略奪者
元水夫、元水兵……かつての船乗りたちが歌い騒ぎ、喚き散らしながら、波を砕いて迫ってくる。
(国王なんざ、クソくらえ! 総督ともども地獄へ落ちろ!)
海賊たちがやって来る。
その騒ぎはあらゆるすべての商船の船主、船長、航海士への挑戦だった。そして、大英帝国の法制度への侮辱だった。海賊船は海賊たちの歌を歌い上げながら、嬉々として迫ってくる。そのどら声は私の脳裏で何度もリフレインし、恐怖を増幅させた。
私たちの艦は急いでシエラレオネの要塞へと舵を切ったが、西からの追い風に帆を上げる海賊たちのスループ船にとっては止まっているのも同然だった。
「ラスボーン!」
エドが大声で二等航海士のラスボーンの名を呼んだ。彼は波に揺れる艦の上で、索具にしがみついて震えていた。アルコールが足りていないようだった。
「主よ……どうか今一度、我らをお救いくだされ……。我らの艦をお救いくだされ……」
「ラスボーン! しっかりしろ! 相手は二隻だ! 先に近寄ってくる艦を砲撃するぞ!」
エドが駆け寄ると、ラスボーンはようやく正気に戻ったようで、主甲板の水夫たちに砲座へ着くように指示を出し始めた。こんな時に祈りを捧げたい気持ちは分からないでも無いが、些か悠長なところは樹人族特有の思考によるもののようだった。
その間にも、海賊船は波を掻き分ける勢いで追ってくる。前甲板も後甲板も船室ともども取り払われ、平になった主甲板が目に入ってくる。そこには数十人もの黒い、あるいは茶色い髭面の男たちが満載されている。どう見ても白兵戦で勝てる人数ではなかった。撤退戦を演じながら逃げなければならない。
(迎撃しましょう)
その時、レディ・アデレイドが信じられないことを口にした。しかし、それを聞いたのは私だけだった。船長室に入った私の表情が驚愕に変わったことで、セバスチャンとレフリングが不安気な面持ちに変わった。
「なんですって……?」
(迎撃です。国王陛下の布告により、投降を拒否した海賊を拿捕した者には報奨が与えられることになっています。
海軍指揮官には百ポンド。船長、航海士、船医、船大工、甲板長および砲手にはそれぞれ四十ポンド、その他水夫には二十ポンドです。見逃す手はありません)
「何を言っているんだ? お前は役に立つと言っただろう」
(その通りです)
「だったら急いで逃げるんだよ! 命を危険に晒してまで、海賊と戦いに来たんじゃない!」
私がテーブルを叩くと、ティーカップがひっくり返って海図を赤く濡らした。
「お、お嬢様?!」
(私は極めて合理的に判断しています。私の重武装であれば、海賊を撃退するだけでなく、拿捕することも可能だと認識しているのです)
レディ・アデレイドは冷たく、そして頑固に言い張った。この恐ろしく好戦的で狡猾な艦に身を委ねた自分が馬鹿だった。海賊と戦うとなったら、今の艦の運営に不平不満を抱く水夫に、裏切り者が現れる危険まである。女である私が船長である以上、避けられないリスクだ。
(それらのリスクを差し引いても、ここは迎撃すべきです。彼らとの戦いは避けられません。むしろ、捕虜を取るのに格好の場であると考えてください)
「そんな事言って……こっちに誰か怪我人でも出たらどうするんだ?」
(戦闘は私が支援します。さぁ、船長。急いで迎撃の準備を整えてください)
「ぐっ……うぅっ……」
私は拳を握りしめ、避けられない戦闘のリスクをできる限り浅く見積もろうとした。それでも、以前のフランス海軍との戦闘よりも、遥かに危険であることは否定できない状況だった。
「お嬢様……艦の声は……」
「……えと」
「はい?」
「……戦えと……戦えと言っている! 全員、戦闘準備! 海賊を迎撃しなさい!」
私は船長室を飛び出し、主甲板に向かって声を張り上げた。その言葉を聞いた甲板長のマグナス、そして水夫たちの表情が凍り付いた。
「無茶だ! 海賊と戦おうだなんて、命知らずにもほどがある!」
水夫たちは水兵ではない。訓練された水兵ですら海賊に手を焼くというのに、たまたま集められた水夫たちを、数で勝る海賊と戦わせようなんてことは不可能に近かった。しかし、ただ命乞いをして何になるというのだろうか。艦はそのまま焼かれて沈められる。それだけは御免だった。
「お前ら、やってやろうじゃねぇか!」
一人の男が無謀にも声を上げた。船大工のパウエルだった。彼は大股で甲板を歩いてエドに近寄ると、そっと何事かをエドの耳元で囁いた。
(『これで俺の勝ち』だ……と。どうやら、一等航海士と賭けの約束があるみたいですね)
パウエルの鼓舞に応えて、水夫たちは恐れながらも戦闘の準備に取り掛かった。私の読みとは異なり、艦上の空気の流れは迎撃へと傾いているようだった。
「これだけの重武装だ! 六等駆逐艦にだって負けやしねぇんだ! お前ら、全力を出せ!」
「お、おーーー!」
砲手を始めとした水夫たちはパウエルに後押しされ、戦闘態勢に入った。艦が大きく舵を切り、銃眼の並んだ右舷を海賊船へと向けた。甲板長のマグナスの肌には玉のような汗がいくつも浮かんでおり、尋常ではない緊張を物語っていた。
「っ撃て!」
砲手の号令を合図に、側面の十門の大砲が火を吹いた。先頭を切って迫ってきていた海賊船の甲板上に鎖弾がばら撒かれた。甲板の上にいた海賊たちが索具とともに千切れ飛ぶのが見えた。
(ヨーソロー! クソ野郎どもめ! 俺たちを怒らせたな! 今にお前らを『勘定』に入れてやるから、覚悟しやがれ!)
