設計、構築、そして航走
霧が濃い。一寸先すら見通せないほどの分厚い霧だった。霧は曇り空の下、夕刻の前に突然現れ、二隻の海賊船が停泊するバナナ諸島を覆った。
海賊たちは仲間ではあったが、残念ながらお互いを信用していなかった。バナナ諸島の入江で、お互いに少し距離を置いた位置に停泊している。馬鹿な考えを起こす奴らが現れて、夜闇に紛れて勝手に艦の物資を盗むことを防止するための処置だった。しかし、この霧では何もかもが覆い隠されてしまう。これでは無防備にお互い寄り添っているほうがマシに思えた。
(ご令嬢の艦が来るまでに、霧が晴れると良いんだがなぁ……)
海賊船は僚船を右舷に、呼びかけるように独りごちた。だが、僚船からの反応は無かった。濃い霧に包まれて信号旗も見えないし、信号を伝える光魔法も霧に閉ざされて数メートルも届かない。何度も主甲板から信号灯を送っているが、僚船は沈黙したままだった。
(ちっ、気の利かねえ野郎だ……)
海賊船がそう思った矢先、僚船の停泊している方向から砲撃が開始された。カノン砲の六十四ポンド弾が海賊船の付近に落下し、巨大な水柱が上がる。
(あの野郎! 裏切りやがったか!)
海賊船が波立つ海に大きく横揺れする。海賊船の甲板長が口笛を吹き鳴らすと、緊急事態の合図だった。海賊船の下甲板が俄かに騒がしくなり、船長が反撃を命じた。海賊は早速、僚船の方角に向かって砲撃を始めた。
(今回の『勘定』程度なら、俺たち一隻でも十分だ! クソッタレ!)
僚船の方角からは相変わらず砲撃が続いている。しかし、信号灯は沈黙したままである。何か理由があるのかも知れなかったが、海賊はそれを疑うほどの度量も知恵も無かった。撃たれれば撃ち返す。それが彼らの道理だったのだ。
海賊船はお互いを砲撃し合った。まさか、自分たちが猛反撃し合うように謀られたとも知らずに。
海賊船はしばらく砲撃を繰り返した後、自分たちの索具が破壊されている事にも気付かず、錨を上げようとした。しかし、時既に遅し。すべてはエドの計画通りに進んでいた。
***
夕刻が迫る数時間前。私たちは作戦会議を開いていた。
「まずレフリングが環境魔法を使って、連中の周囲に霧を生み出す」
「そう。狩りの時と同じようにね」
レフリングがにこやかに答えた。
「相手は珍しい獣じゃないけれど、仕方ないわね。それに、魔法の規模もまるで違う」
「そこはメアリー。お前の力を借りる」
私が魔力の源となってレフリングが魔法を使えば、より強力な魔法を扱うことも可能だった。一人では到底不可能な範囲まで、魔法の霧を到達させることができる。
「僭越ながら申し上げますが、魔力炉としてグランヴィル家の魔力は最高のものです。お嬢様が少し指を動かすだけで、地震や津波だって引き起こせますよ」
セバスチャンが全く洒落になっていないことを言う。現代日本だったら不謹慎だと言われて袋叩きにされているところだ。
「今回は地震も津波も必要無い」
エドが冷静に呟いた。
「ただ、奴らの視界が塞がれて何も見えない状態になればいい。連中はお互いに連絡を取ることが不可能になる。そうしたら、奴らの一方と同じ方向から、他方の方向に向かって砲撃を行う」
エドは二隻の海賊船がいる位置を海図の上で指差した。魔道具の羅針盤の情報が正しければ、彼らはお互いに両舷を向けあっているはずだった。
「雑用ボートを出して、数人が海賊船に乗り込む。霧で何も分からないうちに、相手を砲撃させるんだ。成功したら雑用ボートはすぐに撤退させる」
「つまり?」
「つまり、三人が入って一人が出てくる。同士討ちにさせるんだ。何も怖がることは無い。奴らは勝手に自滅するんだ。俺たちは霧が晴れて生き残った奴を潰す。作戦が成功しているかどうかはメアリーなら分かる。艦読みの力があるからな」
そう言って、エドは自分の左の拳を開いた右手に打ち付けた。
「そうやって最後は全員をとっ捕まえるわけですね。実に素晴らしい、ずる賢く邪悪なアイデアです! 奴隷船の航海士にしておくのは勿体無いですね!」
褒めているのか貶しているのか分からないセバスチャンの言葉を、エドは鼻で笑った。
「でも、捕まえるのはいいけど、どこに引き渡すの?」
私が素朴な疑問を口に出すと、エドはゆっくりと船長室を歩いた。
「シエラレオネは仲介業者のタッカーの地場だ。族長も総督も海軍もタッカーに従う」
「タッカーに引き渡すのね」
「そうだ。だが、タッカーは奴隷を欲しがっているが、海賊は奴隷じゃない」
「それって……」
「縛り首だ。絞首台で海賊は残らず全員死ぬ」
***
(どうして何も言わずに砲撃してきやがった! あの野郎!)
