でかい生き物はだいたいやばい
海の神の狙い。それは翼の生えた生き物。俺の予想が当たっているのかどうかは、俺たち自身が既に身をもって知っていた。レディ・アデレイドは再び空中へと投げ出され、俺たちは落下の衝撃に備えて艦の固定部分にしがみついていた。
「竜機が狙われるだけじゃない! 天人族も狙われるんだ! だから、艦も狙われる!」
俺はメアリーと共に船長室のベッドを掴んだまま言った。船体が大きく揺れ、海面に叩きつけられる。船倉の最下部に積んだ脚荷のおかげで、レディ・アデレイドは辛うじてバランスを保っているが、それがいつまで続くかは分からなかった。
「どうすればいいの?」
「船首像を捨てるんだ! 急ぐぞ!」
そう言って、揺れが収まった瞬間に俺は船長室から飛び出していった。メアリーも俺についていこうとしたが、腰が抜けて動けそうになかった。彼女は船長室にいたままのほうが安全だろう。
「パウエル!」
「なんだ? ようやく攻撃か?」
濡れ鼠になった狗頭族は帆柱にしがみついたまま叫んだ。
「船首のセレスティアを切り離せ! 急ぐんだ!」
「はぁ? 何言ってやがる?!」
「奴は翼の生えた生き物を狙ってる! このままじゃ俺たちの艦は奴の餌食だ!」
「本当かどうか分からねえが、助かるなら何だってやってやる!」
パウエルは下甲板へと戻り、大工道具を持ってきた。その間にも、周囲の天候は悪化の一途をたどり続けている。雨水と雹が降り注ぎ、最早、主甲板の上では立っていられない。そのような状況でも、下甲板では砲撃の準備が整っていた。
「奴は雨雲の中なのか?」
「分からん」
「どうにか奴の姿を捉えないと……」
「それができれば苦労せん」
ラスボーンは望遠鏡を覗き込みながら短く返答した。ただ闇雲に攻撃したところで、海の神に攻撃を命中させることは不可能だった。奴の姿は黒雲に紛れているのか、それともメアリーが言うように透明なのか、どこにも見つけることはできなかった。こうなってしまってはただ奴から逃れる事を優先する以外にない。
「パウエル! 急げ! とにかく船首像を切り離すんだ!」
「分かってる! 誰か手伝ってくれ!」
主甲板に出ていた黒耳長族が船首に陣取ったパウエルに取り付こうとしたその時、レディ・アデレイドの船体が大きく揺れた。その揺れによって、一人の黒耳長族が船外へと投げ出される。その一瞬の出来事に動じている暇は無かった。
パウエルは鋸を船首像に当てると、必死でそれを挽いた。
「誰か俺を抑えてくれ! 誰でもいい! 足を掴んでくれ!」
パウエルの必死の要請に、黒耳長族の水夫が応じる。余っている索具を身体に縛り付け、命綱代わりにしたまま作業が続く。狂ったように吹き荒ぶ水飛沫を浴びながら、パウエルは鋸と斧を振るった。どちらのほうが効率的かなど、考えている場合ではなかった。
「また――浮かび――上がるぞ!」
誰かの叫びが途切れ途切れになりながら主甲板にこだまする。一刻の猶予も無かった。
「掴まれ!」
「ぐずぐずするな!」
男たちの雄叫びを打ち消し、海の恐怖が跋扈する。そこでは死だけが運命の支配者だった。船体から投げ出された者は、助けることなど到底できない。その恐怖に足が竦む者がいても、誰が責めることができようか。
「早くしろ!」
「もうすぐだ! もう切り離せる!」
パウエルの叫びに、船首像が軋みながら応える。パウエルが斧を振るうと、船首から切り離された像は海面へと落下していった。船首像は銀色に塗装された櫂を握り締めたまま、海面で浮き沈みを繰り返した。
「やったぞ!」
その時、今までの狙い澄まされたような艦の浮沈が、嘘のように止まった。それは海の神の狙いが船首像であったことを物語っているようでもあった。
「さっさとこの海域から離れるんじゃ!」
ラスボーンが合図すると、大砲にしがみついていた水夫たちが索具へと手を伸ばし始めた。暴風雨の中でもレディ・アデレイドは帆を大きく張り、南へと舵を切った。レディ・アデレイドの後方で、荒ぶる海から生まれたハリケーンが船首像を巻き上げて行くのが見えた。
