人、人、人の目がキミを追う
サン・ルイスのコエリョ提督から何の支援も得られないまま、私たちの作戦は進行した。まず、囮として天人族であるマグナスが雑用小船に乗り込む。そして、海の神が現れたら、マグナスが奴を引きつける。その間に私の艦読みによって奴の位置を特定する。その後はひたすら火力を押し付けて勝利する。
力づくにも程があるが、相手がどれだけの戦闘維持能力を保持しているか不明である以上、全火力で押し付けるのが正解だと私は考えていた。勿論、他の船員や乗組員たちも同意の上である。弾幕はパワー。パワー・イズ・ジャスティスである。
ありったけの砲弾を買い込んだ上で、私たちは半月かけて戦闘態勢を準備した。黒耳長族の水夫たちをサン・ルイスの要塞で訓練し、水兵と呼べる程度までボトムアップしたのだ。これはすべて自由を勝ち取るための戦いである。ヒューバも無論、そこに反対することは無かった。
「我々は既に一度、全てを失った。もう二度と、同じ轍は踏まない。そのために、この戦いで海の神を始末する」
彼は出来うる限りの言葉を以て、フータ・ジャロン王国の黒耳長族の村人を鼓舞し続けた。ここで戦わなければ、もう一度、全てを失うことになるのだ。女子供まで奴隷として再び売り払われることになってしまう。それを避けるには、海の神と戦い、そして勝利せねばならない。彼の言葉は端的だったが、黒耳長族たちを勇気づけるには丁度良いようだった。
そして、ついに出撃の日がやってきた。その日は竜機の速達郵便が交換される日だった。警備任務の時と同様に、竜機を見守るようにレディ・アデレイドは出港した。提督の見送りは無かった。彼はやはり、私たちの行為を自殺未遂のように考えているだけのようだった。
「海の神は絶対に竜機と天人族を狙ってくるわ」
私は甲板長のマグナスに向けて言った。
「ボート一隻で海の神の前に出るなんて……自殺行為デス……」
「それが自殺で終わらないように、私たちが全力で戦うわ」
「ハイ……」
マグナスには悪いが、これは作戦である。海の神が現れ、こちらを狙わなければ意味が無いのだ。マグナスは不安気な表情で、主甲板の上で帆布が積まれた雑用小船を振り返った。雑用とは言え、そこには旋回砲も装備されている。対人兵器を積んだ戦闘用の小船なのだ。ただし、それで反撃できるのは精々、大型の鮫までだった。
海の神を倒すには、レディ・アデレイドの火力が絶対的に必要である。私の目が節穴でなければ、相手は巨大な鯨だ。それも魔法によって自身を透明化している。一回や二回の砲撃で倒せるほど、虚弱な生物ではないはずだった。
「本当に倒せるのでショウカ……」
「心配いらないわ。魔獣とは言っても、相手だって生き物のはず。殺せないはずはないわ」
私が雑用小船から帆布を剥ぎ取ると、小さな悲鳴が下から響いた。
「マーサ?!」
そこにはヒューバの娘、マーサが丸くなって潜んでいた。
「なんでこんな所に……」
「私も戦うわ」
「ヒューバは子供を連れてこいなんて言ってなかったでしょう」
「私も聖職者の娘として、魔法を使える。皆のために戦えるわ」
マーサの眼は真剣な光を帯びていて、そこに子供らしいあどけなさは一切無かった。彼女は戦いに来たのだ、本気で。しかし、子供まで命の危険に晒すわけには行かない。
「ありがとう、マーサ。貴方は勇気があるわ。だけど、それは今は取っておいて。船長室で、私が良いと言うまで待っていて」
「私だって魔法を使える。子供扱いしないで」
「……戦いは私たちに任せて。どうか分かって」
「嫌」
「マーサ? 一体どうやって……」
下甲板に繋がる階段を見ると、ヒューバが唖然とした表情で立っていた。その顔には明らかに動揺が見て取れた。ヒューバに向かって、マーサが現地語で声をかけた。
「名有る奥」
「名有る? 絵米良化豆々!」
何を言っているのかは雰囲気で察せられた。戦うなど以ての外だと、ヒューバは言いたいのだろう。ヒューバはボートまで歩み寄ると、マーサの腕を引き、船長室へと連れて行こうとした。それでもマーサは抵抗の様子を見せた。ヒューバはついに言葉ではなく、平手で娘を打った。
「ッ!」
マーサはただ驚いた面持ちで父親を見ていた。ヒューバは苦々しい表情で娘の顔から目を逸らせた。
