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ジブラルタルの戦利品

 三百トン級のスペイン商船は、甲板で逃げ遅れた水夫も同然だった。どこにも逃げ場もなく、ただ駆逐艦が戻ってくるのを待っているだけの鴨に過ぎない。再び船首のカルバリン砲が火を吹き、今度は鎖弾(チェーンショット)を打ち出した。放たれた球形弾と鎖は空中を舞い、スペイン商船の帆柱(マスト)と索具に損傷を与えた。


(これで敵は動けません)


(むご)いことを考えるのね」


 海上のルールを無視して、レディ・アデレイドは商船を盾にするように位置を決めると、そのまま駆逐艦に向かって射撃を始めた。(おぞ)ましいほど一方的な攻撃だった。


(くそっ! 抜かったか!)


 商船の護衛へと戻ろうとする駆逐艦の船首に向けて、砲弾の嵐が雨あられと降り注ぐ。敵の主甲板は千切れた索具と、倒れた水夫とで埋め尽くされていた。


「いいぞ! もっとだ! やれー! 殺せー!」


 私は船長室のバルコニーから望遠鏡を覗き込みながら、自分の艦に向けて激励(エール)を送り続けた。興奮のあまり、私は自分が公爵令嬢であるという設定を忘れて、完全に畜生の屑に戻ってしまっていた。


(おのれ、卑怯者どもめ。こちらの商船を盾にするなど!)


「あはははは! 馬鹿な連中だ! 死ね! 死んでしまえ! あはははは!」


 敵の駆逐艦の悪態に、私は有頂天になってしまっていた。笑いが止まらない。その時、セバスチャンが血に塗れながら船長室に飛び込んできた。


「怪我人です! 早くなんとかしなければ!」


 そう言えば、こちらにもマスケット銃で撃たれた水夫がいたのだった。船医であるセバスチャンには、当然、彼らを助ける責任があった。ベッドに怪我人を下ろすと、そこら中に血痕を付けながら、セバスチャンは再び主甲板へと戻っていった。


「助け……血が……止まら……」


「ひっ!」


 私の意識は眼の前で起こっている現実に引きずり戻された。そうだ。これは戦争。殺し合いなのだ。私はボーッとしたまま、ベッドで虫の息になっている水夫を見下ろしていた。


「お嬢様!」


 二人目の怪我人を担いだセバスチャンが、私に怒鳴った。


「怪我人がいるのです! 何もなさらないのなら、船長はどこかに行ってください!」


「そ、そんな……私だって応急手当くらいできるわよ!」


 私は急に心細くなってしまい、勢い余って反射的にセバスチャンに反論してしまった。しかし、何をしたらいいのか、まるで見当がつかない。一体、自分は何のためにここにいるのだろうか。


「貴方は魔法の大家のお生まれだ。どうか、私に力をお貸しください。でなければ、この者たちは死にます」


 そう言うと、セバスチャンは私に両手を祈るように握らせ、そしてその上から自分の左手を被せた。


「主よ。どうか、その御力によって治癒の魔力を我に与えたまえ。さすれば我々の兄弟姉妹は我の血を以て立ち上がり、主の剣となって敵を打ち倒すであろう。主よ。どうか治癒の魔力を我に与えたまえ……」


 セバスチャンが祈りを口にすると、私の両手とセバスチャンの左手が輝き始めた。その暖かみのある光は、次第に私の身体の中から、両手を通じてセバスチャンの方へと移っていく感覚があった。


「お嬢様の力です。貴方様には魔力を他人に分け与える、その才能があるのです。グランヴィル家の者は代々、魔力の融通を通じて戦地から王宮まで、あらゆる人を助けてきたのです」


 唖然としている私に、セバスチャンが説明を付け加えた。私の魔力を受け取ったらしいセバスチャンは、不得意だという外科魔法を使い、水夫たちの傷を塞いだ。失われた血は戻らなかったものの、物理的な裂傷や銃傷は治癒したようだった。


