つまり転生者ならば
宴の最中にタッカーが発した言葉で、私はウーヌスについて思い出していた。彼はイスラム教の聖職者だと、マグナスは言っていた。もしそれが本当であれば、自分の身分が奴隷でなく、聖職者であることをタッカーに訴えたのかも知れない。
しかし、その事実が今後のタッカーとの取引にどの程度、影響するのかは未知数だった。しかし、タッカーは先程のウーヌスの言葉と仕草を愉しんでいるようだった。何か裏があるに違いない。
「タッカーさん、ウーヌスについてご存知でおられるのですか?」
「えぇ。彼の故郷については知っていますよ」
そう言って、タッカーはブランデーの入ったグラスを傾けた。
「彼はフータ・ジャロン王国の出身者です。先日、私の指揮する海賊総督の手下が、フータ・ジャロン王国の村に遠征を仕掛け、多くの捕虜を取ることに成功しました」
「それは……」
「彼の仲間も、恐らく既に奴隷となっていることでしょう」
タッカーは自分の言葉を愉しむかのように、何度も笑みを浮かべながら述べた。本当にウーヌスがフータ・ジャロン王国の出身者で、その村の人々がタッカーによって奴隷にされているとなれば、事態は非常に面倒なことになる。タッカーから奴隷として村の人々を買わない限り、ウーヌスの言う仲間と会うことはできないだろう。
「どうですか? そろそろ私の商品を御覧いただきたいのですがね」
タッカーが切り出した時、エドが私の耳元で小声で呟いた。
「気をつけろ。タッカーには『心読み』の力がある」
「何ですって?」
「奴は人の心を読める。ニュートン牧師の『空気読み』に比べれば、人一人の心を読むのが精一杯だが、それでも交渉事では確実にタッカーのほうが優位だ」
「ニュートン牧師も大概だったってわけね。それで? 今更そんなことが分かっても、最初からタッカーが優位なことは変わらないでしょう」
「その通りですよ。スネルグレイヴ氏はご存知でしょう。ニュートン牧師のような強力な『読み』ができなくても、私には金と権力がある」
私の言葉に対して、タッカーは私の心を読んだように、口を挟んでうそぶいた。タッカーの態度は確かに『心読み』の力の証明であるように思えた。さらに彼が密かに合図を送ると、護衛の奴隷がマスケット銃を構えた。
「どうぞ、奴隷収容所までご案内しましょう」
タッカーの周囲にいた奴隷が先頭に立ち、レディ・アデレイドを後にしていく。宴に出席していた私たち艦の幹部は、それに続いてシエラレオネの地に降り立った。そこにはマグナスとウーヌスも加わることになった。ウーヌスの仲間がいるとなれば、彼本人に確認してもらわねばならない。
炎天下に耐えられるように薄着に着替えているものの、それでも息をするだけで肺が熱されるように暑かった。その空気の下を、タッカーと妻たちは涼し気な顔で歩いている。彼らの背後には、冷却魔法で冷風を送り続ける奴隷の姿があった。
「現在、フータ・ジャロン王国から捕虜として得た奴隷七十人がいます。その他にも様々な地域から奴隷を集めているところです。お急ぎであれば、今いるフータ・ジャロン王国の捕虜たちを奴隷としてお売りしましょう。如何ですか?」
奴隷収容所は至って簡素な造りで、木製の檻に閉じ込められた奴隷たちが所狭しと詰め込まれていた。私たちがやってきたところで、奴隷たちは全く興味が無いと言った調子で、虚ろな顔を伏せているのだった。
「繰り返し説明しますが、彼らはシエラレオネの北部にあるフータ・ジャロン王国、モハメタンの国民です。モハメタンとは、要するにイスラム教徒で、彼らはイスラム教に教化されており、イマームという高位聖職者を尊敬しています。彼はイマームその人だ」
タッカーがウーヌスを指差した。ウーヌスは今にも食らいつきそうな眼で、タッカーを睨み返していた。
タッカーの説明の途中、檻の中にいる子供や女の虚ろな瞳が目に入った。ウーヌスがガンビアで奴隷となっていた時期を考えると、彼らは閉じ込められてから既に半月以上は経っている可能性があった。このような不衛生な場所では、体力も落ちて命の危険にまで晒されていると言っても過言ではなかった。
誰がウーヌスの仲間なのか、早く調べて自由にしてやる必要がある。マグナスがウーヌスを奴隷たちの檻に引き出すと、ウーヌスは涙を浮かべながら檻を見て回った。すると、先程まで死んだ魚のような眼だった奴隷たちが活気づいたように顔を上げた。ウーヌスが何人かの奴隷に声を掛けると、彼らはそれに呼応して何事かを叫んだ。その声は希望に溢れた歓喜の声だった。
