終わりと再会
気がつくと視界いっぱいに夜空が広がっていた。傍らに目をやると彼女が瓦礫にもたれて船を漕いでいるのが見え、俺の視線に気がついたのか目を擦って立ち上がる。
「ん、ああ。気がついたか」
「ああそうか……、俺はどのくらい死んでた」
「そんなには。ただ今回は死んでないぜ。息もしてたし」
「そうなのか」
体を起こそうと手に力を入れる。腕の傷も治っているようで、少し痛むが問題はなさそうだ。それに、腹の穴は少しの傷跡だけですでに塞がっているし、我ながら化け物じみた能力だ。
「体は?」
彼女は屈んで腹の傷を見ながら、若干不安げな声を出す。
「まだ本調子じゃ無いかな。あの人は?」
「ああ、あいつなら例の家の場所だけ聞いてどっか行っちまったよ。もう少し良くなったら出発するから、それまで寝てろな」
「そうさせてもらうかな」
彼女は大あくびをすると、軽く伸びをして立ち上がった。
「暇だしそのへん見てくるわ」
そう言い残すと瓦礫の山へと分け入って行った。
一人夜空の下に残され、先程までの出来事がやるせなさと共に頭の中を行ったり来たりし始める。
まさか、軽い気持ち少し金にでもなればと受けた話がこんなことになるとは思ってもみなかった。もしかしたら、俺達でなくあの人が先に依頼を受けていたら、こんな惨劇にはならなかったのかもしれない。
もしもの話を持ち出せばきりがないのは分かっているが、どうしてもこう思わずにはいられない。
惨めだ。
無敵の体を手に入れても、なんの役にも立たない。元はただの大学生なんだから仕方がないと言えばそれまでだが、彼女を聖都へ無事に辿り着かせると決意をしたばかりなのに、これではあまりにも……。
「なに難しい顔してんだ」
視界の隅からひょっこり彼女が顔を覗かせる。俺は気持ちを切り替えるために顔をほぐすように両手で頬を拭う。
「いや、ちょっとね」
「ふーん。それより見てくれよこれ」
そう言って彼女が背をこちらに向け、背負った鞄を得意げに見せてくる。
「どうだ? これでもう手ぶらで歩かなくて済むぜ」
「それどうしたんだ」
「どうしたって、そこら辺の家にあったから」
「拾ってきたのか?!」
「な、なんだよ急に大声出すなよ」
「だ、駄目じゃないか。そんな人の物を無断で」
「良いじゃねえか別に。もう使うやつなんて居ないんだし」
「それも、そうだけど。なんか遺品を漁ってるようで」
「あのなー、もっと柔らかく物事を見ろよ。この鞄だってこのまま朽果てるより有効活用してやった方が浮かばれるってもんだろ」
「……分かったよ」
「分かってくれたんなら、こいつはお前にやるよ」
彼女は鞄から黒い服を一着取り出し渡してきた。
ただ、それも誰かの物であることを考えると素直に受け取る気持ちになれない。
「そんな格好でうろつく訳にもいかないだろ」
「分かってるよ。ありがとう」
彼女の手を借りて立ち上がり服を受け取る。サイズは少し大きいがこの際気にしていられない。
周りを見渡すと亡骸のほとんどが灰となり、炎も小さくなっていた。
もう、誰がリリーさんだったのか、どこにいるのかも分からない。
「やれることはやったんだ。行こうぜ」
「うん」
後ろ髪を引かれる思いで村を後にする。暫くの間煙の臭いが俺たちの後を追いかけて来て、それを感じなくなった頃には夜が明けていた。
日が昇ると彼女の煤けた顔がよく見える。全身も焦げたように汚れており、戦闘の凄まじさが思い起こされる。
幸いにも道を少し外れた先に川が流れていて、あまり深くは無く足首ほどの水量である。
先の戦闘で無茶をしすぎたのか妙に体が火照っていて、手を浸けると川の冷たさが心地良い。
彼女は、はしゃいだ様子で水しぶきを上げながら川へ入っていく。
「ひゃー冷たい!」
