レジェンド・オブ・海の神
「今日の取引は実りあるものとなりました」
昼食の席でタッカーが私に話しかけてきた。タッカーの邸宅での昼食は立食パーティで、少し落ち着きに欠けていたが、それは彼の下に馳せ参じる商人たちの人数を考えれば仕方のないことのようだった。タッカーは周囲に群がる商人を無視して、私の下へやってきたのだ。タッカーの周囲では三人の妻たちが代わる代わる、タッカーの口元に飲食物を運んでいた。まるで専属の給仕のようだ。
「七十人の奴隷を売れたんだから、そうでしょうね」
私の刺々しい反応にも、タッカーは上機嫌のまま話を続けた。
「貴方の甲板長についても話を聞きましたよ。天人族を乗せた艦とは、本当に幸運です」
そう言いながら、タッカーは妻が差し出した果実を口にした。
「どうしてそんなに天人族が特別なの?」
「ご存知ではないのですか。それなら少しお話しさせていただいても?」
「えぇ」
「この世界には幾多の種族が存在します。狗頭族、樹人族、長耳族……。皆、多種多様な特徴を持っております。一方で、あらゆる特徴を欠いている、その種族は基礎族と呼ばれています」
タッカーの言う事をまとめると、要するに基礎族は天人族に似せて作られた種族であり、逆に言えば、天人族こそが最も優れた特徴を持つ上位の種族であるということだった。
そこには異世界なりの理由があった。宗教こそカトリックやイスラム教がある故に、聖書で語られる神話はありのままの事実として受け入れられている。聖書で言及される天使は即ち天人族であり、そこから生まれたのが基礎族であると。そう考えてしまえば、上手く説明がつくのだった。
そして、異世界の聖書では、基礎族が天人族の教えに従って、大洪水の際に方舟によって救われた動物や植物と交配した結果、あらゆる種族が生まれたのだと説いていた。天人族、基礎族、そして多くの種族たち。その立場は思想に大きく影響していると、タッカーは説明した。
「それで天人族は、艦のお守りみたいに扱われるわけね」
「その通り。天人族は方舟の救い主であり、たとえ現実にどのような者でも、艦を正す者として丁重に扱われるのです」
タッカーの話はなかなか興味深かったが、それが現在の船乗りにまで浸透している理由は分からなかった。
「この話の続きを知りたいですか?」
「是非」
タッカーは上機嫌で私の反応を見ていた。妻たちに酒を勧められるだけ呑み、酒に酔って話上戸になっているようだった。
「海の神は間違いなく存在しています。それは魔獣なのです。魔法を操る獣と書いて、魔獣です。今までに数多くの艦や竜機を難破、墜落させ、沈没させてきました。その恐るべき魔獣こそが、船乗りが最も恐れる海の神なのですよ」
タッカーの眼には、私を試すような光が宿っていた。
「魔獣……」
「魔獣を狩ることができた者は一人もいません。ただ、天人族のみが魔獣を鎮めることができると、船乗りは信じているのです。生存者の話では、天人族の祈りと自己犠牲によって魔獣を鎮めることができると言われています」
「貴方もその話を信じているの?」
「私は実業家です。非科学的なことまでは信じていません。しかし、海の神によるリスクを計算に入れなければ、商売が成り立たないことも事実です。カリブ海を渡る艦や竜機の多くが、海の神を見てきました。折角の積荷も、大西洋を渡らなければ意味がありません」
「……何故、その話を?」
「貴方が得意先になったからです。事前に脅威の存在について知っておくべきでしょう。はっはっはっは!」
タッカーが高笑いすると、周囲で三人の妻たちもさざ波のように笑った。その動きに呼応するように、周囲の商人もタイミングを合わせて笑い声を上げる。ただ一人、私だけが笑いの波から取り残されていた。タッカーはそれだけ話すと、私の近くから離れていった。
「海の神、か……」
「ご心配には及びませんよ。たかが一匹の魔獣です」
