令嬢博物学者
仲間と共に儀式に臨む際、私は初めてウーヌスの笑顔を見た。
タッカーの下から解放された仲間とともに、イスラム教の高位聖職者、イマームとしてウーヌスは復活の儀式を行った。それはイスラム教の教えとは全く異なるもので、供犠として動物の血まで必要とする、いわゆるカルトだった。しかし、それでも狗頭族の船大工、パウエルはあの世から蘇ったのだった。
エドを始めとする艦の仲間たちは大いに喜び、仲間の復活を受け入れた。それがカルトであっても、結果は最高のものだったのだから。しかし、それでもなお、多くの捕虜たちは手枷足枷を外すことが許されない奴隷という立場のままだった。
私はタッカーとの交渉に敗れ、転生から三度目の挫折を味わっていた。きっと私がすぐに復活するだろうと思っているのか、セバスチャンは私から離れてタッカーとの事務処理に精を出していた。しかし元々、私が復活するきっかけとなってきたのはセバスチャンとの遣り取りなわけで、彼無しの私がいつ本調子に戻るのかは自分でも分からなかった。
そう、年頃の女の子の身体は殿方のサポートが必要なのだ。それをセバスチャンや仲間たちは忘れているようだった。
私は浜辺でただぼんやりと座って、水平線を眺めていた。時折、水平線上を国旗を掲げた商船が行き来しているが、彼らもまた奴隷貿易のため、ひいてはタッカーのために入港する艦なのだろう。
(タッカーを歓迎せねば! 彼を歓待せねば、今回の貿易は上がったりだ)
(タッカーがいなければシエラレオネは存続できない。彼はシエラレオネで最も重要な英国人だ!)
艦から忙しない声が聞こえる度に、私は意気消沈した。彼らも私と同様、タッカーを艦上で歓迎し、そして心を読まれながら交渉させられるのだろう。奴隷貿易でタッカーに打ち勝つ者などいない。
「サンタ・ムエルテって知ってる?」
突然、私の背後からレフリングの声が聞こえてきた。
「知らないわ。サンタ……何?」
私がぶっきらぼうに反応すると、彼女は私の隣に座り込んだ。
「メキシコの改宗カトリックで信仰されている聖人よ。サンタ・ムエルテ。彼女は死の聖人なの。その姿は大きな鎌を掲げている骸骨で、現地のカトリックからは死神だと思われている」
「へぇ。それは……面白いわね」
レフリングは私の素っ気ない反応に対しても笑みを返した。
「サンタ・ムエルテ信仰は、カトリックからカルトだと思われているわ。でも、彼女への信仰も一種の救いなのよ、奴隷や支配された現地民にとってはね」
「どういうこと?」
「スペイン人が恐れるのを見て、現地民や奴隷はきっと死神こそが、カトリックの最も重要な神の姿だと思ったのかも知れないわ。そこから、サンタ・ムエルテ信仰が始まったのかも知れない。そう考えると、彼らにとって死神の姿こそが、カトリックの教えに最も近い神だと言えるでしょう。死神こそが、彼らを従えるスペイン人に対抗できる唯一の神だって」
レフリングはそこまで言うと、水平線の先を見た。
「奴隷にも救いが必要なのよ」
「そうね……」
「救い、それは貴方よ! 貴方はフータ・ジャロン王国の捕虜たちを救ったのよ!」
それは言い過ぎだと、私は思った。私は確かに彼らをタッカーの下から買ったが、それはすべて貿易のためだった。これから彼らはアメリカに移送され、今度はプランテーション経営者に買われて家族も仲間も離れ離れにならないといけないのだ。そんな残酷な運命を味わわせる者が聖人のはずがないだろう。
それに、私が奴隷に救いを与える聖人だとすれば、その姿はカトリックを信仰する者たちが恐れる死神の姿だということになる。幸は薄そうだ。
「レフリング……私は駄目な船長よ」
「そんな事ないわよ。貴方は若いのに『心読み』ができるタッカーと交渉して、あれだけの決断をしたのだもの。とても立派、流石はご主人様! ……なんて、誰かが言ってたわ」
そんな事を言う奴は一人しか思い浮かばなかった。セバスチャンだ。今更、セバスチャンに慰められても、なんとも言えない歯痒さがあった。
「私、貴方くらいの頃に奴隷船に乗ったことがあるの。父の仕事の付き合いでね、高級船室でもてなされたわ」
レフリングは急に態度を改めて語り始めた。
「下甲板からはムッとするような臭いがずっとしていて、水夫たちも病気になって倒れていった。でも、その時に私は何もできなかった。下甲板に詰め込まれた奴隷にも、主甲板で苦しむ水夫にも、何もしてあげられなかったの」
