頼みの綱はジョージア州
目覚めると私は右眼が見えなくなっていた。見知らぬ天井を見上げ、自分が柔らかなベッドの中にいることに気付いた私は、はたして右眼がただのガラス玉になっていることを思い出した。にわかに視界と記憶がぼやけている。私が起き上がろうとすると、ベッドの傍らから聞き覚えのある声がした。
「お目覚めですか」
そこには仮面を被った男がいた。張りのある若々しい声だったが、仮面のせいで年齢は推測できない。仮面の男、セバスチャンは厳かな態度で私を見つめた。
「ここは?」
「サン・ルイスの宿です。倒れられた日から二日ほど、お休みになられておりました」
「そんなに」
どうやら使い勝手の異なる事をやらかしたようだった。海の神を倒してからの記憶がほとんど無い。とは言え、それでも十分に身体は回復したように思えた。私は立ち上がって深呼吸した。どこからか、潮の香りがする。
「戦闘の間に、我々が護衛していた竜機は大半が破壊されてしまいました。竜は飛び去り、積荷は海の藻屑に……」
そう言いながら、セバスチャンは懐から一通の便箋を取り出した。
「しかし、なんとか回収できたものもありました。ジョージアのジェームズ・オグルソープ様に、ジョン・ニュートン牧師が宛てた手紙です」
「勝手に読んだの?」
「読まずにはいられないでしょう。奴隷貿易廃止運動をしているニュートン牧師が出している手紙ですから。しかも、相手はジョージアを開拓した将校だそうですよ。これは間違いなく何かありますって」
セバスチャンには如何にもそういうところがあった。手紙を盗み読みするとは。しかし、提督のコエリョとの会談について聞くと、そうでもしない限りは突破口が見当たらないという現状も明らかになってきた。ブラジルが駄目なら、いよいよアメリカに行かねばならない。そこで確実に黒耳長族を降ろしてやらねば、我々が帰れなくなる。
「よろしいでしょうか。読みますよ。えぇっと、オグルソープ殿。かつてジョージアにて貴殿が奴隷禁止の法令を打ち立てた事を喜ばしく思います。しかし今日、ジョージアのサバンナ市でも奴隷貿易が再開されてしまいました。私は貴殿を支援し、英国本土の議会にて奴隷貿易の禁止を訴えたいと考えております。この機に、シエラレオネでの活動について詳しく連絡できればと思います。どうか、良いお返事をお待ちしております。草々……だそうです」
「だそうですって、言ってもね。シエラレオネに戻れって事?」
「嫌ですか」
「普通に嫌よ。というか、オグルソープって何者なの? 信用できるかどうかも分からないでしょう」
こんな手紙一通で、またしてもタッカーの地場であるシエラレオネに行こうなどとは思えない。それに、ニュートン牧師が頼っているオグルソープという人物の事も不明だ。タッカーのように歴史を真面目に学んでいれば、だいたいの予想はつくのだろうが、私の知識の中にオグルソープなる英霊は存在しなかった。
「とりあえず、オグルソープ様の下まで行ってみては如何ですか? そうすれば、きっと道も開けると思いますよ」
「物凄く不安しか感じないんだけど……。信用して良いのかしら、その言葉」
「最早、前に進む他に道はありません。我々が歩いた跡に、道はできるのです。前に立つ者はすべて排除するのみです」
「格好良い事言ってるけど、追い詰められている事は一向に変わらないでしょう」
「はい」
「はいじゃないが」
結局、私はセバスチャンの悪魔の囁きに導かれ、今度はアメリカ南部、ジョージアを目指す事になったのだった。十二月も下旬に入った頃、コエリョ提督から大量の補給物資と金十キログラムを受け取り、レディ・アデレイドを修理した私たちは再び錨を上げた。
(奴隷を売らないのに奴隷船を名乗り続けるのも、おかしな話ですね)
出港時、レディ・アデレイドは皮肉っぽく呟いた。考えてみれば、周囲が求めるものを載せておきながら、売却しない艦など全く不合理である。だが、海の神を討伐した事によって、ある程度はそのような無理も利いていた。傍から見れば、半ば奴隷に乗っ取られた形と言っても過言ではないだろう。
だが、水上の監獄はそれのみで成立する事は許されない。奴隷の運搬を通じてしか、存在できないものに過ぎないのだ。暗黒大陸と新大陸の中間航路を過ぎてなお、奴隷を運び続けるというのは果たして可能なのか。エドを含めた艦の幹部の誰もその行き先を知らない。それでも、私が針路を決めなければならなかった。
(どこまで行くのでしょうか?)