どこからともなく現れたセバスチャンは、私を勇気づけるように言った。しかし、タッカーが話題に出した時点で、無視できるような存在ではないことは明らかだった。
タッカーは『心読み』によって他人の心が分かるが故に、ある意味で孤独なのだろうと思えてきた。タッカーが自分から話題を深掘りすることは稀だったようで、周囲の商人たちの空気は、私の存在を異物と見なしたようだった。そのせいか、セバスチャンの他に私に近づいてくる者はいなかった。
「そうは言っても、魔獣はいるわけよね」
「ニュートン牧師は魔獣について話していませんでしたし、遭遇することは滅多に無いのかも知れません」
「貴方は魔獣について知っていたの?」
「いえ? しかし、公爵の邸宅にも魔獣はいましたよ」
そう言って、セバスチャンは電撃を放つ鼠型の魔獣や、風を操る鼠型の魔獣について話した。鼠ばっかりじゃねぇか。それらは小型の動物が、何の理由かは分からないが魔力を持ったもので、害獣以上のなにものでもなかった。しかし、海の神は全く規模が異なる、一種の天災に近い恐ろしさがあった。
「そんな恐ろしい魔獣がいれば、海軍が討伐に出てもおかしくないと思うのですがね。そういう話にならない以上、見つけること自体が困難であると考えたほうが良いのかも知れませんよ」
「そうなるとますます恐ろしさが増すような気がするのだけれど」
「タッカーはお嬢様を怖がらせようと、そういう話を持ち込んできたのでしょう。しかし、我々の艦には天人族がおります。きっと、海の神だって鎮められますとも」
セバスチャンがワイングラスを掲げながら言った。陽気なのは結構だが、主人としては目立って恥ずかしいから、少しは自制してほしい。
とはいえ、セバスチャンの言う通りでもあった。そう。重要なのはそこなのだ。天人族ならば、海の神を鎮めることができる。タッカーはそう言っていた。それは、これからの航海に対する励ましなのか、それとも単なる冗談なのか。私には彼の心を読むことはできない以上、どちらなのか見当がつかなかった。
***
シエラレオネを発つ前に、私はレフリングから魔法の手解きを受けた。セバスチャン曰く実利が無いという環境魔法について学び、私はそれを操ることができるようになった。僅かな範囲で霧を生み出したり、雪を降らせたりできる。
何とか魔法を習得できた日、シャワーを浴びていつも通りに一杯引っ掛けていた午後に突然、私の前にウーヌスが現れた。未だ、彼の仲間の多くは手枷足枷を嵌められたままの状態だった。私の前に立つウーヌスの眼には、感謝とも怒りとも言えない、微妙な光が漂っていた。彼の微妙の視線の原因は、私がまた一糸まとわぬ姿だったことも理由として挙げられるだろう。
「おい」
「はい?」
「服、着ろ」
「あ、はい」
今、もしかしなくても英語を喋った? ウーヌスは英語を習得したのだろうか。有り難いご指摘通り、私は赤面しているウーヌスの目の前でさっさと服を着た。
「貴方、英語を喋れるようになったの……?」
「違う。元から知ってた」
「え?」
「お前が信用に足る人間かどうか、見極めたかった」
「はぁ……それはどうも」
なんとも言えないタイミングでのカミングアウトではあったが、一応、私がウーヌスから信用されているらしいことは分かった。
「お前に頼む。私の真の名はヒューバ・サルーメナ。私はイマームとして、彼らを導かないといけない。それが奴隷になる道であってはならない!」
「……貴方が命じれば、彼らは言う事を聞くのね?」
「そうだ」
「だったら、何とかなるかも知れないわね……」
「本当か?」
「全部が全部上手くいくとは思えないけど……やってみるしかないわね。貴方たちは仲間の命の恩人だもの」
十一月の頭。シエラレオネを発つ時、私たちは七十人の捕虜に奴隷としての手枷足枷も嵌めずに、ついにアメリカを目指して帆を上げたのだった。




