、エトセトラ。


 おそらく僕がさっき口にした、「今日は早いね」という言葉も、彼の中では「この野郎、てめえ」という感情となっていることは間違いないだろう。


「彼がそう言っていましたよ」と、僕に教えてくれる人が少なからずいることは、ありがたいことだと思っている。僕にとっては、これも皮肉ではなんでもなく、何の感情も抱くことはないのだけれど。




 そんな彼が、今日の担当者会議に出席するのは、多くのメンバをうんざりさせることだろう。


 それは会議が始まれば、皆、わかるだろう。




 担当者会議は、だいたい月に1、2度ある。


 就労移行支援事業所では、無論就労を目的とする場所なのだから、メンバそれぞれが様々な訓練に取り組む。Excel、パワポ、ブラインドタッチ言葉狩りの対象はもちろん、中には簿記やIllustratorイラレ、PerlやJavascriptに専念するメンバもいる。


 とは別に、来客応対や、電話応対、お茶出し、環境整備といった雑務、といってはなんだけど、その様な実際就労した時に任せられるような仕事をメンバに担当させる体制になっていたりもする。その担当の割り振りや、問題点の洗い出しを話し合うのが、担当者会議。


 


 僕はセンタにかかってくる電話を受ける担当だったので、会議に参加する。だから、今日は早く来た。




 センタが開き、ラジオ体操、日直の挨拶。もう、10時から会議は開始する。


「昨日は、何リットル、飲んだの?」


 と、しばらく顔を合わせていなかった沖田氏が聞いてくる。


「ああ……。なんか、久しぶりですよね。その尋問……」


「何?またジャックダニエル半分開けた?……なら、こんな時間に来てるわけないやな。氷結ストロング?500ml?2本?3本?1.5リットルいっちゃった?」


 笑いながら聞いてくる。


「いや……、昨日は、ノンアル……」


「ウソつけ」


「いや……マジで」


「なんで?金欠?」


「んー……、ちょっと思うところが、ありましてね」


「また記憶なくして道で寝てるとこ保護されちゃったとか?」


 ……警察絡みの話は、今は勘弁してほしい。


「まあ、おいおい話しますよ。 それより、ヨッチの洞窟まだクリアしてないでしょ?艦こればっかりやって……。あの奥のイベント、やばいんですからね!」


「こっちも、イベントがさあ」と、はぐらかす。僕はiPhoneなので、艦これはよくわからない。




 沖田さんが僕の耳元に囁く。


「それより、今日は……、荒れるよなあ」


「……荒れますね。やる気満々だもん。朝イチで張り切ってたし」


「『俺が俺が』、だからなあ」


 担当者会議では、来客対応、お茶出し、環境整備係にハギモト氏が手を挙げ、まるでスタッフのように仕切っていた。まあ、それもリーダーシップがあるということで評価すべきところなのだろうな、と僕は傍観していた。彼はいちいち、改善する必要がないようなことでも、案を提案し、「……ということで、いいですね」、と迫るのであった。それを僕たちメンバは、まあそう言うなら、とあえて反論しない。




 なかむー氏は呟く。


「ったく、何様なんだかな……」


「『俺様』、でしょ……」




 ハギモト氏の耳に入ってしまったか、彼は僕たちの方を向いて、言った。


「なんか意見、あるんすか?」


 僕たちは慌てて言う。


「や、何も」


「何も何も」





 もうすぐ正午。


 会議も終わりに近づき、会議最後の電話担当のメンバが集まりだす。僕も担当者だったので、これには参加しなければならない。僕はセンタを見渡す。室内の隅の方、壁際の席で、彩樺みすずさんがPCを操作しているのが見えた、はずだった。でも、その姿は、どこにも見えなかった。


 誰が担当に選んだわけでもないのだけれど、仕切り担当のハギモト氏が改めて口火を切る。


「じゃあ、電話担当ですけど、これまで何か問題点とかありました?」




 僕は一言言う。




「電話担当に限らずですけど、メンバが固定化したまま、曜日ごとに割り振りするのは、どうでしょうね。もっといろんな人に声をかけるとか周知して、一人でも多く担当してもらった方が履歴書にも『電話応対の訓練を積んだ』って書けるし、いいんじゃないかと思うんですけど」




