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SとMという性癖

 ジブラルタル沖でスペイン商船から乗り込んできた令嬢博物学者、マリー=ルイス・レフリングは、何事にも動じない女だった。彼女はセバスチャンの助手になるはずだったが、既にその立場は完全に逆転してしまっていた。


「お茶」


「はい!」


「砂糖」


「はい!」


 ご覧の通り、船医としての仕事が無い間、セバスチャンはひたすらレフリングの下僕となって動くことなった。長耳族(エルフ)にも種族内の階級があるようで、ハイ・エルフのレフリングとウッド・エルフのセバスチャンでは、その立場に慄然たる差があるようだった。今ではちょっとのティータイムも彼女のご機嫌次第で、船長であるはずの私のティータイムは二の次だった。


 彼女はストックホルムに向かう途中だったにも関わらず、ジブラルタルでの補給の際にも下船せず、ガンビア行きが決定しても、のらりくらりと艦に居座ろうとしていた。曰く、ガンビアでアフリカ土産に珍しい標本が欲しいからだという。とんでもない居候である。


「あのー、レフリングさん」


「何かしら、可愛い船長さん」


 ジブラルタルに着いた折、どうにか下船について相談しようと思ったが、しかし、その呼び方は困る。確かに私のほうが外見年齢では下かも知れないが、人生経験については上なのだ。本来であれば。


「ガンビアまでご同行いただくことも無いと思うのですが」


「私のお仕事は標本集めなの。ご説明させていただいてもよろしくて?」


「いや、重々承知です。要するに珍しい石やら虫やらが欲しい。そういうことですよね。であれば、このような事になったお詫びとして後で貴方に品物をお贈りする。それで良いはずでは?」


「珍しい石やら虫やらなんて、世界の到るところにあるでしょう。でも、それを自分で見つけ出したい。それが理想なの」


「はあ……」


 私は彼女の話にいつの間にか付き合わされることになっていた。


「貴方はまだお若いわ。このお仕事に熱中する学者の気持ちがまだ分からなくても無理はないけれど、私は折角だからアフリカに行ってみたいの。アメリカも素敵だったけれど、未だにアフリカの密林奥深くに分け入った冒険的な学者は数えるほどしかいないわ。とても魅力的な旅になるはずよ」


 レフリングは眼を輝かせながら言った。今の時代に未踏の領域へ踏み込み、そして大発見を成し遂げたいという気持ちは分かる。しかし、冒険にはそれなりの投資が必要である。旅費も無いまま、たまたま乗り合わせた奴隷船でいきなり冒険に行こうなどとは、そうは問屋が卸さない。


「私たちは予算を切り詰めています。アフリカについたところで、旅行気分で散策なんてできないんです」


「それは勿論、分かっているわ。貴方たちのお仕事を邪魔しないようにしてくれってことでしょう? 大丈夫よ、心配要らないわ」


 メチャクチャ心配である。今もセバスチャンが掛かりっきりになっているし。それでも尚、やはり学者の血は争えないということなのか。結局、彼女は手元にある標本のうち、重複した物やそこまで貴重ではないもののいくつか売り捌き、急遽、旅支度を整え始めた。残った標本はストックホルムに郵便で送り、自分はその足でガンビアへと向かうと言うのである。


 その間もセバスチャンは彼女の「お仕事」に付き添う羽目に陥っていた。仕える相手が一人、二人増えたところでセバスチャンのキャパシティに問題は無かったが、セバスチャンとのどうでもいい雑談の時間が減ってしまい、私の不安は益々大きくなるばかりだった。


「本当にあの女を連れて行く気なのか?」


 船長室に集まった艦の幹部の中で、エドにも不安気な眼で尋ねられる。私だって連れて行きたくはない。しかし、彼女にあれこれ説明しているうちに、何故か手玉に取られてしまうのである。文句があるなら自分で説得して欲しいところではあるが、私より口下手なエドが妙齢の彼女に手玉に取られてしまったら、艦の操縦すら危うくなりかねなかった。


「レフリングは行く気よ」


「行く気があるのか聞いているんじゃない。船長、あんたが連れて行くのかどうか知りたい」


「連れて行く気はないけど……勝手についてくるのなら、黙って見ているしかないじゃない」


「本気なのか?」


 エドが腕を組んで言った。私の決断を見ていられないとでも言うように。しかし、手元にある標本を売り捌いてでもアフリカに行こうという情熱を見る限り、無理やり下船させようとしたところで、却って危険にもなりえるように思えた。それこそ勝手に艦に乗り込んで、密入国などされてはこちらの責任にもなりかねない。