そう嬉しそうに笑いながら、水を蹴飛ばしたり顔を洗ったりしてひとしきり楽しむと、服も脱がずにその場に倒れ込んだ。
俺もズボンの裾を上げ、遅れて川へ足を入れる。
冷たさが足裏を伝って全身に回る。足に当たる丸い石の感覚にどこか懐かしさを覚え、ふと昔の記憶が思い起こされた。
のも束の間、彼女が蹴り上げた水しぶきが前面にクリティカルヒットしずぶ濡れになる。
「ちょ、やめろよ」
「良いじゃん良いじゃん、こんなに気持ちいいのに足先だけなんて勿体ないぜ」
「はあ、たく」
今更もう遅いが上の服だけ河原に放り投げ、水中にゆっくりと腰を下ろす。
とても座り心地が良いとは言えないが、体中の汚れが洗い流されるようで気持ちがいい。
ぼうっと空を見上げ、優しく打ちつける水の流れに身を委ねていると、昨夜の騒動が遠い過去のように感じられる。
「全部、そうだったら良いのにな」
「何が?」
「いや、ただの独り言だよ」
ふーん、と彼女は興味の無さそうに鼻を鳴らすと、指で自分の髪を数回つついた。
「どうでもいいけど、その頭洗った方がいいぜ」
「頭?」
水面を覗き込むと、髪の色が中途半端に落ちて黒髪が見え隠れしている。
水を掬って数回洗ってやると薬は綺麗に流れ落ちた。
「どう? まだ残ってる?」
「いやー、ん? ちょっと待てよ」
そう言って彼女に髪の一本を摘ままれ、一気に引き抜かれた。
「いった!」
「ほら、見ろよ」
「なんだよ急に〜」
頭をさすりながら彼女の手を覗き込むと、白髪が一本握られていた。
「うわ、ストレスかなぁ。このまま旅をしてたら髪の色一緒になっちゃうかもね」
「はは、そうなる前に全部抜いてやるよ」
「なんだよ良いじゃんお揃いで」
「は。そんなことねぇよ」
彼女は手に握った白髪を恨めしそうに見つめる。その顔があまりにもブサイクなものでつい水を掛ける。
「うわっ! やめろよ!」
「あはは、湿気た顔されるより怒ってる方がよっぽどマシだな」
「んだとぉ。そんならこうだ!」
怒った彼女は俺の方に足を向けると、足をバタつかせて何度も水を掛けてきた。
「ちょ、やめろ、やめろって悪かったって」
他愛も無いやり取りが、一時だけでも嫌な気持ちを忘れさせてくれる。だが、何か得体のしれない不安が湧き上がり、すぐにその正体を思い出した。
「あー! やばい忘れてた!」
すぐさま川から上がり、ズボンのポケットに手を突っ込む。不安の正体が手に当たり恐る恐るそれを引っ張り出すと、無惨な姿の紙束が出てきた。
「あーあ、やっちゃった」
「お前まだそんなん持ってたのかよ」
「だって俺だけ読めてないし、大体説明が大雑把すぎるしさー」
「いいから捨てちまえよ」
「嫌だね。いつか役に立つかもしれないし」
クシャクシャになった紙を一枚一枚丁寧に剥がしていき、石の上に並べる。
幸い天気も良いしすぐに乾きそうではあるが、果たして元に戻るだろうか。
それから紙の乾くのを待ちながら、川の流れを子守唄に仮眠を取った。
目を覚ました頃には紙も服もすっかり乾いていたが、少々寝すぎたようで日は傾きかけ夜が近づいていた。
「寝すぎたな」
「これじゃ今日は野宿だなぁ。あー腹減った」
「言うなよ。考えないようにしてたのに」
「しょうがねえだろ。一日食わなくたって死にゃしねえし、次の町まで我慢だな」
「次ってどのくらい歩けば」
「さあな。ま、何とかなるさ」
まだ明るい内に少しでも進もうと、道に戻って歩き出す。すると、後ろの方で声が聞こえ振り向くと馬車の様な影が見えた。
「おーい! おーい!」
大きく手を振りながら向かってくる。段々とその姿がはっきりと見えてくる。
「あれは……」
「おーい! ふたりともー!」
「あれは、マルカさん?!」
「な。何とかなったろ」
彼女は俺を肘で小突きながら、ニヤリと笑みを浮かべた。