 特に積極的な意見や反論は出ないようだ。


 ハギモト氏が発言する。


「これ以上メンバ増やすんですか?もう、十分な気もしますけど」




「そこなんですけどね」


 僕はあらかじめ決めていた提案を述べる。


「僕は今週で担当を降りることにします」


「は?担当やめるんですか?」


「やめるっていうか、やれなくなると思う。まず間違いないと思います。何もなければ、あと20日くらいで、卒業します」


 隣の沖田氏が驚いた表情で聞く。


「え、やめるの?なんで?」


「はい。内定いただきました。ので、その分の穴を、他の人で埋めてください」


内定


 それは佐々木さんサービス管理責任者に呼び出された時の話。




「な、?」


 ななな?


「内定ですか?」


「おめでとうございます!!」


 言うと、佐々木氏は微笑んだ。


「メールが昼ころ来ていたんですけど、気づかなかったんですよ。遅れてごめんなさい」


「……本当に?」


 え?だって、昨日の今日だぞ?倍率、100倍だぞ?200倍だぞ?


「本当です……。よかったら、ぜひに、ということでした」


「え……。実感、ないですよ……。 いやあ……うわあ」


 こんな早く、報われていいんだろうか。


 ……、いや、僕だってそれなりのことを、この半年、やってきた……。送っては届く、お祈り、お祈り、お祈り「今後のご活躍をお祈りします」……。ときには、それさえも、お祈り通知さえしてこない最低の外道企業「サイレントお祈り」も、一つや二つではない……、なかった。 


 障害者雇用促進法が制定されて、法令によって、障害者の法定雇用率は、現状、2パー。従業員の2%、以上は障害者でなければならない。これから、どんどん年ごとに増えていく。だから、障害者雇用は売り手市場。法定雇用率を満たさなければ、罰金……厳密には法的な意味での罰金ではないけれど、企業は納付金を納めなければならない。


 そういう社会の流れに、波に乗れた、ということか。うまく乗れた、ということか……。


「アカキさんは国家資格も持ってるから、そのあたりも企業様とうまくマッチングできたということなんでしょうね。私も、アカキさんだったらきっと通ると思ってましたよ」


「いや、あ、はい。実感ないですけど、ありがとうございます。これも、特に小川さんにさんざんいじめぬかれ……、いや、厳しくご指導いただいたおかげで……、つもりつもったうらみ……いや、か、感謝の気持ちで……」


 ん。企業様?


「いま企業サマって聞こえたんですがね……?」


「?」


「あれ?え、内定って、?」


「え、来てほしいっていうお話ですよ?」




「え、待って。オアシスだったら、自分の企業のこと、企業サマ、なんて、言わなく、ないですか?え?どこにですか?」


 自分の企業のこと企業様って……、言うか?


「どこって、応募して、実習頑張ってきたじゃないですか!」


「……司法書士法人?」


「そうですよ! いい話じゃないですか」


 ……そっちかぁーーーーーあああ。


「まあ、そうですよね」僕は頷いた。むしろ、うなだれた。


 法律は僕の専門だ。興味も関心もある。だからといって、食べていけない待遇では、どうしようもなかった。実家が近くにあって、家賃を払う義務がないというなら考えもできるが、家賃を払って食事をしたら本当にそれで金は手元に残らないだろう。それでは考える余地さえなかった。


「考えさせてください」


 とだけ言って、僕は部屋を出た。


 でも、少しだけ安心する自分がいたこともまた事実だった。


-----------------------------


「やめとけ」


「やめといた方がいいですアカキさん」


「まじむり」




 顔なじみの居酒屋ラーメン屋の四人テーブルで、仲間たちにすっかり僕は駄目を出されてしまった。実にあっさりめの無化調ラーメンなのに、ずいぶんと耳に入る助言もあっさりしていなく、痛いし、現実は重かった。