「破滅……」
下甲板に隠れていた甲板長のマグナスが、主甲板の様子を伺いながら呟いた。
「破滅デス……」
「お前は隠れてろ。奴の狙いは天人族だ。見つかったらまた面倒になる」
「ハイ……」
俺の命令に、マグナスは視線を泳がせながら下甲板へと下っていった。
***
「全員引き揚げろって、どういう事よ!」
海軍提督のコエリョの言葉に、メアリーが激しく反応した。サン・ルイスの要塞に戻って、警備任務の報告をしたところだった。
『今言った通りだ。奴の狙いが分かった以上、君たちを何時までもここに留める理由は無いだろう。狙われるかも知れないのだから』
「だからって、子供や老人を乗せて、今すぐに立ち去れなんてどうかしてるわ」
メアリーの反論も尤もだった。海の神の狙いが天人族だと分かった途端、提督は狙われる原因だとでも言うように、俺たちを扱い始めた。ここでさっさと厄介払いしておかないと、要塞まで危険に晒されるというのが彼の言い分だった。
しかし、そんな事を言われたところで、素直にはいそうですかと応じるわけにはいかない。海の神の脅威が無くなるわけではないのだ。いずれ誰かがこの先、海の神に襲われる事になるだろう。
『有り難い事に、フランスやオランダはまだ海の神が天人族を狙う事を知らない。奴の存在は陽動に使えるだろう』
「ふざけてるのか?」
こんな事を言っている場合ではない。俺は提督に食って掛かった。
「奴を始末するのが、海軍の役目だろう」
『残念だが、あのような化物に時間を割く余裕は無い。君たちも分かるだろう。あんなものに太刀打ちできないことくらいは』
「いいえ。貴方がやらないのなら、私たちがやってやるわ」
メアリーの言葉に、今度は提督が目を見開いた。何となく予想はついていたが、メアリーは無理を通せば道理が引っ込むとでも考えているようにしか思えなかった。だが、黒耳長族の肩を持つと彼女が決めた以上、相手がたとえ海の神だったとしても、それが揺らがないという事は分かっていた。
『信じられん。我々は自殺を支援しない』
「海の神を狩れば、問題は片付く。そうでしょう?」
『それが有り得ないと言っているのだ』
勝算があるのか、それとも単なるハッタリなのか。メアリーの正気を疑いたい気持ちはあった。しかし、それでも俺はメアリーを信じたかった。ただそれだけしか、希望は無かった。
「お嬢様。今回ばかりは考え直してください。相手は姿も見えないのですよ」
「それは貴方たちだからよ」
「どういう意味です?」
「魔獣は透明化の魔法を使っている。そうやって姿を隠した上で、ハリケーンや雨雲の中に隠れている。拍子抜けの臆病者よ」
「しかし、攻撃できない事には変わりないのでは?」
「私には聴こえるのよ。かつて襲われた艦の声が」
「ということは……」
「奴のいる場所が、私には分かる。どこを攻撃すべきか私には分かるのよ」
提督はメアリーの言葉に対して、当然ながら首を縦には振らなかった。現実の問題として、艦読みの能力など当てにしていたら、命がいくつあっても足りない。
『そうだとしても、それは作戦とは呼べん。君には分かるかも知れないが、それに協力できるわけではない』
「あらそう。貴方が提督だった事が、ポルトガルにとって最悪の事態にならない事を祈るわ」
たとえ提督の賛同を得られなくても、メアリーは自分の能力に自信を持っているようだった。
「ここで戦わなければ、明日も明後日も竜機や、それ以外の商船も襲われ続ける」
俺の言葉に、提督は眉をひそめた。
『だからと言って、死人を悪戯に増やすことはできん』
「だったら、俺たちだけでもやるしかない。他の、未来の商船のためだ」
『……好きにするが良い。ただし、君たちが帰ってこなければ、残念だが黒耳長族たちは奴隷として連行させてもらう』
そう言い残して、提督は席を立った。




