回る走馬灯
「うぉっ、あぶねっ!」
俺は身を屈めて、ボクシングでいうダッキングのような姿勢で、イングリッドの突きをかわした。
なるほど、凄いパワーとスピードだが、なんとなく雑な攻撃だ。
『格闘術に関してはそれほどでもない』と言った、イングリッドの言葉に嘘はないらしい。
しかし、俺とて格闘技に関しては素人だ。
時間で言うならたったのコンマ数秒だが、ここからどう反撃していいか迷い、固まってしまう。
そうこうしているうちに、屈んだままの俺の顔面に、今度はイングリッドの膝蹴りが飛んできた。
先程とは逆に、思い切りのけぞってそれをかわす。
イングリッドが感心したように、小さく息を吐いた。
「お前、人間離れした素早さと柔軟性だな」
もともとは人間じゃないんでね。
という言葉は喉の奥にグッと飲み込んで、今度はこちらから攻撃してみることにした。
これでもしばらく冒険者としてやって来たのだ。
戦闘のスペシャリストとまではいかなくても、野党や荒くれどもと戦うことも何度かあった。
そんな時、魔法以外で役に立ったのが、シルバーメタルゼリーの素早さを活かした近接戦闘だ。
具体的に言うと、相手の下半身に対する攻撃である。
俺の人間離れした素早さで、膝か足首を蹴飛ばされると、どんな大男でも、無様に転んでしまう。そこに魔法を浴びせるというのが、俺の対人戦闘の必勝パターンだった。
俺は過去の成功体験を、良いイメージとして頭に思い浮かべると、猛然と突進して、イングリッドの足首へ向かって、渾身の力で足払いを仕掛けた。
命中。
ガツンという手ごたえ(この場合、足ごたえと言うべきかな)が、俺の足から、膝を伝って、太ももの付け根までじぃんと走り抜ける。
突進の勢いを乗せた強烈なキックなので、華奢な相手なら足首の骨が折れるほどの蹴りだ。
しかし、イングリッドは倒れなかった。
多少顔を顰めただけで、悠然と立ったまま、俺を見下ろしている。
俺はと言えば、足払いを放ったままの姿勢――つまり、イングリッドの足元に屈んだままである。
これはまずい。
いい感じに、イングリッドが蹴りやすい位置に、俺の顔面がある。
俺は、先程のもの凄いパワーのパンチを思い出し、青ざめた。
足は基本的に、腕の三倍のパワーがある。
あのパンチの三倍の強さで、顔面を蹴りあげられたら、さすがのシルバーメタルゼリーも、クリティカルヒットで即死である。
恐ろしい考えに頭を支配されながらも、俺は即座にその場から飛びのこうとするが、それでもイングリッドが蹴りを放ってきた場合、数瞬早く、彼女のつま先は俺の顎に到達するだろう。
終わった。
甘い考えで、自分で戦うなどと言い出すべきではなかった。
今までの一生が、走馬灯のように頭を回りだす。
そこで、思い出した。
そうだよ、俺はレニエルと『分魂の法』で魂を分け合っているのだから、俺が死んだらあいつも死んでしまうじゃないか。
どんな重傷を負っても、少なくとも、死ぬわけにはいかない。
俺は飛びのいて逃げようとするのをやめ、両腕で顔面を庇った。
これなら、両方の腕は粉々に砕け、それでも蹴りの勢いは殺せず、顔面もボロボロになるだろうが、とりあえず即死だけはしないだろう。