「彼らの安住の地が見つかるまでよ」
(どこまでも意固地なのですね)
「貴方と同じよ」
(私と貴方が?)
「貴方は戦いから逃げない。その矜持は氷のように固いわ」
(褒め言葉として受け取りましょう)
レディ・アデレイドは水夫の操る索具に従い、北西へと帆走した。カリブ海を抜け、やがてアメリカ南部へと近づく頃には、大英帝国による海戦の勝敗はすべて決していた。洋上に見えるのは大英帝国の国旗ばかりだ。スペイン領フロリダからの影響は海上では皆無に等しい。このまま行けば、クリスマスには海軍も休暇を取ることだろう。
そう思っていたのも束の間、私たちはサウスカロライナと接するサバンナ川の最下流、現在のジョージア州サバンナに相当する地域に到着した。ここでもまた招かれざる客として扱われるのか、それとも歓待されるのか、ジョージアを建てた張本人だというオグルソープに会うまでは分からなかった。
サバンナ川の北側に広がるサウスカロライナでは、広大な農場が広がっている。それらはすべて奴隷によって開墾されたものだった。しかし、川一本挟んで南のジョージアでは様相が違っていた。スコットランドから当地に移民した者たちは、ニュートン牧師と同じように奴隷貿易の禁止を企てているようだった。彼らは彼ら自身で土地を耕し、それを保持する事を目的としているようだった。
スコットランド人によれば、サバンナ川の上流に行くほど、奴隷制は大きく利用されているという話だった。ジョージアでは奴隷が不足している。もっと奴隷を輸入しなければ、サウスカロライナの発展を指をくわえて見ているだけになるだろうと、サバンナ市内では噂になっていた。英国本土から移民してきた農場主たちにとっては、処女地をどれだけ豊かにできるかだけが悩みのタネのようだ。
そんな状況下でも、サバンナ市内でオグルソープの名を知らぬ者はいなかった。オグルソープは国王陛下の勅許に基づいてジョージアを開いた男だった。彼の勇名はサウスカロライナからフロリダまで広がっていると、現地の英国人は嘯いた。
しかし、アルベマール公爵令嬢による商売を妨害しようとするタウンゼント侯爵の妨害は南部でも続いていた。海の神を倒した事は未だ本国には伏せていたものの、ワインを輸送するポルトガル人商人の中には、黒耳長族と結託した厄介者が存在する事を公に話す者もいたようだった。私が件の公爵令嬢だと知ると、英国人たちはすぐに視線を逸らせて逃げてしまうのだった。
結局、親切なスコットランド人の案内で、私たちはオグルソープと面会する事を許された。オグルソープはサバンナ市の邸宅で、私たちを夕食にもてなした。
「ようこそ、ジョージアへ。長旅でお疲れでしょう? 今日はゆっくりと晩餐をお楽しみください」
オグルソープは純白の翼を持った天人族で、英国議会の前議員でもあった。彼はポルトガルとの交易によるポートワインの輸出のおかげでジョージアは安泰だと述べたが、農場主の不満については言及しなかった。
「ブラジルで竜機を護衛していた時に、デヴォンのニュートン牧師からの手紙があって、貴方の名前を知りました」
「ニュートン牧師から? 彼も健在のようですね。どのような知らせか、読ませていただいても?」
セバスチャンが封蝋を丹念に元通りにして盗み読みの痕跡を消した便箋を、オグルソープは疑いもせずに受け取った。
「なるほど、シエラレオネですか。シエラレオネの奴隷は米作も得意だと伺っています。彼の経験からも、同様の意見だという事でしょう」
「実は、私たちはシエラレオネから奴隷として売られた黒耳長族七十人を運んでいるのです」
「奴隷貿易でしたか。農場主たちに競売にかけますか? 私は……あまりお薦めはしませんが、今は戦時ですから、奴隷商人であれば誰でも大歓迎でしょう」
ワイングラスを傾けながら、オグルソープは眉をひそめて言った。私は弁明するようにすぐに言葉を発した。
「私もです。オグルソープ様」
「ほう? 何がです?」
「私は彼らを奴隷として運んできたわけではありません。彼らの安住の地を探したいと思い、ここまで来たのです」
「……。その言葉が真実だとしても、ここは彼らの安住の地ではありません」
予想はしていたが、やはりジョージアも駄目か。私が諦めかけたその時、運命は再び私に味方した。
「英国人の価値ある貧者のため、私はジョージアを計画しました。その延長線上に、解放奴隷のための計画もあるのです」




