残念ながらボッシュートです
最近、セバスチャンの様子がおかしい。
いや、奴は元からおかしいのだが、今は輪にかけて奇妙な言動を取るようになったのだ。それは金に関する事項である。
「お嬢様……無礼を承知で申し上げますが……」
「何?」
「幾らか給与に色を付けていただきたいのです」
「は?」
「最近ではレフリング様のお手伝いも増えましたし、新たに加わった男奴隷の健康管理もあります。私めとしましてはお嬢様の覇道に少しでもご助力させていただき大変ありがたいのですが、それと同時に経済的な利益も上乗せしていただきたいのです……」
「まあ、言われてみれば、そうかも」
「でしょう! やっぱりお嬢様は話がお分かりになる。実に素晴らしい御仁です」
「で、幾ら欲しいの」
「……今の二倍ほど」
「は? はあああ? そこまで勉強させちゃう? 自分の主人に? ちょっと? ちょっとちょっと?」
いきなり倍とは道理に反する。そんな事は断固として拒否する。
「ちょっとちょっとはこちらのほうです! 仕えるべき者が倍以上に増えているのに、それはあんまりではございませんか?!」
「馬鹿言うんじゃない! 鞭打たれて悦んで、何が仕えるべき者だ!」
倍と言われて素が出てしまった。確かに、セバスチャンはグランヴィル家が財政難の時期には給与も殆どゼロに等しく、他の使用人と同様、事ある毎に誰かに金を無心していた。しかし、今はそのドン底を脱したにも関わらず、彼は再び金への執着を見せ始めている。
(船大工の狗頭族と、その長耳族が一緒にいるところを見ましたよ)
「あ、分かった」
私はレディ・アデレイドの言葉で瞬時に状況を理解した。
「何です?」
「賭け事でしょ」
「うっ」
セバスチャンは図星を突かれたようで、思わずといった調子でよろめいた。
「うっじゃない」
「うぅぅぅー……」
「呻くな」
「決してそのような事はございません。私は清廉潔白です!」
わざわざ言い訳するところが益々怪しい。恐らく、賭け事の相手がこの艦の中にいるはずだ。そういった風紀を紊乱する懸念事項について知った以上、私も船長として対策を打たねばなるまい。そうだ。そうすれば、セバスチャンも大人しくなるはずだ。
私はセバスチャンを連れて、ジェイムズ要塞で停泊中のレディ・アデレイドの下甲板へと向かった。ガンビアでは多少落ち着かなくても、現地の仲介業者から声を掛けられずに済む艦の中にこもりっきりになっている者が多かった。その方が、要塞を管理する海軍としても疫病が蔓延する恐れもない。そして、そうした引きこもりたちの暇の慰みこそが賭け事になっているのだろう。
下甲板へ辿り着くと、薄暗いランプの下で、樽をテーブル代わりに賭博に勤しむ者たちの姿があった。その筆頭は間違いない、船大工のパウエルだった。
「さぁ、賭けて、賭けて。どこに白い玉が入っているか、さぁ、どこにあるか賭けてね」
チロルチョコと同じくらいのサイズの、三つの小さな木箱のどれか一つにだけ白い豆の玉が入っており、玉の位置がどこかを賭けているようだった。新米の水夫や、他の艦にいる顔馴染みの無い水夫が参加している。パウエルは両手に箱を持って場所を入れ替え、どこに白い玉が入っているのか分からないようにしているようだった。しかし、手の動きは緩慢で、どこに玉が入っているのか一目瞭然だった。
「さぁ、当ててみてね。どこに白い玉が入ってるかね?」
「そっちの箱の中だ。こんなチョロいゲームなら、いくらでも賭けてやるぜ」
新米の水夫の指し示す通り、木箱の中には白い玉が入っていた。ディーラー側であるパウエルの負けだ。彼は水夫に賭け金を渡してやり、次のゲームに取り掛かった。
「あれ、見ましたか?」
「えぇ。別に大したゲームじゃないわね。あんなのに賭けで負けたの?」
私は肩をすくめてセバスチャンに問い質した。流石に、あんな動きを見極められないわけではないだろう。きっと裏があるに違いない。
「それじゃ、次に行こうか。今度はどこに玉が入っているか」
先程とは比べ物にならない素早さで、パウエルは木箱同士の位置を入れ替え始めた。薄暗いランプの下でパウエルの手が濃い影になって、木箱の動きが読み取りづらくなっているように見えた。素早く木箱を入れ替え終えると、先程と同様にパウエルは口上を述べた。
「さぁ、どこに玉が入ってるかね? さぁ、当ててみてね」
「俺の目は誤魔化せないぜ、この箱に決まってる」
