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西アフリカ、ガンビア、ジェイムズ要塞

 西アフリカにおける大英帝国の拠点であるガンビアは、ガンビア川に沿って発展した、いわゆる河川文明の土地である。その最も西の最下流部に位置する首都がバンジュールだった。バンジュールから二十マイルほど川を遡った位置には大英帝国が築いたジェイムズ要塞があり、そこではアフリカ貿易に関わる多様な商人が絶えず取引を行っている。彼らの中にいる奴隷商人たちは、安定した奴隷供給を目指して、故郷から遥か遠く離れたガンビアに移り住み、やがて現地の仲介業者となった者たちだった。


 そのような奴隷商人には、当然のようにイスラム()教徒たちも含まれていた。というよりも、かねてからイスラム教徒たちがサバラを縦断する奴隷貿易を育んだのであって、大英帝国を始めとするヨーロッパはそこに後から乗っただけに過ぎなかったのである。奴隷として捕らえられた者にとっては、奴隷商人が増えたところで、連行される先が灼熱の砂漠か、それとも水上の地獄か、少しの程度の差でしかなかった。


 さて、赤道に向かって故郷の寒さとは真逆へと進む十月の頭、私たちの艦も大英帝国からの奴隷船としてジェイムズ要塞で補給を受けることになった。


(ここではあまり静かに落ち着いて休めそうにありませんね。他の奴隷船には人間貨物が乗っているようです)


 レディ・アデレイドの言葉通り、船長である私が湾港と一体化した要塞に到着すると、すぐに現地の奴隷商人たちが群がるように話しかけてきた。私が高位貴族の令嬢であることを伏せていたにも関わらず、彼らは商売柄の勘や情報網で、私の身の上を探った上で、取引を持ちかけてくるのだった。


「まだよ、まだ買わないわよ。そんな準備できないんだから!」


 私は取引を断ろうと思っていたが、それでも奴隷商人たちは食い下がった。


「姐さん、いい買い物になるヨ。糧食も準備するヨ」


 片言で英語を喋る現地の奴隷商人二世や三世は、人間と黒長耳族(ダーク・エルフ)の混血だった。混血は当地では珍しいことではなく、大英帝国の商人は黒長耳族(ダーク・エルフ)の奉じる異教を紳士的に受容し、故郷に残した妻とは別に現地で黒長耳族(ダーク・エルフ)を妻に(めと)り、そしてそのまま現地に居座るのだった。


 そこにあるのは暴利を貪る強かな計算と、黒長耳族(ダーク・エルフ)の美しさを追い求めた男の強欲だった。私の前に引き出されてくる奴隷を見る度に、私はここが本当に異世界なのだと実感する。それほどまでに、奴隷たちは美男美女の集団であり、そしてそこに価値を見出した者たちにとっては最高の商品なのだった。


「米とトウモロコシも二週間分つけるヨ。お買い得ネ。さあ、買ってヨ」


「いや、だからあ! 待って――」


 そこに突如、レフリングが現れた。令嬢博物学者のレフリングは、一人の男奴隷に目をつけたようだった。レフリングがじっと奴隷の顔を見ていると、いきなり男奴隷が現地の言葉を喋り始めた。


「毘古寝れん摩訶!」


「この野郎! 勝手に喋るんじゃない!」


「毘古寝れん摩訶! 虻も荒くば抜け藁と!」


 何を言っているのかは全く理解できないが、とりあえず必死だということだけは伝わってくる。現地の仲介業者が手をあげようとするのを、レフリングは間に入って止めた。


「彼は普通の奴隷じゃないのかも」


「どうして?」


「手がまるで汚れてないし、指も細い。重労働に耐えて来た経験が無いみたいね」


 奴隷は基本的に現地の紛争から生じた戦争捕虜や、奴隷狩りにあった不幸な村人が多かった。彼らはそれでも外見は顔面偏差値70代と言ったところだが、身体は農業による労働によって衰えていることも少なくないと、レフリングは付け足した。


