俺たち懺悔はひと味違う
カーナーヴォン伯爵ジャック・ブリッジズの協力は得られたものの、問題は山積していた。どのようなビジネスを行えば資金を増やせるのか、私は全く見当がついていなかったのである。どうやら大英帝国のような国家、そして地理が私の元いた世界と似ているという感覚はあったものの、魔法や異種族の存在にはついていけない自分がいた。
「私に良い考えがあります、お嬢様」
アフタヌーンティーを運びながら、セバスチャンが耳打ちしてきた。そういう時は大抵、間違いなく駄目な方向に良い話であることは、セバスチャンとの短い付き合いからもすぐに分かった。
「土地が無くとも、即金で資金を増やすことができる事業がございます」
「交易でしょ? でも、美味しい海運業の航路はオランダ人が殆どを抑えてるわ。それに大英帝国の同国人だって侯爵のせいで協力してくれないし。家には艦だって無いでしょう」
「そこでこちらをご覧ください。現在、密輸してでも貨物を運ぶ業者が求められております」
そう言ってセバスチャンは一枚の小冊子を取り出した。そこには「暗黒大陸の黒長耳族、製糖業の奴隷にぴったり!」と書かれていた。紙質は最悪で、所々にコーヒーだか紅茶だかの染みがついている。
「まさか、同じ種族の人たちを売るっていうのか?」
私は思わず素の言葉遣いが出てしまった。
「や、勘違いなされては困ります。教会の教えを知らぬ者たちなど、十四代前まで先祖の名前を遡れる由緒正しき長耳族の風上にも置けない者たちですよ。唾棄すべき種族、それが暗黒大陸の黒長耳族なのです」
十四代もかかってセバスチャンのような馬鹿者を産んでしまった長耳族のほうが遥かに大きな失敗なのではなかろうか。私は喉まで出かかった言葉をなんとか飲み込んだ。
「それに、私の先祖は誇り高き鍛冶師です。森を焼くなどと言って火を畏れ、さらには火を操る者に怒りを向け、そして殺した連中と一緒にされる謂れはございません」
仮面越しに見えるセバスチャンの瞳には、静かな復讐の炎が宿っているように見えた。
「ちゃんと当てはあるんでしょうね……」
「勿論でございます」
セバスチャンが悪魔の囁きを続けた。
「お嬢様はお忘れでしょうが、アルベマール公爵の領地に、奴隷貿易から手を引いて聖職に進んだ牧師がおります。彼を頼れば、私たちは間違いなく一流の奴隷商人になれるでしょう」
そういうわけで私とセバスチャンは急遽、アルベマール公爵の地元、大英帝国のコーンウォール半島はデヴォンへと航海に出ることになった。
「いってらっしゃい」
「どうか息災でね」
「……」
「いってらっしゃいませー!」
両親と妹からの無気力な、そして義弟となるカーナーヴォン伯爵からのみ熱烈な見送りを受けて、私たちは大英帝国へと向かう艦に乗り込んだ。最後まで妹は沈黙したままだった。どうやら伯爵は上手く事を進めてくれなかったようだ。もどかしく、そして気まずい空気が流れる。
一方で、乗り込んだ艦の乗組員は当然のようにオランダから来た屈強な水夫ばかりだった。同国人の協力が得られない以上、仕方ないとは言え、些か肩身の狭い出発である。
イングランドに戻った後も、タウンゼンド侯爵の悪質で陰湿な根回しは続いた。どんな種族に道を聞いても、必ず便所に案内されるのである。なんとか公爵の地元デヴォンに戻ってから、ようやく私たちを歓迎する領民たちに出会ったものの、その頃には誰も信用できず、私たち二人はいつどこから便所に案内され始めるのかと警戒しきっていた。
「よくぞお戻りになられました。さあこちらへ」
年配の使用人に引き連れられ、アルベマール公爵の屋敷に入ったものの、私は全く落ち着くことができなかった。
「初めて来たわ……こんな大きなお屋敷」
優美な屋敷は隅々まで手入れされており、公爵の帰りをいつでも待っているようだった。
「何を仰っしゃりますか。お忘れかも知れませんが、幼少の頃にはここで遊んでいたのですよ。大きくなったお嬢様をお出迎えできて、私、本当に嬉しく思います」
年配の使用人からは感慨深くそう言われるが、本当に何も思い出せない。だって私は転生者だから。とはいえ年配の使用人の言葉に、私はある筈のない懐かしさを感じて心の奥底で泣いた。そして、私たちはどうにかこうにか使用人から情報を聞き出し、奴隷貿易から引退したという牧師がいる大聖堂へと辿り着いた。
