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雪やこんこん

「あははは!」


「待てってば!」


「やめろ! 主甲板を走るんじゃない!」


 主甲板を子供が走り回る。歓声とともに水夫の罵声が飛び、主甲板が一気に騒がしくなる。それが今のレディ・アデレイドの姿だった。


 フータ・ジャロン王国の村人たち七十人が加わってから、艦は大忙しになった。彼らが病気にならないように、エドとラスボーンの航海士二人、そして甲板長のマグナスと船医のセバスチャンは協力しながら仕事にあたっていた。それでも、毎日のダンスや運動の時間の割当はあまりにも短く、それ故に塞ぎ込む者も少なくなかった。


「どうですか? 大丈夫ですか?」


「……!」


「暴れないで! 鎮静魔法を使いましょう」


 セバスチャンは村人たちの中から、何らかの精神異常を見つけるために必死になっていた。それが彼の使命ではあったが、言葉の壁と微妙な種族の違いは、彼らの反抗を招くことも少なくなかった。


「あまり魔法を使うことも無いと思いマス……平気でショウ」


「マグナス様。お願いです。彼に魔法を使うと話してください」


「……分かりマシタ」


「待ちなさい、セバスチャン」


 私が村人に魔法を使おうとしたセバスチャンを止めようとすると、セバスチャンは驚いて目を見開いた。


「何故、お止めになるのですか?」


「彼は嫌がっているように見えたから」


「そうならないように、魔法を使いたいのです」


「彼らはヒューバには従うわ。彼の言葉があれば、もう少し落ち着くと思うの」


「……お嬢様がそう仰るのであれば」


 業務中、セバスチャンは私に対しては常に従うようになっていた。ただし、それは奴隷船という特殊な環境におけるヒエラルキーに従っているからであり、普段の彼は相変わらずの馬鹿者だということは付け加えねばなるまい。


 塞ぎ込んだ村人に対しては、ウーヌス――ではなくて、ヒューバの言葉が最も効果的だった。イスラム教に教化された村人たちにとっては、聖職者(イマーム)の教えこそが救いなのだろう。


 フータ・ジャロン王国の人々は自分たちがどこに向かおうとしているか、きちんと理解しているわけではなかった。そして、それは私たちも同じだった。私たちの航海は暗く(おぞ)ましい奴隷貿易のはずだったのだが、七十人の村人は手枷足枷も嵌められずに、船倉や下甲板で待機している。どこで彼らを降ろすべきなのか、私は未だに悩んでいた。


 彼らは基本的に自由に下甲板を動き回ることができた。その事実は水夫たちに只ならぬ悪寒と恐怖を芽生えさせた。奴隷が自由になれば、最初にやることは脱走だった。それは流血を伴う反乱にまで繋がるのが常だった。だからこそ、水夫たちは奴隷たちの協力や結束を恐れていた。奴隷同士の協力から、水夫たちの恐怖を低減させるために、奴隷貿易では異なる言語を使う部族から少数ずつ奴隷を買うのが一般的だった。


 しかし、今の所、村人たちに反乱の兆候は見られなかった。聖職者(イマーム)であるヒューバの徳の高さ故なのか、彼らは水夫たちに従うことはあっても、反抗することは殆ど無いようだった。村人たちの中には英語を理解している者もおり、特に子供は持ち前の好奇心で英語をすぐに習得していた。


 また、奴隷船の船長は自分が水夫たちのトップであることを隠すために、わざと船長室に籠もる者も少なくなかった。そうやって乗組員の背後で奴隷を扱い、その虐待に対して目をつむるのが一流の船長(・・・・・)のやり方だった。しかし、私は逆だった。村人たちがレディ・アデレイドに乗ってからは、頻繁に主甲板の様子を見ることにしていた。


 その理由は、私には艦に乗ったすべての人々に対する責任があるからだった。それを忘れれば、レディ・アデレイドも他の奴隷船と同じ運命を辿ることになるだろう。自分の始末は自分でつけなければならない。


「こら、ガキども! 走り回るな!」


「ほら、捕まえてみなよ!」


 子供たちに翻弄され、新米の水夫たちは作業を中断せざるを得なかった。水夫にとっては重大な事故に繋がりかねない主甲板での作業も、子供にとっては単なる遊びの一部でしかなかった。