 さらによく思い出してみれば、今はスウェーデンとも戦争中なのだ。敵国の出身者を完全に敵に回すよりも、むしろ乗船させておいて、いざという時に人質にしたほうが安全だ。その路線で行こう。私は覚悟を決めた。


「人質、か……奴隷船というよりも、今となっては海賊と言ったほうが的確になってきたのう」


「仕方がない。本人の希望と、こちらの利益を考えれば、この結論は妥当だろう」


「利益も何も、わしらに得などありゃせんじゃろう」


 エドの言葉に対しても、お荷物が増えてしまい、やれやれと言った表情でラスボーンは頷いた。奴隷船のヒエラルキーでは、一位が私、そして二位がエドなのだから、二等航海士であるラスボーンにこの決定を覆す権利は無かった。


「ああ、何ということでしょうか。まさか、本当にレフリング様を同乗させ続けることになるとは……」


 セバスチャンは大袈裟に呻きながら、船長室の床に突っ伏した。既にレフリング係にさせられているセバスチャンには悪いが、仕方がなかった。


「彼女にも、何かできることはあるでしょう?」


「知識はあっても、レフリング様は医術としての魔法を殆どお使いになられないようです。学者馬鹿(・・・・)といった感じでしょうか。貴族と言えども家柄次第なのです。魔法による利益を王室の専売にしてきた大英帝国のアルベマール公爵、グランヴィル家と違って、レフリング様にはそのような利益重視の魔法を学ぶ機会は無かったようです。実に嘆かわしいことです」


 セバスチャンが項垂れながら答えた。逆に聞きたいのだが、利益重視でない、学問重視の魔法ってなんだろう。


「――セバスチャン? どこにいるのー?」


 船長室の外からセバスチャンを呼ぶレフリングの声が響いてきた。


「あぁ、レフリング様がお呼びです。今は船長室におりますー! どうか今しばらくお待ちをー!」


 だが、彼女は一切待つことをしなかった。いきなり船長室の扉が開かれると、そこには猫鞭を握りしめたレフリングが立っていた。


「ひぃっ! ま、また、お仕置きですか……!」


 セバスチャンが猫鞭を見て震えている。猫鞭とは、握りの先が九つに分かれており、それで相手の肉を裂く恐るべき鞭だ。ニュートン牧師からは、反抗的な奴隷や水夫に対する船長の必須装備と言われていた代物である。今のところ私が猫鞭を使う機会は無かったが、それをいつの間にか、レフリングが手にしている。


「あら、皆さんお揃いで。それじゃあ、皆さんの前で、お・仕・置・き、してあげましょうか?」


 レフリングが手にした猫鞭がピシャリと床を打つと、セバスチャンは急いで私の後ろに隠れた。


「早くレフリング様を止めてください! あんなもので鞭打ちされたら、一生モノの傷が残りますよ!」


「いや、でもその方が良いかも知れないわ」


「何言ってるんですか? ご自分の使用人の危機的状況がお分かりにならないんですか?」


 必死の懇願も虚しく、セバスチャンはレフリングに腕を捕まれ、そのまま床に土下座のポーズで座らされてしまった。


「よいのか?」


「いや、止めてでもやるでしょ、この人」


「うふふ……楽しみね、これから毎日だってこれを使ってあげられるわ~」


 レフリングは笑顔のままセバスチャンの服を脱がせると、何度も猫鞭をしならせながら、セバスチャンの耳元に呟いた。最早、この令嬢博物学者を止められる者はいなかった。


「助けてください、お嬢様! 後生ですから――」


 セバスチャンが言い終える前に、猫鞭の音が鳴り響いた。


「痛い! でも気持ちいい! 痛い、痛い! やっぱり痛いですって! 気持ちいいけど!」


 自らの外科魔法で回復しながら、セバスチャンは我々、公衆の面前で鞭打たれた。明らかにSの女王様の気を持つ女と、そしてMの気を持つ男が誕生している。しかし、私は鞭を使う予定も無かったし、このままのコンビでも良いのかも知れない。私は猫鞭とセバスチャンの嬌声を聞きながら、静かに紅茶をすするのであった。

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