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プロローグ ~ ご令嬢のご登場

 海から港に吹く風が心地よい。

 竜機での道程(みちのり)を終えて辿り着いた湾港都市は、すべてが目新しいものに思えた。どこを歩いても異国人の船乗りがいる。それぞれ種族は異なるが、全員が商業に従事している水夫なのだと一目で分かる。彼らは皆、ひとたび船を降りればただの酒乱。歌って踊って呑んだくれるのが仕事の荒くれ者に変わるのだ。


 そのような異国人の船員たち。独自の建築様式を誇らしげに見せつける異人館。そして異国人が架橋したエキゾチックな石造りの桟橋から港町を眺めると、心が洗われるようだ。地元の川船とは様相の全く異なる、二百トン級の巨大な商船が穏やかな入江で肩を並べる港は、まさに異世界の入口なのだと感じられる。


「お嬢様ー! どちらにいらっしゃるのですかー!」


 私が異国の匂いを嗅ぎ、異国の風を感じていたその時、どこからか使用人の呼ぶ声が聞こえてきた。全く以て風情(ふぜい)が無い。


「メアリーお嬢様ー! どこですかー!」


 嗚呼、もう。(うるさ)い奴だ。こちらが異国情緒に浸っているのに、世話の焼けるお嬢様扱いとはあんまりではないか。しかし、彼の呼び掛けは私を見つけるまで延々と続くだろう。私は仕方なく使用人の呼び掛けに応じてやった。


「ここよー! 早くこっちに来てー!」


 私は公爵のご令嬢らしく、細かい刺繍を施されたレースの手袋をはめた、華奢な手を小さく振りながら、使用人を呼んだ。


「そちらにいらっしゃいましたか、お嬢様。一体、どちらに向かわれたのかと……」


 奇怪な仮面を被って顔を覆い隠した若い長耳族(エルフ)の使用人が、えっちらおっちらと駆け寄ってきた。いくら種族の違いがあるとは言え、長年に渡る退屈な使用人の仕事は長耳族(エルフ)のただでさえ少ない体力すらも失わせるらしい。呆れたものである。


「少し風に当たりたくなったの」


 私は日傘を傾けながら答えた。


「なるほど。であれば、もう少し(はだ)けた御召し物をご用意すべきでしたかね。むしろ、今脱いでも問題ございません。いや、そんなことをすれば、水夫共が娼婦に向けるような視線をお嬢様にまで向けるやも知れません。いけません、風に当たろうなどとは! アルベマール公グランヴィル家の名誉にかけて、このセバスチャンが許しません!」


「脱がねえよ、馬鹿」


「失礼いたしました、メアリーお嬢様。はあ……」


「はあじゃねえだろ」


「はい」


 使用人のくせに、こともあろうに主人に対してあるまじき言葉を平気な顔で繰り返す、この馬鹿の名前はセバスチャン・スミス。使用人という肩書を外せば、私という屑に相応しい大馬鹿者である。


「それにしても、急に消えるなんてあんまりではありませんか。(ふね)を探したいというお気持ちは分かりますが、実に難しい話です。艦を買うとなったら、旦那様が黙ってはいませんよ」


「お父様には貴方からきちんと説明してくれればいいのよ。むしろ、お母様のほうが厄介かも知れないわ」


「自分の生みの親に対してよくもそんな言葉を……。やはりお嬢様はお変わりになってしまわれたようですね」


「何度も確認するようで申し訳ないけど、私は――」


「皆まで仰らずとも分かっております。このセバスチャン、お嬢様が異世界から転生してきたなどという妄想に取り憑かれているなどとは、誰にも明かしません。私とお嬢様の間の秘密の取り決めですとも」


 やはりこの馬鹿には何を言っても無駄のようだ。とは言え、セバスチャンは使用人として、そして魔法医としては優秀なので、どうしても扱いに困るということは無かった。


 本当の問題は、私のビジネスに相応しい艦と船員を見つけ出すということにあった。港に並ぶ二百トン級の艦のように武装がしっかりとして、艦歴の長くない比較的新しい艦が必要だった。さらに船員は艦に相応しく優秀で、酒浸りの毎日から覚醒した者でなくてはならない。


(ここです……)


 今、一瞬何か声らしきものが聞こえてきたような気がするが、恐らく気のせいだろう。何者かが私に声を掛けてくれば、長耳族(エルフ)の使用人が黙ってはいない。勿論、本当は黙っていて欲しいのだけれども。


(貴方の求める艦はここにいるのです……)


 どうやら、私は転生のショックで右眼が義眼になってしまっただけでなく、耳と頭の中まで少々おかしくなってしまったらしい。直接、頭の中に語りかけてくる声があるように感じる。セバスチャンが顔の真ん中に大きく「?」を浮かべた表情になったことから察するに、どうにもこれは魔術や呪術の類いでもないらしい。


(おーい! 聞こえてます? 貴方の心に直接語りかけてるんですけど? もしもーし?)


