共同統治のススメ
私は船長となったエドが出航の準備を整えている間に、竜機で再びデヴォンを訪れた。今度は、本当の話をニュートン牧師から聞き出すためである。
「――このようにして、奴隷貿易では大量の死者が出るという現実があるのです」
地元の教会で講壇に立つ牧師は、巨大なポスターに描かれた黒長耳族の反乱によって水夫が逆さ吊りにされた絵を指し示しながら、雄弁に奴隷貿易廃止を訴えていた。
「王立アフリカ会社の株主であるポッスルウェイト卿は、論文『アフリカ貿易・アメリカにおける英国プランテーションの支柱および羽翼』において次のような論説を発表しております。即ちプランテーションは奴隷無しには存続できぬものであると」
牧師の演説は次第に熱を帯びてきた。
「ポッスルウェイト卿曰く、この事業は少なからぬ利益を生み出すだけでなく、若手の海運事業者や水夫の苗床となり、将来の道標になると。とんだ誤解です! 実際のところ、若い水夫たちは傲慢な船長たちに虐げられ、港に捨てられるか、はたまた海賊の言いなりになるかという二つの道を歩んでおるのです。今この時に若い芽を摘む、奴隷貿易ほど由々しき問題が他にあるというでしょうか!」
牧師が聴衆に訴えると、盛大な拍手が巻き起こった。過酷な奴隷貿易が若い水夫の将来を奪い取るという事を、元航海士である牧師はよく知っている。しかし、その現場で自分もまた船長であった経歴は巧妙に隠しているようだった。
「ありがとう、ありがとう」
演説が終わると握手を求める聴衆たちに応じた後、小人族の牧師は自分の倍ほどの高さの講壇から降りた。
「素晴らしい演説でしたわ」
「ありがとう……おや、公女殿下様。いらしていたとは。先にご連絡いただければ、迎えをよこしましたのに、急なことで何も準備がございません」
「良いのよ。セバスチャン?」
セバスチャンが牧師を再び講壇へと引っ張り上げた。聴衆は既に引き上げており、小さな教会には私たちと牧師しかいない。
「私から何かお聞きしたいことでも?」
「察しが良いのね。私は今回、船長としての心得をお聞きしたいの」
「はて、何の事でしょうか」
「惚けなくて結構。貴方がかつて奴隷船の船長だった事はスネルグレイヴ家の者から聞きましたわ」
「これはこれは……。まさか、私が経歴を詐称しているとでも仰るのですか? これは一種の脅迫ですぞ」
講壇の上に立ったまま、小人族の牧師は白ひげを大きく振り乱した。
「貴方の経歴を聴衆に公表するつもりはないし、そんな事に興味はないの。私はただ、船長としての経験について聞きたいと思って、貴方を訪ねたのよ」
「何ですと?」
牧師は私の左眼をじっと見つめた。その瞳には不信と興味の両方の光が入り混じっていた。
「船長としてと、仰っしゃりましたね。実は確かに私は奴隷船の船長でした。しかし、その頃から私は神の下僕として、敬虔な振る舞いを忘れた事は一度としてありません。これだけは先に申し上げておきましょう」
牧師はそう言って、右手で白ひげを撫で付けた。
「巷で言われるような、残虐な船長も存在します。彼らは奴隷を平気で殺し、水夫から恨みを買い、それでいて恐怖によって彼らを支配しているのです。私はそのような狂気に満ちた世界に疲れ果てました。幾度となく秩序だった艦の運営を試みましたが、最後には挫折し、そして聖職に身を委ねる覚悟を決めたのです」
それは懺悔のようにも聞こえた。
「続けて」
「……奴隷貿易には、他の交易と異なる点が二つあります。一つは密輸によって莫大な利益を生み出すこと。そしてもう一つはどうしても人手が必要になるため、水夫一人あたりの稼ぎが減ってしまうという点です。この二つは矛盾しているように思われるでしょう」
「そうね。利益を生み出しているのに、それが水夫にまで分配されないなんて、おかしな話ね。セバスチャン?」
「左様でございますな。まさか、船長が儲けを横取りしているのではないですか?」
