実家は奴隷商人です
さて、時間を現在に戻そう。
アルベマール公爵の地元デヴォンはエクスター大聖堂にて、ニュートン牧師の有り難い説教をいただいた私とセバスチャンは、空路でリヴァプールに向かうため竜機に乗り込んだ。
この時代の乗り物として陸路を移動できる最速の乗り物は竜車があった。竜車に対して竜機は空輸手段であり、竜車や馬車と異なり車輪はどこにもついていない。竜機では竜が熱気球で乗るようなバスケットを提げて、人や貨物を飛んで運ぶのである。竜機の乗り心地は揺れもあってあまり良いものではないが、空から絶景を味わうことができた。
「おぉぉぉえっ! おぉぅえっえ!」
空から絶景を……
「お嬢様、本当に申し訳……うおぇっぷっ! おえぇぇぇっ!」
乗り物酔いしない同乗者がいれば、空から絶景を味わうことができるだろう。竜の力強い羽ばたきによってデヴォンから北に一直線で山を越え、あっという間に竜機は奴隷貿易の聖地、リヴァプールへと到着した。
リヴァプールの異国情緒に触れ、私は望ましい艦を買うことになった。この世界の仕組みはまだよく理解していないが、艦の声が聞こえるという私の能力は非常に特殊なものであると、セバスチャンは太鼓判を押してくれた。
「古くから、人の作った巨大構造物の声を聞くことができる人々――街読みや城読みと呼ばれる人々がおります。彼らは街や城の声を聞き、その保守や運営に何が必要なのか直接聞き出すことができると言われているのです。最近では聖堂読みや艦読みもいると聞きます。しかし、対象物が語りかける相手は一人と決まっておりまして、同じ艦読みでも同じ艦から声を聞けるのは常に一人なのです」
それでは、私以外の他人は誰も私の艦の声を聞くことができないということになる。街読みにしても艦読みにしても、ある種の妄想と違いはないではないかと私は感じた。しかし、彼女は私の知らない情報をすべて知っていた。
艦を発注した船主、貿易商のジョゼフ・マネスティーが、ニュー・イングランドの植民地から、リヴァプールにいる代理人のジョン・バニスターに対して、どのような艦を発注すべきか事細かに指示した件について。マネスティーは現在交戦中のスペインやフランスの私掠船、そして海賊たちを考慮して、そこそこの速度が出て、しかもある程度の積載量と重武装を持つ、ほどほどの艦としてレディ・アデレイドを造船所に注文したという。
マネスティーの代理人であるバニスターは、共同船主の申し出を受けるつもりでいた。彼はレディ・アデレイドがあまりにも重武装なので、軍艦として徴用されることを恐れていたのだった。だから、共同船主の存在は願ってもないリスク軽減策に映ったに違いない。セバスチャンがあの手この手を使わずとも、話はすぐに片付いた。本来の値段の半額で、私は艦を手に入れることができた。
さて、問題は次の段階である。いよいよ艦の主を務める船長、そして航海士、船医、船大工、コックといった人員を集めなければならない。半月後にはレディ・アデレイドは艤装を装着し、大海原へと旅立つ準備が整うのだ。時間的な猶予は殆ど無い。
「一体、どうしたら優秀な必要な水夫を揃えられるの?」
私の問いにセバスチャンは自信ありげに胸を張って答えた。
「それは実に簡単です。まずは拘置所に行きましょう」
もうこの時点で生易しくない現実が横たわっていることは覚悟できた。リヴァプールの港で犯罪を犯し、牢獄にぶち込まれている奴を雇おうなど、あまりにも馬鹿げているように思える。しかし、背に腹は代えられない。ちょっと通りで水夫たちに声を掛けようものなら、酔っている振りをして逃げられるか、貿易事務所の仲介を通せと怒鳴られるのがオチだった。それほどまでに、過酷な奴隷船の水夫になりたがる者は皆無なのだ。