エクスター大聖堂。地元の住民でその名を知らぬ者はいない巨大なゴシック式聖堂だった。外部から天井を支えるために飛び梁が据えられており、見るものを圧倒する高さが実現されている。エクセター管区の主教座聖堂であるこの大聖堂では、聖職者の叙任や貴族の受勲が欠かさず行われており、アルベマール公爵もその例に漏れぬ一人であった。
聖堂中央の身廊の奥では、一人の牧師が信徒用の椅子に座っていた。牧師は三角帽をかぶり、静かに祈りを捧げているようだった。
「牧師殿?」
セバスチャンが小さな牧師の背に向かって声をかけた。背の低い牧師は静かに振り返り、椅子からぴょんと飛び降りると三角帽を脱いで胸に置いた。
「公女殿下様ですか。お待ちしておりました。私のような者にお伺いしたいことがあるとか?」
牧師の言葉にセバスチャンが大きく頷いて応えた。すると、牧師は白髪の見事なカツラと小人族特有の長い白ひげから白粉が落ちるのも気にせず、大きく腰を折って深々とお辞儀した。
「私はジョン・ニュートンと申します。今は神の下僕として毎日の務めに励んでおりますが、かつて恥ずかしながら、奴隷船において水夫そして航海士として働いておりました。公女殿下様は私の話を聞き、きっと奴隷貿易廃止に賛成してくれるものと、私そのように考えております」
これから明らかに真逆の方向に突き進む予定なのだが、良いのだろうか。セバスチャンは知らぬ存ぜぬという態度で牧師の言葉を待っている。
「私思うに奴隷貿易の実相とは即ち少数による多数の支配です」
「なるほど?」
「船長による恐怖政治が、奴隷船を支配しております。その恐怖とは鞭打ちと時には奴隷船の周囲を泳ぐ鮫、そして最終的な死によって為されるものであります。この恐怖によって、水夫も奴隷も皆等しく船長に傅くのでございます」
ニュートン牧師は片手でしっかりと黒い装丁の福音書を握りしめた。
「数百名にも及ぶ奴隷を、積載量が高々百トンの艦を用いて暗黒大陸から新大陸植民地へと運ぶわけですが、その際に奴隷も労働力として活用せねばなりません。水上においても水夫の代わりを探す事は不可欠で、それすらも道中において奴隷に代わらせねばならないほど、人件費を低く抑える責務を船長は負うのです」
「そこまでして、貴方は何を得たの? 牧師」
私は疑問を口にした。牧師の眼には、どのような情熱も浮かんではいなかった。それは失望と挫折を意味していた。
「何もございません。すべては海底の闇に沈んでいきました。恐るべき奴隷船の実情を皆に知ってもらうため、大聖堂でも講義を行い、小冊子を印刷して配布させていただいております。公女殿下様は聡明なお方だと伺っております故、植民地の実情もよくご存知でありましょうが、しかし我々の豊かな生活それを支える者の悲惨な末路にも今一度、目を向けていただきたい所存でございます」
そう言って、牧師は「水夫の重労働反対! 今すぐ奴隷貿易廃止法案を採択せよ!」と書かれた、上質紙に印刷された小冊子を私に手渡すと、再び深々とお辞儀を繰り返した。時代は明らかに奴隷貿易廃止に向かって動いているように思えた。
「一応、参考に聞いておきたいのですけど」
「何でしょう。私にお答えできる事でしたら、何でも」
「艦は一隻あたりおいくらなのかしら?」
「そうですな……百トンの積載量を持つ艦であれば、今ならリヴァプールで五百ポンドは下らないでしょう。それよりさらに大きな方形の船形ともなれば、七百ポンド、さらに巨大な艦であれば一千ポンド、現在の価値に換算いたしますと二千五百万円程度でしょう」
「現在の価値?」
「失礼いたしました。為替相場の事は不勉強なものものでして、精々がこの程度という見込みになります。私立造船所にて建造を依頼すれば、恐らくその程度の額になりましょう」
艦の投資に最大で一千ポンド、二千五百万円とはあまりにも高額だった。しかし、単独で船主になることができずとも、共同所有という形で誰かの発注した艦の共同船主になることは可能だと、牧師は付け加えた。そうなれば、全資金を支払わずに済むし、航海が途中で失敗してもリスクを分散できる。
問題は共同船主がこのようなリスクを共に受容してくれるかどうか、そして本当に必要な艦が建造されているかどうかだった。
私たちはいよいよ艦を探すため、リヴァプールへと向かったのだった。