そう言って、レフリングは水平線の先にいる商船を見つめた。
「貴方は違う。私とは」
「そんな事、言わないで」
白い浜辺で、黒耳長族の子供に腕を引っ張られ、ウーヌスが歩いていくのが見えた。子供に手枷は不要だというマグナスの判断だった。その時、私の義眼の上を涙が伝い、右眼があったはずの場所から涙が零れた。涙腺が無事だったおかげで、私の両目には涙が溢れていた。
「大丈夫よ。貴方は私より凄いわ。だから、そんな顔しないで? きっと上手くいく」
「でも、私は……彼らを売らないとならないのよ……どうしたらいいの?」
「その時が来るまで、何が起こるか分からないでしょう? 貴方が船長なんだもの。きっと良い事が起こるわ」
そう言って、レフリングは私の両手を握った。その手は柔らかく、そして温かかった。
「私、もう少しアフリカに残ろうと思っているの」
「それって、ここで降りるってこと?」
「そう。だから、貴方との旅はここまでね」
「そんな……」
私はレフリングの言葉を聞いて、急に心細さを感じていた。本来ならばいるはずの無かった令嬢博物学者レフリングは、実は私にとって一種の救いだったのかも知れない。それほどまでに、私の気持ちは悲しみに沈んでいった。
「む、無責任だわ。だって、貴方がガンビアでウーヌスを見つけなかったら、私はこんな……私たちはこんな事に巻き込まれなかったのに……狡いわ」
「そう言われるのは承知の上。だけど、私は博物学者なの。リンネ先生が私の剥製と標本を待っているんだもの」
「だからって急過ぎる」
「最初から話していた通りよ。私はアフリカを旅する。貴方は貴方の旅を続けて。私の魔法は貴方に教えてあげるから、きっと良い旅になるはずよ。貴方には物事を良くする才能があるもの」
レフリングが立ち上がると、一緒に浜辺の白い砂が舞い上がり、私の視界を遮った。
「おーい、二人ともー!」
背後からラスボーンのしわがれ声が響いてきた。
「タッカーが自宅で昼食をどうかと聞いてきておるぞ! どうするんじゃ?」
ラスボーンの声とともに、ふわふわとした白い毛玉が私の懐に飛び込んできた。ラスボーンの飼い猫、ヘイゼルだ。白猫はごろごろと喉を鳴らして、満足気な表情を浮かべていた。猫の仕草を見て、私の気持ちは少しだけ安堵した。それに、ヘイゼルの毛が肌に触れてくすぐったい。
「あはっ……はは。こら、ちょっと……」
「ヘイゼルがわし以外の人間にこれほど懐くとは……珍しいのう」
ラスボーンが近づいてくると、ヘイゼルはすぐにラスボーンの足元へと帰っていった。私の事はちょっとした別荘か何かだと思っているのかも知れない。
「それじゃ、私は先に行っているわ」
レフリングはそう言って、港へと向かっていった。
「レフリングはアフリカに残るらしいのう」
「そうね」
今度はラスボーンが私の隣へとやってきた。
「おぬしはよくやっとる。マグナスともきちんと会話しておるし。しかし、一人で抱え込みすぎじゃ」
孫を諭すかのようなラスボーンの言葉に、私は恐縮してしまった。確かにラスボーンはアルコール中毒かも知れないが、ラスボーンはややもすると暴走しがちなエドやセバスチャンのような若手を抑えて、正しい針路を選ぶ手助けをしていた。その長老のような役割に目を向けることは難しかったが、それでもラスボーンが優秀な航海士であることは既に分かっていた。
「浮かない顔じゃのう。やはり寂しいか、別れるとなると」
「そうかもね……。きちんと話せる相手がいなかったから、尚更かも知れないわ」
私は正直な気持ちをラスボーンに話していた。相談するだけでも、気持ちが穏やかになれる気がしたからだった。ラスボーンとの会話の最中、私たちの視界の隅で、ウーヌスと子供たちが港へと帰っていくのが見えた。
彼らの故郷は既に失われている。それに比べれば、私の立場はあまりにも恵まれているように思えた。
「思い悩むなとは言わん。しかし、悩みを話せる相手はいたほうが良いはずじゃ。そうじゃろ?」
「ありがとう、ラスボーン」
「気にせんで良い。おぬしは船長で、わしはただの航海士じゃからのう」
そう言って、ラスボーンはヘイゼルを抱え上げた。ヘイゼルとラスボーン、そして私は港へと戻ることにした。