顔馴染みの船長でもいれば話は違ってくるのかも知れない。水夫たちはある程度信用の置ける人物でないと心を開いてくれないということは元航海士のニュートン牧師からも聞いた。しかし、信頼できる船長や航海士を探すのはさらに難航するように思えた。
確かに儲けはあるものの、今どき危険な奴隷船に乗って貿易を行おうなどということはリスクが高すぎるのだった。そのリスクを取ってくれる艦の幹部は、これまで代々奴隷貿易に携わってきたような家ばかりであり、既に彼らには自分の艦と仕事があるのだ。私たちのような新参者の下に馳せ参じる者はやはり皆無だった。
拘置所の冷たい地下牢で、私とセバスチャンは私たちの艦の未来を担う人材を吟味することになった。どいつもこいつも無気力そうで、中には未だに酔っている者もいる。これでは奴隷未満の働きしか期待できそうにない。
そんな中、独房に一人、まだ眼の光が死に絶えていない青年がいた。前の航海で失敗し、借金を返済できずに牢に入れられた竜人族の男の名前は、エドワード・スネルグレイヴと言った。
「そこの貴方?」
私はくすんだ黒髪の青年に向かって声を掛けた。青年は徐ろに角の生えた頭を上げ、紅く鋭い視線を私に向けた。
「俺に何の用だ?」
「貴方を雇いたいと思ったの」
「何?」
明らかに疑いに満ちた眼がそこにはあった。しかし、私の右眼は返すべき視線を持たなかった。
「保釈金なら全額、私から支払ってあげる。それに、少しばかり借金があるみたいだから、それも返済して差し上げるわ」
「正気か? 俺は、ただの航海士に過ぎない。曾祖父さんの時代から奴隷貿易なんかやってるような家柄だ。俺みたいな嫌われ者を、どうして雇いたいんだ?」
完璧ではないか。先祖代々の家業として奴隷貿易に従事してきた青年とは、これほど私のビジネスに相応しい男はいない。
「いいかしら? 貴方はこれから船長よ。一介の航海士ではなくてね。思う存分に働かせてあげる」
「はあ? あんた、本当に……何を言っているんだ?」
「私はアルベマール公爵グランヴィル家の公女。メアリー・グランヴィルよ」
私は牢獄の鉄柱越しに手を差し出した。
「メアリー・グランヴィル……」
口の中で何度も反芻するように、エドワードは私の名前を繰り返した。そして、ようやく私の手を握り返した。
「お高く止まった貴族の連中とは……少し違うみたいだな、あんた」
「少しも何も、全部違っていると思ってくれるかしら。ねえ、セバスチャン?」
「えぇ。お嬢様は元々、魔法の大家である由緒正しきグランヴィル家のご息女として英才教育を受けてきました。それがまさか、こんな身形の男にまで色目を使うようになってしまって……。すべては植民地の高熱が悪いのです。どうか、エドワード様もご理解ください」
「何のことだかさっぱりだが、俺は侮辱されたのか?」
「セバスチャン!」
「失礼いたしました。お嬢様はそこらの貴族令嬢とは一味も二味も違います。異世界から訪れたなどと冗談を飛ばしたと思ったら艦の声が聞こえると、とち狂った事を仰る。しかし、それでも公爵令嬢なのです。どうかそのことを努々お忘れなきよう。メアリーお嬢様への無礼はこのセバスチャンが許しません」
「狂った事って……お前が一番無礼じゃねえか」
「はい」
「はいじゃないが」
「申し訳ございません」
この長耳族の使用人がもう少し無能であったら陸の上に置いてきたところだが、あろうことか最も重要な船医としての素質があるがため、結局、手放すことができないのだった。これで船長兼航海士と船医は揃ったことになる。
「よろしく頼みます、エドワード」
「エドでいい」
保釈金を支払い、牢獄で放置されていた手荷物を受け取ったエドと私たちは、残る船大工とコック、他には砲手や甲板長といった役職の者たちを探すため、場所を拘置所から酒場へと移した。