「はしたないところを見せた……すまない」
ヒューバはそれだけ言うと、マーサの腕を引っ張って船長室へと下がっていった。
その時だった。背中を悪寒が這い回るような感覚が、私を支配した。最早それは人という生き物の本能的な直感だった。
(奴が来ますよ)
レディ・アデレイドもその気配を察知している。海の神が、来る。
「マグナス、さぁ行って!」
マグナスが雑用小船に乗り込むと、水夫たちはすぐに海面まで雑用小船を降ろした。索具で繋がれているとは言え、海の神による攻撃を受ければ、ボートはすぐに転覆してしまうだろう。これは時間との戦いでもあった。
(魔獣は……狙……って……)
海の神に襲われた船舶の残骸。その微かな声が南東の方向から響いてきた。奴は風下に陣取っている。チャンスだった。
「奴は南東にいるわ! 砲撃の準備を!」
突如、ボートの真上に黒雲が湧き始めた。やはり海の神はそこにいるのだ。私は神経を研ぎ澄まし、船長室で艦の声を追った。マグナスの乗るボートが南東へと進んでいく中で、刻一刻と砲撃の準備が行われる。チャンスは何度あるか分からない。一撃で勝負を決められなければ、攻撃し続ける必要があった。
私が船長室のバルコニーから外を見ると、飛んでいた竜機が何かにぶつかるような挙動を見せた。間違いない。奴は目の前にいるのだ。
「奴は竜機の真ん中にいるわ!」
私の叫びに、艦が方向を変える。右舷の砲列が姿なき魔獣へと揃って向いた。
「ッ撃て!!」
エドの号令を合図に火砲が轟き、砲弾が上空に放たれた。そして、瞬時に空中で爆散するのが見えた。
「命中しておるぞ! 奴は船長の指示通り、南東におる!」
ラスボーンが興奮気味に叫んだ。私たちはついに海の神を捉えたのだ。
『GUGYAAAAA……――』
魔獣のものと思われる咆哮が、黒雲の向こうでこだました。その轟音は火砲にも勝るとも劣らない音量だった。しかし、どうやら私たちの攻撃は有効打になっているらしい。
「第二射を準備!」
間髪入れずに次なる砲撃の斉射が開始される。爆裂する砲弾がまるで雨あられのように、見えない対象に向かって発射される。やはり弾幕はパワーだ。だが、私たちの喜びは長続きしなかった。突然、火砲の轟音は海面の水飛沫へと変わった。対象を失った砲弾は、虚しく海の中へと吸い込まれていく。
「どういう事……?」
まさか、奴は瞬間的にどこかへ移動したのか。周囲の轟音で艦の声も聞き取れず、私は完全に海の神を見失っていた。
次の瞬間、レディ・アデレイドの後甲板で怒号が上がった。索具が軋み、三角帆がバラバラに引き裂かれていく。私は思わず船長室の中へと下がった。その刹那、バルコニーの柵が破壊されたのは同時だった。反撃された? まさか、いきなり後ろに回ったというのか? 一体どうやって――
転移魔法。
「奴は転移魔法を使ったのでは? それでいきなり、艦の後方へ移動を……!」
セバスチャンが壁に張り付いたまま呻いた。そんな魔法まで使うと言うのか。浮遊、透明化、暴風雨、そして転移。海の神はまさに魔獣の頂点だった。あらゆる魔法を駆使し、挑む人間を弄ぶ。一体どうやって、そんな相手に勝てばいいのか。
バルコニーの外では、予備の雑用小船が流されていくのが見えた。このままではマグナスが危険だった。
「早く、マグナスを退却させないと……!」
「お嬢様は船長室にいて下さい! 危険です!」
「私が行くわ!」
マーサが一瞬の隙を突いて、隠れていたベッドから飛び出していった。
「駄目!」
私の叫びに背を向けて、マーサは船長室の扉に手をかけた。扉が開かれると、主甲板の上で見えない何かがのた打ち回る様子が目に飛び込んできた。
「マーサ! 来るな!」
主甲板の上ではヒューバを筆頭とする黒耳長族たちが見えない何かと戦っていた。放たれる魔法は透明化した尾ひれの輪郭を捉えるものの、それが致命打となることは無かった。
死闘の中、ヒューバの声がマーサを止めることは無かった。マーサは血みどろになった主甲板の上で呪文を唱え、マグナスが乗るボートへと瞬時に転移した。そして、彼女はマグナスを抱えると、すぐに主甲板へと転移魔法で戻ってきた。
「マーサ!」
ヒューバがマーサの名前を叫んだ時、彼女たちの着地点には、水飛沫と共に透明な尾びれの輪郭が迫っていた。