 沖田さんは相変わらず僕にまあ飲めとジャックダニエルを注いでくる。


「私、あそこの見学、行ったことあるんですよー」、と、僕より8か9歳ほど若い、内田さんという女子が言う。


「見学って?」


「今、朝礼の見学やってる企業って、多いんですよ。あ、ごめんなさい。釈迦に説法かもしれません。アカキさんや沖田さんは参加されたことあるかと思いますけど」


「ああ、多い。多いな。あれだ。詳しくはしんないけどさ、ワタミとか、鳥貴族とか、ああいうさ、体育会系っぽいとこはよくやったりしてるみたいだよな」


 ワタミとか鳥貴族が朝礼見学会をやっているのかは、僕もよくは知らないが。っていうか、どっちも、店、朝やってなくないか。


「そういうとこの朝礼って、すごいんですよ」


「すごいって、どういうふうに?」


「うーん、どうって言われると、困っちゃうんですけどー。太鼓叩きながら、体操したり?」


「太鼓?」


「タイコですよ。ドーン、ドーンって叩きながら、『よいしょーっ!』『よいしょーっ!』って、体操するんですよ。全社員で」


「……いまどきそんなことやってるとこあるのか……。太古の話じゃないのか……?」


「いや!あるある! ああいうとこ、テンション異常にすげーんだよ。朝からさ。営業部員とかさ、『今日はね!一日から!飛ばしていきますからね!目一杯!頑張って!いきましょう!いいっすか!』ってのを見たことあるな。とにかく、体育会系全開で、すげーんだわ」


「そう、それで、アカキさんが実習に参加された法律事務所?結構大所帯じゃないですか。わたし、今の就労移行支援事業所に移る、前の事業所で、みんなで行ったんです。そこの見学会。やっぱり、そんなノリでした。タイコ叩きながら、みんなでスクワットやるんです。100回。男女関係なく。それも、笑顔でやらなきゃならないんですよ」


「だ、男女関係なく?」


「ないですよー。それに、あの笑顔はちょっと気持ち悪かったですねー。なんだか、ナントカ新聞みたいな、あの宗教団体が出してる新聞の一面の写真、よく見るじゃないですか。みんな、あんな笑顔でしたねー。それも、大声で、『よいしょー!』ですよー……」


 そ、それは正直、引いてしまう。


「私、アカキさんには、できるとか、できないとかじゃなくて、合ってないっていうか……」


 内田さんは、続けて、言ってくれた。


「そういう『一員』になってほしく、ないです私」


 と。


「たとえばほら、これ見てください」


 内田さんがiPhoneを差し出してくれる。


「『ブラック居酒屋の本気の朝礼』?」


 動画だ。YouTubeだ。


「こんな感じなんですよ」


 僕と沖田氏と、もうひとり黙って無化調ラーメンを啜っている、唐檜末氏がディスプレイを覗き込む。


 ……。


「すごいな、こりゃ」


 誰ともなく、言った。誰の言葉でも、同じである。つまり不定。


「こういうので、会社の元気さ、活気良さをアピールしているんでしょうね」


 唐檜末氏が「チャーシュー、単品で」と追加オーダーする。


「こういう会社はさ」


 と、語り出した。


「社員のモチベーションを上げるのが目的でやってるのさ。朝からね。やるのと、やらないのとでは違うから。それと、こういうことをすることで、社員を大切にしているっていう対外的なアピールになる。それがこうやって、YouTubeに出てくる。たぶん、アップロードしてるのも、自分じゃねーかな」


 なんと、広く浅い見識なのだろう。このひとは、いつもこうなのである。それはそれとして、沖田氏が言う。


「アカキさんさ、あんたはこういう職場でも、こういうこともやれるっちゃ、やれるでしょ?やろうと思えばやれる。こういうブラック酒屋の体操みたいなこともさ、笑顔でできると思うんだよ。こういう人たちみたいにさ」