「どうやら、イマームの仲間も無事に捕虜となっていたようですね。本当に良かったです」
タッカーが満面の笑みで言った。他人の心が読めるタッカーにとっては、ウーヌスがこちらの言葉を発さず、そしてマグナスの通訳がなかったとしても問題がないようだった。
しかし、ウーヌスが仲間に出会えたからと言って、タッカーが手放しで彼らの出会いを喜んでいるとは考えられなかった。
「金、八オンス」
タッカーが私に向かって呟いた。
「何?」
「一人あたり金、八オンスでお売りしましょう」(※八オンス=二百四十グラム)
「なっ……」
その価格は相場の二倍だった。あまりにも高すぎる。
「ただし、一人だけではなく、全員一緒にお売りします」
「ちょっと、それは余りにも不公平ではなくて?」
私が食い下がると、タッカーはわざとらしく大きく肩を竦めた。
「これだけの奴隷を仕入れたのです。私も奴隷を集めた海賊総督たちに大金を支払っています。それに今は戦時ですから、奴隷の需要は高く、値段も上がっているのです。当然の売却価格ですよ」
「だからと言って――」
「あとは、そうですね。奴隷の糧食である米もセットにしましょう。これなら公平でしょう」
「貴方、『心読み』だけじゃないわね」
私はタッカーに裏があるように思えて仕方なかった。そうでなくては、今の状況を説明しきれなかった。
「何の事ですか?」
「ニュートン牧師が言っていたわ。仲介業者は、奴隷同士が協力し合わないように、異なる部族の奴隷を少数ずつ集めているって。それが、同じ王国に属する捕虜を七十人もいっぺんに集めるなんて、考えられないわ」
「貴方がそういう考えを持つことは、言葉を発する前に分かっていました」
タッカーが表情を隠すように眼鏡を押し上げた。
「そうですね。簡単に言えば、私には今の歴史的事象がどのように転ぶか分かるのです。今年は大英帝国にとって奇跡の年となる。フランスに対するあらゆるすべての軍事行動が成功に収まるのです。軍艦だけでなく商船も、素晴らしい取引の結末を迎えることになるでしょう」
「それはつまり……貴方も転生者だということ?」
私がタッカーを指差して尋ねると、セバスチャンが腰を抜かして倒れた。
「まさか! ……タッカー様も異世界から突然、やってきたと? お嬢様以外にそんな妄想を抱く人物がいたなんて」
「妄想じゃないわよ、セバスチャン。こいつは、全部分かった上でこんな取引を持ちかけているのよ」
「ご明察の通りですよ、グランヴィル女史。同じ部族の奴隷を集めたのは、貴方に売却するためだけです。貴方にイマームを売ったのも、私の商売仲間です」
「そういうことだろうと思ったわ」
要するにガンビアの時点で、私はタッカーの罠に嵌っていたということになる。彼は最初からウーヌスを餌にして、同じ王国の捕虜七十人を売り抜けるつもりだったのだ。
「今の貴方には仲間の命が掛かっています。つまり、絶対に断ることはできないはずです」
そう言って、タッカーは口元を歪めた。
「八オンスで買うとでも?」
エドが後ろから声を圧し殺して言った。
「馬鹿馬鹿しい」
「イマームは仲間の自由と引き換えに、貴方がたの仲間の命を蘇らせると言ったのでしょう? 彼にはそれだけの力がありますよ」
「……」
パウエルの事が話題に上ると、エドは口を閉じてしまった。仕方がない。あれは事故だったとは言え、彼を救うには、タッカーと交渉しなければならない。
「……オンスよ」
「はい?」
「四オンスよ」
私は値段交渉に入ることにした。このままでは埒が明かない。
「はっはっは……半額とは! 無理な話ですよ。せめて七オンスでどうでしょう?」
「五オンスよ、これ以上は駄目」
私はあくまでも食い下がった。女の身体は感情に押し流される。同じ転生者でも、こんな方法で伸し上がる輩には負けたくなかった。
「六オンスでは? キャッサバもお付けしましょう」
キャッサバもこちらの世界にあるのかということを最早、私は考えなかった。
「……分かったわ」
私は一人あたり六オンス分で、フータ・ジャロン王国の捕虜たちを買うことにした。しかも、それは当初の数人だけではなく、七十人いっぺんに、である。最初にタッカーからもらった酒も象牙も完全に帳消しである。
マグナスから取引の結果を聞いたウーヌスは泣いて歓喜の声を上げていた。しかし、同時に私はタッカーという男に敗北したのだった。




