夜の会議
「ま、薬の数も多くないし使いどころは君に一任するよ。一晩じっくりこれがどんなものなのか考えるといいさ」
彼はマルカさんに話があると言って部屋を出ていった。
机に置かれた三つの瓶が蝋の炎に照らされて怪しく光っている。
この先を行くならきっとこれを使う機会がある。正直言えばこれを平気で使えるほど覚悟も出来ていないし勇気もあるわけではない。
けれど、これを使って彼女の助けになるならば、俺の感じる苦痛などきっと安いものなのだ。
「痛いのはやっぱ嫌だけどなぁ......」
漏れ出た本音が一人の部屋で静かに消えていった。
※
彼が部屋を出ると、マルカが壁にもたれていた。
「おや、もしかして僕をお待ちかな」
「残念だけどその通りよ」
「もしよろしければ、一緒にお食事でも」
彼女は鼻で笑うと、彼の前を通って階段を降りていった。
二人はテーブルにつくと、客足が遠退き暇をしていた店主が注文を取りに来た。
「で、わざわざ二人に隠してまで話したいことって」
切り出したのは彼女の方であった。
「二人、と言うより彼にだけどね。それと隠したいのは僕じゃあない」
「てことは、あの村のあの手紙。なるほどねあなたでも子供を気遣うくらいの良心はあったわけ」
「心外だな。僕はいつだって優しさでいっぱいだよ。話の前に、彼女の様子はどう」
「よっぽど気を張ってたんでしょうね。部屋に入るなり布団にごろんよ。ただまぁ」
彼女はそこまで言うと、肩肘をついて彼女の眠る二階に目をやった。
「ただ?」
「寝る前にあの娘言ってたのよ。彼には手紙のことは言わないでくれって」
「ほぉ、これまた随分と信用されてるようだね」
「信用なんてそんな良いものじゃないわ。あの娘ははじめっから文字の読める私達二人に知られてしまうことはどうも思ってないのよ。その上で、彼にだけは知られたくない。きっと怖いのね、手紙に書かれた何かを知られたら彼との関係が変わってしまうんじゃないかって」
「まあ実際、常人ならそうだろうね」
彼のその一言にマルカは目を細め、店内を見渡し声を抑える。
「やっぱり、アキアの民が?」
「相変わらず鋭いね。確定じゃあないけれどあの一件、どうやらアキアが関係しているみたいでね」
「で、手紙にはなんて」
「かいつまんで話すと、実験の内容が日記のように綴られていて、彼女達が遭遇した化け物の変異過程も事細かに書かれていたよ」
「アキアに関することは」
「出生に関することは何も。ただ、一つだけ気になる記述があってね」
そう言うと、彼は手紙を差し出し最後のページを読むように促した。
『これで終わりではない。我が紅き瞳が貴様たち悪魔を裁くその日まで、犯した罪に怯えるがいい』
「これは......。なるほどね」
その記述に彼女は重々しい顔つきに変わる。
「赤い目の人種は僕が知る限りアキアの民だけだ。これが悪戯や撹乱を目的とした記述でないなら、彼女の他に生き残りが居たことになる」
「つまり、この記述を目にして彼女はそれに気が付いたと」
「そうだろうね。それと気になることがもう一つ」
「でも、仮にこれが本当に生き残りの仕業だとして、どうしてこんな目立つことを。自らをわざわざ危険に晒すような行為、やっぱり撹乱が目的なんじゃないの」
「その可能性は無い訳じゃない。が、今の時点では存在しない影を追わせるための記述だと考えた方がしっくり来る。だけど、居ないと考えていたアキアの民、彼女が僕の前に現れたのは紛れもない事実だし、安易に結論は出すべきじゃないだろう」
「それもそうね。それに、今回の一件はたまたま彼女達が被害にあっただけで、犯人探しは聖都の連中の仕事だしね」
「なら、この手紙を騎士の連中に渡して犯人捜しは任せるかい?」
「それは無し。真実がどうであれ犯人捜しが大々的に始まれば聖都に向かうのが益々面倒になる。犠牲になった人達には悪いけど今は少しでも発見を遅らせたい」
「なるほどね。なら急いだ方がいい。最後の記述と言い手紙の内容と言い、手紙の主の目的はまだ果たされていないんだからね」
「......つまり、今回はあくまでも実験でしかないと」
「またどこかで同じことが起これば、同じ様な書き置きが連中の目に止まるのは確実だ。そうなれば今以上に躍起になって犯人捜しを始めるだろうからね」
「まったく、嫌んなるわね」