海賊船が喚いている間に、海賊同士の砲撃によって霧が僅かに晴れた。その時、信号灯の淡い一筋の光が海賊船へ届いた。その内容は「砲撃を止めろ」だった。
(先に向こうから撃ってきたんだろうが! どういう意味だ畜生!)
海賊船は同じ信号を光魔法で相手方に送った。しばらくすると、相手方の海賊の砲撃は止まり、海は再び静まり返った。だが、それは間違いなく流血の後の静けさだった。海賊船は移動を開始しようとしたものの、分厚い霧による座礁を恐れて、その場から動くことができなかった。
(どうなってやがる!)
「あーはっはっはっは、ざまあないわね!」
(そ、その声はまさか……)
霧を裂くように、今度はレディ・アデレイドの砲撃が開始される。私は船長室で高笑いした。ここまで相手が術中に嵌ってくれるとは想像していなかった。作戦は完璧に進んでいる。その状況を生で聞いていた私は、いよいよ我慢の限界に達して、大声で笑いだしていた。
「海賊も霧一つでお陀仏なんて! これ以上の戦果は無いわね! あーはっはっはっは!」
完全に敵役の台詞だが、これ以上の言葉は思いつかなかった。相手が自分の負ける様を実況報告している時点で、笑い出さないほうがおかしいのだ。
(あの女……よくも俺たちを騙しやがったな!)
レフリングが魔法を解き、霧が晴れ始めると、状況が次第に露わになってきた。砲撃を開始した海賊船は艤装も船体も破壊され、既に戦闘不能、航行不能になっている。主甲板では海賊たちが我先に逃げようと手漕ぎボートに乗り込もうとしていた。そして、相手への損害を引き起こしたもう一方の海賊船も、索具が破壊されて殆ど動くことなどできない状態だ。この勝負は間違いなく私たちの勝ちだった。
「頃合いね。それじゃ、全員投降するように信号灯を送りなさい」
「かしこまりました、お嬢様。実に見事な勝利でございます」
そう言って、セバスチャンは私のティーカップに紅茶を注いだ。勝利。なんと響きの良い言葉か――!
ジブラルタルから冷凍して持ってきた紅茶も、普段より格段に美味しく感じる。この上ない興奮で、またしても少し鼻血が出そうになったが、今回はなんとか踏み止まった。偉いぞ、私。
大混乱に陥っていた海賊たちは最後まで逃げようと、必死になって陸に上がろうとしていたが、結局、私たちに敵うことはなかった。艦を失った船乗りに行き場はない。かつて無い大失敗を前に、彼らに残っているのは命だけという事だった。
(阿呆どもが! 俺を動かせ! 畜生があああ!)
薄汚い海賊船はその場で焼いて破壊した。実に呆気ない最後だが、そうしなければ再び海賊行為に駆り出される恐れがあった。そして、奴隷に嵌められるはずの手枷足枷は、今や海賊たちを縛る拘束具となっている。
私たちがレディ・アデレイドに項垂れた海賊たちを乗せている時、見知った顔が現れた。
「離せ! 私は海賊じゃない、捕虜にされていたんだ! 私は貿易商ジョゼフ・マネスティーの代理人だ!」
「バニスター様!」
「私に、触るな……近寄るんじゃない……」
セバスチャンが駆け寄った時、バニスターの耳は萎れたように垂れ下がっていた。どうやら、計画の失敗で相当に凹んでいるようだ。ざまぁ見やがれという話である。
「どうしてこのような事を……何故、海賊に協力したのです!」
セバスチャンはバニスターの手枷を外そうとしたが、エドがそれを制止した。
「……代理人として、当然の事です。艦は利益を生まなければ建造された意味が無い。最も低いリスクで利益を上げるには、これしか方法が無かったのです」
「そんな事はないでしょう!」
「信用できない船長の運営する艦が、無事に帰還できたことは今まで一度もありません。遅かれ早かれ同じ事になっていたでしょう」
「貴方は、お嬢様を……メアリーお嬢様を信じてくださったのではないのですか」
「信じるわけがないでしょう。たかが一人の小娘です。奴隷船の運営など、不可能だ」
「バニスター様……」
「奴隷にでも縛り首にでもなんでもするがいい。今回は私の負けだ」
そう捨て台詞を吐いて、バニスターは他の海賊たちと同じように下甲板へと連行されていった。