被弾を免れた、もう一隻の海賊船が吠えた。その艦影はすぐ後ろまで迫っていた。海賊船の艦上の旋回砲がこちらに向いている。旋回砲は船大工のパウエルを視界に捉えている。
「パウエル! 避けろ!」
エドがパウエルの下へと猛進した。エドの身体が甲板から飛び、パウエルの脇腹へと突っ込んだ。海賊船の旋回砲が火を吹くのは同時だった。
しかし、次の瞬間、レディ・アデレイドの船体が大きく揺れた。エドとパウエルは甲板に衝突し、強かに身体を打ち付けた。海賊船から発射された旋回砲のぶどう弾は、その狙いを大きく外したものの、ばら撒かれた無数の金属片がエドとパウエルを襲った。
「スネルグレイヴ様! プレスマン様!」
セバスチャンが彼らの下へと向かおうとしたが、レディ・アデレイドは砲火から逃れるように激しく揺れ続けた。私は何とか船長室に戻り、バルコニーに設えてあった特注の重砲にしがみついた。
「あああああ!」
恐怖と怒りから、私は公爵令嬢らしさを完全に捨てて絶叫していた。背後に付けた海賊船の船首から主甲板を、強大な三十二ポンド砲が貫いた。その砲撃によって甲板上にいる海賊たちが肉片となって散っていった。
(おぉっと、まさかそんなデカブツを積んでいるとはなぁ! 話が違うぜ、バニスターの旦那ぁ! こりゃ一旦引き上げだ! 次は覚悟しとけよ!)
海賊船が取舵を切りながら、ゲラゲラと笑って誰かの名を口にした。その名前には聞き覚えがあった。しかし、今はそんな事を気にしている場合ではなかった。レディ・アデレイドは戦闘から離脱できたと見るや、大きな揺れを鎮め始めたようだった。
「エド!」
私が駆け寄る前に、既にセバスチャンがエドとパウエルの下へと近寄っていた。
「お嬢様! は、早く魔力を……!」
「え、あっと……そうだわ……そう……」
私は気が動転してしまい、何が何だか分からない状態に近かった。とにかくセバスチャンに言われるがまま両手を組んで、二人の下へ跪いた。その光景は懺悔にも見えたに違いない。艦の声に操られ、航海士と船大工の身を危険に晒したことは、あまりにも大きな代償を支払うことになった。
「なんとかならないの……?」
「これは……申し訳ございません。お嬢様……私の力では……」
「私も手を貸すわ! どうか私にも魔力を!」
レフリングも協力し、彼らは必死で外科魔法を唱えた。しかし、パウエルは失血が酷く、既に虫の息だった。パウエルを庇ったエドは何とか致命傷を免れたが、それでも同じく重傷であることに変わりなかった。最早、パウエルを救う見込みは無いと、セバスチャンは首を横に振った。
「エド……」
息も絶え絶えにパウエルがエドの名を呼んだ。その声を聞き、エドがゆっくりと目を開けた。
「賭けは……俺の勝ち……だ……」
「馬鹿な事を言うな」
「保険が下りる……借金は……チャラだ……」
「パウエル!」
「母親だけ……俺の家族は……後は頼んだぜ……」
そう言い残して、船大工のパウエル・ピーテルスゾーン・プレスマンは息を引き取った。