 しかも声の調子がどんどん雑になっていく。CV:能登麻美子あるいは早見沙織の声でこんな呼び掛けを行ってくるとは、きっと邪悪な意志によるものかも知れない。


(さっさと気付いてくださいよぉ!)


「はい?!」


「お、お嬢様?」


「いや、なんでもないわ……」


 私は思わず周囲を見回した。誰かが心に直接話しかけてくるなんて、いくら異種族がいて魔法のある異世界でも今までに無かった経験だった。私は警戒を怠らず、慎重に心の声を聞き取りながら、その誘導に従って湾港内にある造船所へと歩を進めた。


「お嬢様、こちらはロープ小屋ですよ。あちらは材木置場です。実に良い設備ですね。それにしても造船所にやってくるとは、お嬢様の慧眼(けいがん)には本当に関心してしまいます。造船しているうちに文句を付けて、目ぼしい艦を買い叩いてしまおうとは、実に素晴らしい目論見です」


(よろしいでしょう。その調子で、第二ドックまで来てください)


 私はセバスチャンの言葉を完全にスルーしながら、奇妙な心の声に(いざな)われて造船所の中を進んでいった。少しは名のしれた公爵家のご令嬢という肩書のおかげで、造船所内の警備も私の侵入については御目溢(おめこぼ)ししてくれる。公爵令嬢、なんと(さわ)りの良い言葉であろうか。


(ご令嬢一名様、こちらですよ。さっさと来てください)


 ちょいちょいディスり気味に案内を受けながら、私はついに心の声の指示された第二ドックに到着した。そこには進水式を控え、マストの代わりに国旗(ジャック)、軍艦旗、長旗(ペナント)を掲げた艦艇の姿があった。惚れ惚れするような曲線美を喫水線下に湛えた艦影は、まさに私が探していたものだった。


「貨物を大量に詰め込める大きさ、重武装を思わせる銃眼(ガン・ポート)の数、きちんと船尾まで木材が充填された船体、魅惑的な船首の装飾は天人族(セレスティア)の女神像……これよ! 私が求めている艦は!」


「左様ですか。こちらの艦をお嬢様の艦に……?」


「声が――艦の(ゴースト)が私に囁いたのよ」


 私はセバスチャンを振り返って答えた。セバスチャンは納得が行かないようで、私に胡乱げな視線を返した。


「失礼ですが、頭がおかしくなってしまわれたのですか?」


「失礼な。頭のおかしな使用人には言われたくないわ」


「頭のおかしな使用人でもおかしいと思う事態ということです。艦の(ゴースト)の声が聞こえるなんて。この艦は意志を持った悪魔の艦ということではないでしょうか」


(頭のおかしな使用人如きが、悪魔の艦とは失礼な)


「今、艦にまで頭のおかしな使用人って言われてるわよ」


「なんと無礼な……名を、名を名乗りなさい!」


 その時、不意に大きく波が押し寄せ、艦の傍らに立っていた私とセバスチャンに海水が襲いかかった。私は間一髪で日傘を構えて海水を凌いだが、セバスチャンのほうはあっという間に下半身が濡れねずみになってしまった。


「何なんですか、この艦は……本当に、何かありますね。間違いなく悪魔の艦ですよ。聞いてますか? お嬢様」


(私はレディ・アデレイド。貴方のお役に立ちましょう)


「なんて反抗的な態度かしら。でも少しだけ譲歩して、貴方を使ってあげる。ありがたく思いなさい」


(後悔はさせませんよ)


 私はお喋りな艦を指差して宣言した。周囲で作業していた船大工たちが唖然としている。造船所を見物に訪れたらしき貴族の少女が、艦に向かって「使ってあげる」とは。一体何事かと、造船所の書記官たちまで駆けつける騒動になってしまった。


 書記官たちに対しての説明はセバスチャンの役目になった。私は造船所の事務所で、ゆっくりとアフタヌーンティーを嗜みながら、これから始まるビジネスという航海に思いを馳せた。

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