彼女は椅子の背にもたれ掛かり、テーブルを手で軽く押して背を伸ばし、浮かない顔をする。ただでさせ厄介な道中に面倒な話が降ってわいたのだ。彼女が頭を抱えるのも無理はなかった。
そんな彼女の心配をよそに、彼はまだ思考を続け顎に手を当て肩肘をついている。
「これ以上考えたって何か得るものでもあるわけ」
彼女はこれ以上の不安要素を聞き出すのが嫌らしく、少し苛ついて釘を刺す。
「おかしいと思わないか」
刺した釘は容易く折られ、彼女は口を歪める。
「何が」
「聖都の連中はすでに彼女の存在を知っている。現に複数回彼女達は何者かに襲撃されている。なのに今回は瀕死の彼らの前に姿を現さなかった。これって不自然じゃあないかな」
「そんな都合良く居合わせることの方がおかしいでしょ」
「いいや、彼女達に見張りの二人くらいは付いているだろうし。それが姿を現さず僕たちと合流することを許した」
「じゃあ見張りを付けてなかったんでしょ」
彼女の言葉に彼は目を丸くする。
「な、何言ってるんだい。確かにこの目で見たわけじゃないけど、君だって異様な視線は感じてるだろ」
「なんでそれを!」
彼女は声を荒らげると、寸でのところで我に返りそれを圧し殺した。
「......なんでそれを早く言わないのよ」
「なんでって、てっきり君もわざと知らないふりをしてるのかと思って」
「ほんとあんたは......」
「いやいや、いずれの襲撃も奴らの差し金と考えるのであれば、監視役の存在を疑うのはごく自然な考えだと思うけどね」
「それは......そうだけど」
監視役と言う発想に至らなかった己の浅はかさと、目の前の冴えない男の方が思慮深いと言う事実に彼女は落胆の色を隠せない。
「じゃあなんでそれに気が付いていて追い払わないのよ」
「君がそうしたいならそうすればいいけど。僕はほら、立場がねぇ」
「あーそうでしたね。だけど今更じゃない? 連中に雇われた追っ手だったらあなたもうヤっちゃってるんでしょ」
彼女は自らの失態による行き場の無い苛立ちを、彼にぶつけるようにぞんざいに言葉を放つ。
「出所のわからない賊と、騎士に直接手を出すのじゃ話が違うさ。万が一それで連中から恨みでも買ってみなよ、上に何て言われるか......」
そう言ってわざとらしく身震いしてみせる。
「観龍者様は大変でございますねぇ。そんななら辞めちゃえばいいのに」
「それは駄目だよ。ほら、僕って寂しがりやだから」
彼は優しく笑顔を浮かべた。
「あんな森の奥で一人だったくせに良く言う。まあいいわ、あなたにそのつもりがないならこっちで勝手にやらせてもらうから」
「どうするかは君に任せるけど、一つ助言させてもらえるなら、考えもなく刺激することは得策じゃ無い」
「と言うと?」
「良く考えてもみなよ。元々彼女を殺すつもりなら腕のたしかな本隊の連中を寄越してるはず。なのに、襲ってきたのはゴロツキに毛の生えたような連中ばかりだ」
ここまで話せば分かるだろうと彼はあえてそこで話を止め、彼女もまた意を汲んで少し頭を捻らせる。
「首謀者は私達に聖都の差し金だと知られたくないってこと?」
「アキアを狙う動機があるのなんて聖都くらいだからそれはないと思う。僕が考えるにこの一件、聖都が主体となって動いていない気がするんだ」
「そんななんで」
「そこまでは分からないけど、その何者かが聖都に泣きつく状況は作りたくない。いくら君と言えど本隊の連中を相手にするのは無理だろうからね」
彼女は頭を掻きむしり苛立ちを露にする。
「あーもう、手紙と言い聖都と言い面倒くさいわね!」
「どうも荒れているようだね」
聞きなれない声にハッとして顔を上げると、店主が食事を手に横に立っていた。
「あ、はは。ごめんなさいね大きな声だして」
「今夜は他に客も居ないから気にしなさんな。そうそう。一つ気になったんだが君らの連れに紙の白い子が居たろう。見たところ君らの子供じゃ無さそうだし」
その質問に二人は一瞬顔が凍りつき、彼女は背中に冷たい汗が噴き出すのを感じた。
「あー、あれはその、亡くなった友人の子でして」
彼女が突然のことに言葉が出てこないのを察して、咄嗟に取り繕う。
「これは失礼した。すまないねつい髪の色が珍しくて」
「いいんですいいんです気にしないで」
店主はばつが悪そうにそそくさとテーブルに食事を並べると、店の奥へと引っ込んだ。
「......冷めないうちに頂こうか」
「そうね......」
冷や水を浴びせられ、二人は静かに食事を口に運んだ。