「なるほど、それは確かに妙ね」


 私は男奴隷の言葉を知るため、甲板長のマグナスを呼んだ。


「マグナスー! ちょっと来てー!」


「な、なんデス。御用デスカ、船長」


 艦の中から落ち着きのない挙動不審な灰色の翼がすぐに現れた。


「貴方、現地語を知っているのよね、翻訳してくれるかしら?」


「え? えぇ、まあ。少しデス。少しならわかりマス」


 赤銅の肌に銀髪を短く剃り込んだ男奴隷は、マグナスに向かって同じように何度も叫んだ。


「毘古寝れん摩訶! 毘古寝れん……虻も荒くば抜け藁と」


「虻も荒くば抜け藁と?」


「虻も荒くば抜け藁と! 食え蓮霧……」


 何を言っているのか私にはさっぱりだが、マグナスはどうやら手がかりを掴んだらしく、驚愕した表情を浮かべ始めた。


「何と言っているのかしら?」


「えぇっと……」


 その様子を見て、先程はしきりに購入を勧めてきた奴隷商人が男奴隷の前に立った。


「奴隷の言葉なんて信用しないデ!」


「私は私の甲板長に聞いてるのよ」


「奴隷の言葉に耳を貸したら、損するヨ!」


 私は奴隷商人を押しのけ、マグナスと男奴隷を引き合わせた。


「伊武尾根荒くば?」


「虻も寝荒くば! 食え蓮霧、食え蓮霧!」


 何度も「荒くば」という単語を繰り返し、二人の会話は結論に辿り着いたようだった。


「えぇっと、彼はイスラム教徒だと言っていマス。聖職者のようデス」


「嘘だヨ! 嘘だってバ!」


 奴隷商人はしきりに両手と首を横に振ったが、マグナスは男奴隷を聖職者だと断言した。本来であれば、同じ宗教に属するイスラム教徒を奴隷にすれば、他のイスラム教徒が黙っているはずがなかった。


「なんで聖職者が奴隷なんかやっているのかしら?」


「そ、それは……何かの手違いだヨ。イスラム教徒だなんて知らなかったヨ」


 私が睨むと、奴隷商人は答えに窮して縮こまった。周囲から私たちにイスラム教徒たちの視線が注がれる。同じ神を奉じる仲間として、見捨てておくわけにはいかないようだ。


「そ、それに、そいつの一族だって奴隷取引をしてるんだヨ! これ本当!」


「奴隷取引をしていた一族が、まさか自分が売られることになるなんて、思ってもみなかったでしょうね?」


「そ、それには事情が……」


「彼を買いましょう。いえ、彼の自由(・・)を買いましょう」


 突然、レフリングが男奴隷を見つめたまま言った。


「どうしてそうなるのよ。買うかどうかはまだ決めてないわ」


「先程も言ったけど、彼は労働に耐えられるだけの身分ではないわ。それに、彼の仲間が彼を探しているかも知れないでしょう」


「それは本気で言ってるの?」


「勿論だわ、船長さん。彼を助けて道案内役にして、しかも仲間に返して恩を着せてやれば、一石二鳥じゃない。とっても良い考えだと思わない?」


 言わんとするところは分かったが、それにしてもあまりにも急な展開だった。マグナスは男奴隷の言う事を信じるべきか、まだ迷っているようだった。逆に、レフリングは男奴隷の言葉で確信を強めたようだった。私はどちらを信じるべきか、いや、奴隷の自由を買うべきか迷った。


「もういいヨ。割引してあげるから、さっさと買うか決めてネ」


 奴隷商人のほうも商品(・・)にケチをつけられ、他のイスラム教徒への影響を加味して値下げを提案してきた。願ってもないことだが、彼を人間貨物として運ぶべきかどうか、私の判断基準にはならなかった。その時、一匹の白猫が男奴隷の胸元へと飛び込んできた。二等航海士のラスボーンの飼い猫だった。


「買ってやれ」


 私たちの背中に、ラスボーンのしわがれた声が響いてきた。


「今、なんて?」


「買ってやれと言ったんじゃ。その男の言葉は嘘偽りの無い真実じゃ」


「真実だとしても、買うかどうかは別の話じゃない」


「奴隷の中には嘘をついて奴隷商人の下から逃げ出そうとする者もおる。じゃが、奴は真実を口にしておる」


「どうしてそれが分かるの?」


 私も流石に食い下がった。ここで食い下がらなければ、レフリングのような穀潰しがまた一人増えるかも知れないのだ。


「わしのヘイゼルが言っておる。奴は本物じゃと」


 猫占い?

 そう思った束の間、白猫はラスボーンの足元に戻ってきていた。ラスボーンが静かに木の葉を揺らすと、ヘイゼルは満足そうに喉をゴロゴロと鳴らした。


「もう良いわよ! 買えばいいんでしょ? 買えば!」


(ようやく私も奴隷船として仕事ができるのですね。よろしいでしょう)


 私は仕方なく、奴隷商人に言い値で金を払った。赤銅の肌を持つ黒長耳族(ダーク・エルフ)は手枷を嵌められたまま、マグナスに連れられて艦の下甲板へと入っていった。その眼には明らかな敵意が滾っていたが、彼の自由が私の掌の上に移ったということは、彼自身の理解するところではなかったようだった。

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