他の艦の水夫と思しき者が、一つの木箱を指差した。暗がりで分かりづらかったかも知れないが、私も確かに玉はその箱に入っているように思った。しかし、パウエルが木箱を摘み上げると、その中は空っぽだった。
「おい? どういうことだ、こりゃ」
「ハッハー。惜しかったな、玉はこっちの木箱の中だ」
そう言ってパウエルが他の木箱を摘み上げると、確かに白い玉がその下から出てきた。それは誰も予想していない玉の動きだった。
「どういうこと?」
「分かりません……奇術の類いかと思いますが……」
セバスチャンは恐縮して肩を丸めた。その時、パウエルが私たちに気付いて手を振ってきた。
「船長殿ではありませんか! どうですか、少しゲームでもやってみませんか?」
狗頭族の顔はまさに飼い慣らされた狗そのものに見えるが、そこには人間的な人格が垣間見える。パウエルは狗のように舌を垂らして愛想笑いを浮かべた。
「やってみましょう」
「話が分かりますねぇ、船長。他の船長なら止めてますよ」
「誰も止めないとは言っていないわ。ただ、少し付き合うだけよ」
私の言葉に、パウエルの口元が少し歪んだように見えた。
「連れないですなぁ! まぁ、ちょっと見ていてください」
そう言って、パウエルは今度はゆっくりと木箱を入れ替え始めた。この速度ならば、私でもどこに白い玉が入っているか見分けることができそうだった。事実、私は簡単に白い玉の場所を当てた。
「素晴らしい。今日も冴えてますね、船長」
「いいから、本当のゲームを教えて下さる?」
パウエルのわざとらしいお世辞をかわして、私は次のゲームに進もうとした。その前に、パウエルは賭け金として六ペニー、最初の賭け金と合わせて一シリングを返した。一シリングは平時の水夫の日給とほぼ同様の金額であり、簡単なゲームの賭け金としては破格だと断言できた。
「次は四シリングからです」
「正気なの? こんなのすぐに当てられるわ。それに四シリングですって?」
いきなり賭け金が最初の六ペニーの八倍になった。こんな単純なゲームに劇場のボックス席にも匹敵する金を賭けろというのは、些か乱暴に思えた。しかし、ゲームに参加するためには、賭け金をベットしなければならない。そう言ってパウエルは聞かなかった。
「止めとけよ、船長さん。乗ったら駄目だ」
他の艦の水夫と思しき男が声を掛けてきた。先程、白い玉の位置を当てられなかった水夫だった。
「俺はさっき負けちまった。これで今週は空きっ腹で毎晩過ごさないとならねえ。馬鹿げてる」
「まぁ、そういう日もあるってこった。さて、船長殿。どうしやすか? 賭けますか、賭けませんか?」
「……良いわ、賭けてあげる」
私が四シリングを賭けると、すぐにパウエルは木箱を準備した。パウエルは素早く手を動かし、あっという間に木箱の入れ替え終えた。それでも、自分の目を信用すれば、どこに白い玉が入っているのかは一目瞭然のように思えた。
しかし、そこで私は逡巡した。パウエルが目を見開いて私の指先が動くのを待っている。その時、天の声が私の心に響いてきた。
(彼はすり替えをしています。途中で木箱を開いて、全く別の箱に玉を入れ替えていますよ)
レディ・アデレイドは明確にイカサマを見破っていた。私がレディ・アデレイドの指示通りに木箱を開けさせようとすると、パウエルは突然、今のゲームは無かったことにしたいと言い始めた。
「どうしてよ」
「どうしてもです。船長殿、いけませんなぁ。イカサマなんて」
「はぁ? それはこっちの台詞よ。木箱をこっそり開けて、白い玉の位置を変えたでしょ」
「言いがかりはよくありません。そちらの旦那も良い負けっぷりだったのに、水を差されちまった」
パウエルが言うと、先程負けた水夫は憤慨した様子で腕を組んだ。
「あんた、ここの船長なんだろ? これじゃ堪らんぜ。金を返してくれ」
「どうしてそうなるのよ。ちょっとパウエル、貴方、彼にお金を返してあげなさい」
「いや、それはできません。船長、あんたが勝ったんだから、あんたから金を返してやってください」
「あー! もう、誰も彼も金、金って! 好き勝手言わないでよ!」
私は既に全員を殴り倒したい気分だったが、身体のほうは誰か面倒を解決してくれる忠実な殿方を求めていた。ご令嬢の細腕で、屈強な船乗りに敵うわけがない。これに関しては完全に転生の失敗である。
結局、私はパウエルによるイカサマの負け分を、他の艦の水夫に返してやった。揉め事は御免だった。私はどうにかパウエルが賭博に手を染めないように言い付けたかったが、そう思った頃には下甲板に当の狗頭族の姿は無かった。