「う……、むぅ」


 沖田氏は僕と年齢は離れているけれど、同期。同じ日に入所して訓練を積み重ねてきた。内定という点で言えば、僕は一歩沖田氏にリードしたかたちになる。


「頑張ればできると思うんだよ。こういうブラック酒屋の店員、みんながみんな、本気で楽しんで、嬉しがって笑顔でやってるわけでもないと思う。でもさあ」


 ウーロンハイを飲みながら、言う。


「たぶん、ある日を境に、この笑顔が自然に出るようになっちゃうと、思うんだよね……」


「そういうことだ」、と唐檜末氏ももう5杯目になるだろうか、ウーロンハイのジョッキをテーブルに叩きつけて言う。


「そういうことなんだよ。これを、楽しんでやっちまうようになっちゃうんだろうな。楽しんでっていうか、もう、喜んでだ。鍛えに鍛え抜かれて、いじめぬかれて、いろんな教義っつーか、教えを叩き込まれて、毎日やってるうちに、たぶん『本心から』やれるようになっちまう」


「私は、アカキさんにはそんなふうにはなってほしくないです」


 ……正直、興味が無い。


 というか、興味を持ってはいけない世界な気がする。怖い。


「まあ、一言で言えば洗脳だ!」


「そういうことだと思いますよ」


 ……僕は体育会系にも興味はないし、やりたくないし、やれない。僕はそんな手合じゃない。


 それでも、飯のタネだと言われれば太鼓に合わせてスクワットでも天突き体操でも検討の余地もある。しかしだ。しかしである。しかしなのである。時給952円だぞ!?952円かける1日6時間かける20日は?いいとこ11万。生活保護のお世話になることは間違いない。


「うん……。考える。考え直すことも、検討する」


「なに?まさか、本気で考えてるのか?おいおい……。いくら卒業したいからって、就職決めたいからって、本当によく考えたほうがいいって……。悪いこと言わねえ。焦ったらだめだ」


「ただ、そこでスキル身に着けられるのも、事実なんっすよね。法律職のスキル身に付けて、ノウハウ勉強して、2年、3年みつしり専念して、独立するってのも、悪い話じゃないかなって……」


「そんなもん、丁稚じゃねーか!」


「丁稚だ……。丁稚で、いいかもしれない……っす」


 はぁ、と酒に口をつけ、沖田氏は言う。


「まあ、よく考えたらいいや……。止めはしねーけどさ、……ってか、俺は止める……。止めるぞ。 やめとけ……」


 思い出したように、唐檜末氏が尋ねてきた。


「ああ、そういえばアラカワの馬鹿、どうなったの?」


「両親と詫び入れたいらしいです。……署でね」


「署で?警察署?なんで署なのさ?」


「ポリ立ち会いで、手打ちにしたいんじゃないの?」


 沖田氏が訝しげな表情を浮かべている。


「嫌な予感がするな……」


「嫌な予感って?」


「あいつな、法学部出身なんだわ」


 僕は驚いた。


「法学部! はっ! 法学部出てて、刑法も知らんのですか?」


「アカキと同じように法律事務所狙ってるって聞いたことがある。手打ちにしたいなら、わざわざ警察立会いで、事件になりかねないようなこと、するか? アカキさんは被害者なんだから、その場で訴えられたら、終わりだ。逮捕だ。傷害事件の加害者を、法律事務所が採るわけ、ないしな」


「何か、企んでるんじゃないか」と沖田氏は言うが……。


「ったく、彩樺みすゞさんといい、ブラック居酒屋?といい、アラカワのこともあるし、大変だな」と、唐檜末氏は笑った。なぜか内田さんも、「私だってアカキさんのこと狙ってるんですから」と言ったが、誰も笑わなかった。


「大変なのは皆一緒さ……。うちの事業所の結果も、出てないといえば、まだ出てないんだよなあ……。タスクを整理しないと」


 唐檜末氏が聞く。


「警察にはいつ行くのさ」


「さっさと片、付けたい。今週中にはね」




 でも、なんだか、もう、どうしようもなく面倒な気持ちになってしまった。


「あ……」


 落ちる、感覚。


 双極性障害は、上がり、下がりを一生繰り返す。


 上がれば落ち、下がれば、上がる。


 落ちるな、と思った。


 それは呪いと、祝福の繰り返し。


 半年単位の。




 この予感は、外れることはない。




 それから時が、過ぎた。


続く


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