とどめ
「お前の言う世界のバランスってのが、俺にはよく分からない。でも、俺は世界をどうこうする気なんてないし、そもそも、俺に世界をどうにかできる力なんてないよ。俺は、『調和を乱すもの』なんかじゃないんだよ」
必死にそう伝えるが、ピジャンは、怪鳥のようにけたたましく嗤い叫び、一笑に付した。
「うううん、うううん、私、今、確信しちゃったー、その目、その目、心のままに、生きる目。運命の言いなりにならない目。今は、まだちっぽけな存在だけどー、お姉ちゃん、そのうち、世界のバランスを大きく乱す要因になるよー、だから、殺さなきゃ、殺さなきゃ、今、殺さなきゃ。殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺すすすすすすすすすすすす」
「そんな……」
狂気を帯びたピジャンの姿と主張に困惑する俺の心に、アーニャの声が響く。
『もう、話が通じる状態じゃないよ。それに、思ったより早く、ダメージが回復してきてる。数分どころか、あと数十秒で、また襲いかかって来るよ。今すぐ、とどめを刺さないと』
アーニャの言うことは、正しい。
どう見ても、いくら話し合ったところで、ピジャンの俺に対する殺意が止まるとは思えない。
しかし、どうしても、最初に会ったとき、空に流れる雲を見て、『おさかなに似てる』と笑っていた、ピジャンの無邪気な姿が、脳裏にチラついて離れない。
そうだ。
俺は、この子を殺したくないのだ。
さっきは、ピジャンを許すかどうかは、スーリアの人々が決めるべきだのなんだの言ったが、結局のところ、俺はピジャンを殺すのが嫌なのだ。
人の子供に似た、無邪気な少女を殺すことに、大きなためらいがあるのだ。
だから、ピジャンの運命を、スーリアの人々に委ねようとした。
俺ってやつは、なんて卑怯で、弱くて、甘ったれてやがるんだ。
こっちから喧嘩を吹っ掛けたくせに、命のやり取りをする段階となると、竦んで、動けなくなっちまうなんて。
そうやって自分を詰るが、それでも、ピジャンの命を奪うことはできそうになかった。
アーニャの、小さなため息が聞こえる。
『自分を殺そうとしている化け物に対して、お優しいことだね。まあ、きみがそういう性格だから、僕のご主人様も興味を持ったみたいだしね。そんなに自分を責めることないと思うよ』
『アーニャ……』
『それに僕も、きみのそういう甘っちょろいところ、けっこう好きかも。なんていうか、人間的で、ちょっと憧れちゃう。……とはいえ、このままじゃ、あの化け物に殺されちゃうね。仕方ないから、僕が代わりにとどめを刺してあげる』
ボギン。
分厚い布か何かに包まれた、乾いた枝が折れるような、そんな音がした。
ゆっくりと頭を下げ、音の方に目をやる。
先程までピジャンが這いずっていた地面。
そこに、ピジャンは横たわっていた。
もう、動かない。
何故か。
折られているから。
首を。
突然現れた、オレンジ色のショートヘアーの女が、ピジャンの首を、上から踏みつけて、折ったのだ。
女の背は、そんなに高くない。
俺と同じか、少し低いくらいだ。
武道家のような、軽装で、動きやすそうな服を着ている。
よく見ると、頭の頂点に、猫のような耳があるのが確認できる。
女は、いまだにピジャンを踏みつけたまま、こちらを向いて、笑った。
「感謝してよね。きみの嫌なことを、僕が代わりにやってあげたんだから」
それは、頭の中に何度も響いてきたアーニャの声を、初めて耳から聞いた瞬間だった。