「その通りでしょう。しかし、船長はどの交易においても最初に艦に縛り付けられ、最後まで離れることができない。言わば艦にとっての奴隷なのです。この点お忘れなきよう、ご理解いただきたい」
「つまり、船長は自分がもらうべき報酬をもらっているだけだと。そう仰っしゃりたいのね」
「ご明察の通りでございます。艦の幹部である船長や航海士、船医にのみ特別な手当を用意する船長がいるのは、その責任と権利においてそれが公正だと思われるからなのです。幹部には暗黒大陸の仲介業者との面倒な交渉や資金管理、奴隷の体調管理といった細々とした業務があります。船長たちは決して利益を貪っているわけではなく、彼ら自身の信ずるところ公正に仕事を行っているのです」
「でも、船長には水夫にもきちんと給与を支払うべき責任もあるのではなくて?」
「公女殿下様は何もご存知でない。水夫という生き物が、暴力無くして船長の制御下におられぬ現実を。彼らの中には、船長の言うことも聞かない、何処の馬の骨とも分からぬ者、素性の知れぬ者までおるのです」
先程まで若手の水夫を保護するため、奴隷貿易廃止を訴えていた人物の同じ言葉とは思えなかった。
「黒長耳族が陸上の奴隷であるならば、水夫は水上の奴隷です。この事、努々忘れてはなりません」
「仮にそうだとしても、水夫の扱いをより良くしたい。貴方はそう考えている」
「勿論ですとも。そのためには、奴隷貿易などという悪夢を終わらせなければなりません」
「私がその悪夢を変えると言ったら、どうするかしら?」
「そんな事は……。神に祈っても叶わぬ事です。神はいつまでも沈黙したままです」
そう言って、牧師は三角帽に手を伸ばした。
「祈るだけでは何も変わらない」
「……」
「私は、奴隷貿易を変えてみせるわ」
「それはそれは……どうかご武運を、公女殿下様。微力ながらご助力できた事を私、大変嬉しく思います」
「こちらこそ、話したくないことを話させてしまってごめんなさい。ありがとう、ニュートン牧師」
***
「何だって?」
水夫を集めていたエドは私の言葉を聞き返してきた。
「共同船長って、一体どういう意味だ」
「その文字の通りの意味よ」
「あんたは船主のはずだ。金を船長に渡して、後は全部任せてくれればいい」
「嫌よ」
エドは頭を抱えた。
「やっぱり、あんたは何も分かっちゃいない。狂った事を言い始めるっていうセバスチャンの言葉は本当だったわけだな」
「そうでしょう。私は嘘など一つもついておりません」
「セバスチャン! 貴方は私の味方でしょう?」
「いや、でもいきなり共同船長になって危険と隣合わせの航海に付いていくなんて言い始めたら、誰だって正気を失ったと疑いますとも。私は船医のままでも問題ないですが、いくらなんでも船主が船長になりたいなんて。共同船主のマネスティー様だって了承しないでしょう」
セバスチャンはティーポットを持ったままエドのほうへと歩み寄った。やはりこいつはとんでもない馬鹿者のようだ。
「大丈夫よ。船長として必要なことは全部、ニュートン牧師から聞いてきたんだから。大船に乗った気持ちでいてくれて構わないわ」
「何言ってんだ。いくら船主だからってなんでも自由になると思うなよ」
紅い瞳に静かな怒りを湛え、エドは食い下がった。
「エド、貴方だって船長として初仕事なんだから、航海士と兼務で大丈夫なわけないでしょう。私が船長としての仕事を肩代わりしてあげるって言ってるんだから、素直に聞きなさい」
「ああ、確かにその通りですね。船長初仕事が二人とは。全く先が思いやられる」
「お前は黙ってろ!」
「……」
エドは集めたはずの水夫候補を待ちながら、苛立ちを隠せないようだった。しかし、神経に障る仕事が少しでも減ることは、エドにとっても魅力があったらしい。私プラスどうでもいいセバスチャンの説得に応じて、エドはやがて船長代理という形で渋々、私が艦の運営に参画することを認めてくれた。
そしてその最初の仕事は、パウエルによる大工仕事の監督だった。