「すごい……」


「すべてはお嬢様、貴方様のおかげでございます。私の魔法など、所詮は付け焼き刃に過ぎません。お嬢様こそが、これらの魔力の源泉なのです」


「いきなりそんな事を言われても……。セバスチャン、貴方が彼らを治したのだから、貴方のおかげでしょう。本当にありがとう」


「身に余る光栄でございます」


 セバスチャンは深々と頭を下げた。その間にも、外では砲撃と銃声が鳴り響いていた。しかし、その轟音も次第に収まりつつあるようだった。


「どうやら、凌いだようですな」


「そう……みたいね……」


 私が警戒しながら船長室の外へと出ると、外ではレディ・アデレイドがスペイン商船に係留する最中だった。敵の駆逐艦は拿捕されることを恐れて、尻尾を巻いて逃げおおせたようだった。なんと、初戦にして初勝利である。


 そして今、レディ・アデレイドの船員はスペイン商船へと乗り込み、戦利品を没収するという算段になったらしい。一等航海士のエド、砲手、がたいだけが取り柄の水夫たちがスペイン船に乗船し、交易品を奪い取っていった。


 その中には新大陸でしか見られないような貴重な植物や鳥の標本といった、学術的な品物も含まれていた。しかし、奴隷船にそんなものは不要だった。必要なのは水夫を満足させるだけの酒や糧食、そして女だった。


「あら、随分と時間がかかったけれど、ストックホルムに戻ってこられたのかしら?」


 なんとも肝の座った女性が乗っていたようである。水夫が一人の見目麗しい長耳族(エルフ)の女性を連れ出してきた。


「へへ、かなりの上玉ですよ、船長」


「お待ちなさい! 女性に手を出して良いと、誰が言ったの?」


 私は調子に乗っている水夫たちを(たしな)めた。


「折角の戦勝だぞ。それにこれだけの戦利品も手に入った。王立海軍に報告しなけりゃ、この戦利品は俺たちのものだ」


 エドが商船から持ってきた交易品を顎で示した。こちらも怪我人が出たのだし、確かにそれだけの価値がある戦いだったといえる。しかし、あくまでも英国人として紳士的に振る舞わなければならない。そう、紳士的に。


「……ここはストックホルムではないみたいね。先生もおられないし。これはまさか、艦が迷子になってしまったのかしら? どうしましょう。困ったわね」


 水夫に拘束されたスペイン商船の長耳族(エルフ)女性が独り言のように呟いた。目が冴えるような赤毛に、碧色の瞳。その服装から察するに、かなり高位の貴族のようだった。折角の安全な航海を駄目にしてしまったのは申し訳ないが、こちらも反撃する必要があったことは事実である。


「こんな事をしてしまって、大変申し訳ありません。ですが、私たちもフランス海軍に拿捕されるわけにはいかなかったのです」


 私は船長として女性に名乗り出た。


「私はメアリー・グランヴィル。この艦の船長です。貴方の身の安全は保証します」


「あら、ご丁寧にどうも。貴方の艦も素敵ね。やっぱりスペイン商船ではなくて、大英帝国の商船に乗ってきたほうが良かったかしら。フランス海軍の駆逐艦よりも重武装だし。おまけに水夫だって十人以上いて、皆、頼りになりそうだもの」


 長耳族(エルフ)の女性は水夫たちに手を振った。水夫たちは自分に振り向いたのだと言わんばかりに大声で囃し立てあった。


「え? あ、はい……。私たちは重武装ですが、これからジブラルタルへ向かい、それからアフリカで奴隷を買うだけの奴隷船なのです。お許しになられない事は重々承知ですが、せめてジブラルタルで貴方を引き渡すように取り計らわせてください」


「え? 何のこと? ジブラルタル? 私は博物学者で、標本をストックホルムに持ち帰る予定なの。ジブラルタルで乗り換えなんて、聞いてなかったのだけれど……私ったら、うっかりしていたわ」


 まさか博物学者とは。しかし、貴族らしい服装から見て、どう考えてもアマチュアの令嬢博物学者のようにしか見えない。エドは事態に動じていない女に対して、既に興味を失っているようだった。


「こいつ、どうすればいいんだ? スペイン商船は航行不能だ。助けるっていうのなら、このままジブラルタルまで一緒に運んでやるしかないぞ」


「仕方ないでしょう。私たちにも責任があるわ」


 そのような経緯で、私たちはスペインの博物学振興事業に加わっていたフランス植民地帰りのスウェーデン人博物学者、マリー=ルイス・レフリングを同乗させることになったのだった。スペインの事業に参加する形で異国の植民地を探検した後、商船に乗って帰路に向かっていた奇妙な博物学者は、とりあえず船医助手としてセバスチャンの手伝いを行うことに決定した。

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