「こら! 待ちやがれ!」


「あははは!」


 ふと私が前甲板を見ると、子供の輪に加わらず静かに佇む黒耳長族(ダーク・エルフ)の少女の姿があった。その表情は氷のように冷たく、生真面目な雰囲気が漂っている。私は吸い寄せられるように少女の下へと向かっていた。


「何を見ているの?」


 私が話しかけると、少女は小さく呟いた。


「皆」


「貴方は皆と遊ばないの?」


「そんな気にはなれない」


「どうして?」


 私の質問に、彼女は目を伏せた。


「ここが奴隷船だから……」


「……」


「貴方は船長なんでしょ?」


 少女の眼が真っ直ぐに私を見据えた。その眼に応えるだけの光は、私の右眼にはなかった。


「知ってるわ。私の母がボートで連れて行かれるのを見たから。だから、今度は私の番なんだって……」


「御免なさい……そんなつもりじゃなかったの」


「いいの……。でも、他の子たちには言わないで。父も子供には話してないから」


「父? お父さんは誰?」


聖職者(イマーム)。父は聖職者(イマーム)なの」


 つまり、ヒューバの妻は奴隷として売られた? 妻を奴隷として売られ、自分自身も家族と別れて奴隷として売られるとは、あまりにも(むご)い仕打ちだった。ヒューバのこれまでの人生を思うと、胸が締め付けられるような感覚がした。


「分かったわ。約束する」


「ありがとう」


 少女は僅かに笑みを返した。私は彼女にそれ以上、何を答えれば良いのか分からなかった。


 奴隷貿易では親子であっても離れ離れに売られることも珍しくない。しかし、そんな事をすれば、奴隷たちが著しく精神衛生を欠いて体調を崩すことなど目に見えている。その結果、彼らは自殺を図って海に飛び込み、鮫の餌となる事も少なくないのだった。


 奴隷船の周囲では、処理された排泄物を求めて複数の鮫が常に蠢いていた。それは大洋であっても沿岸であっても同じことで、雑用ボートですら鮫に襲われることは珍しくなく、雑用ボートに装備された旋回砲は対人、対鮫の両方で使用されるのだった。


「少し魔法を試してみましょうか」


 私はそう言って、前甲板の下にいる鮫を指差した。そして、海面に向かってレフリングの忘れ形見である環境魔法を唱えた。無事に詠唱が成功すると、見る見るうちに黒雲が喫水線上に漂い始めた。


 やがて黒雲は稲光を生じ始め、海面に飛び出している鮫の背びれを雷が直撃した。鮫は雷雲から逃れようと、海底へと沈んでいった。少女はその様子を見て眼を丸くしている。


「どうやったの?」


「貴方も知りたい?」


「うん」


 少女は先程よりも少し元気になったように見えた。


「貴方のお名前は?」


「マーサ」


「マーサね。私はメアリー。よろしくね、魔術師の見習いさん」


「本当に魔法を教えてくれるの?」


「私も習ったばかりだから、教えるのはいい機会だと思うの」


「私でいいの?」


「良いのよ。私と貴方は友達よ、マーサちゃん」


「友達……」


 マーサはゆっくりと「友達」という単語を繰り返した。孤独な少女の顔に、明るさが戻ってきたようだった。


「じゃあ今度は……」


 私は次なる魔法のターゲットを決めた。


「ですから、お嬢様は全員の面倒を見たいと言って、船長室からお出でになっているのです」


「駄目だ。いつ裏切るかわからないような連中の前に、ノコノコ出ていくような真似をさせるな。セバスチャン、お前がメアリーを止めろ」


「そんな事は私に言わずに、直接お嬢様に仰ってください、一等航海士(・・・・・)様」


「それは……その、俺よりはお前のほうが話しやすいだろうから……」


「あ、何か後ろめたい気持ちを隠しておりますね。私には分かりますよ。そういう時は瞬きが多くなるものです」


「う、(うるさ)い! 何でも良いから、メアリーを説得しろ! それが使用人の務めだろ?」


「そんな事まで他人の口を介して言わせないでください。それに、貴方は一等航海士ではないですか。私より職掌が上なのですから、貴方から言うべきです」


「だ、だからそれが……冷た! 何だ、これ?!」


「ちょっと! 話を逸らさないで……って冷たい! 赤道付近で暑いはずのに……冷た!」


 至極どうでもいい事で口喧嘩をしている二人を、雪雲が直撃した。その光景を見て、黒耳長族(ダーク・エルフ)の子供たちが大はしゃぎで笑い始めた。

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