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異世愛者  作者: 猫護
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鎧よ再び

 その姿に見覚えがあった。いつかの宿屋で会った剣を持たない男である。


 一体なぜ彼がここにいるのか分からないが、なりふり構ってはいられない。


 今すぐにでも彼女を連れて逃げてくれと言いたいところだが、助けを請おうにも既に体は限界を迎え、視線を動かすだけで精一杯な有様だ。


 異形が男の存在に気がつき、邪魔をするなと言わんばかりに触手を放つ。


 男が空を握り無い剣を構え、一撃を放つ。


 次の瞬間、突風が巻き起こり触手は二つに裂け男の両脇を滑っていった。


 異形は何が起こったのか理解できないという風に首を傾げ、また二三、触手を使って襲いかかる。だが、そのいずれも見えない刃によって切り裂かれていく。


「オオォオオオォオオ!!!」


 異形は苛立ちを隠せず、地の底から響くような雄叫びを上げ、俺の腹から乱暴に剣を引き抜いた。そのまま地面に落とされショックで意識が飛びそうになる。


 異形の足が男の方に向いたのが見え、残る触手全てを解き放った。男はそれを鎧を着ているとは思えない軽い身のこなしで避けると、すかさず触手の束を切り捨てた。


「ギン! しっかりしろ!」


 彼女が脇に手を回して俺の体を起こす。


「おい、おい! まだ生きてるか」


「もう、死にそうだけど、なんとか」


 我ながら死に直面している人間の言葉とは思えないことを口走ったものだ。死の概念が自分から遠ざかっているのが分かる。


「クソっクソっ、だから、関わるべきじゃ無かったんだ。この有様を見てみろ」


「返す言葉も、ないね。だけど、ほら、何とかなる、かもしれない」


 視線の先では異形が男と対峙していた。


「ォォォオオオオオ!!」


 人の声ではないそれが男にの全身に降りかかり、それぞれの両手を握りしめ頭にめがけて一気に打ち付ける。しかし、またしても綺麗に切断されたように腕が吹き飛んだ。


「ああ、これは、そうか。結局は一つなのか」


 男がそう呟く。


 斬撃が異形の足を捉え片膝を付かせると、不可視の刃が胸を貫き異形の背から赤黒い体液が吹き出す。


 異形はそのまま背から倒れ、虚ろな目玉達が闇の中で苦しむように震え始める。


 俺は彼女に肩を借り、男の方へと歩いていく。


「お、終わったん、ですか」


「いいや、まだだよ」


 異形の腹に剣が突き立てられ、暗闇が引き裂かれる。そして、男は両の手を穴に突っ込むと、ズルズルと何かを引きずり出した。


 息絶えたはずの異形が悲鳴を上げる。


「見るかい?」


 差し出された手には、赤い膜に覆われた胎動する肉肉しい何かが乗っている。男がその膜に切れ目を入れ、器用に剥がしていく。


 中から現れたのは、小さな心臓であった。


「かえ、して……、かえし、て」


 男の手に向かって、異形が無い手を動かして取り返そうとする。その声は聞き覚えのあるリリーさんの声に変わっていた。


「これがある限り、君は救われないんだよ」


「おね、がい。かえして」


 俺にはそれが何なのか分からなかった。ただ、それが異形に成り果ててなお、リリーさんにとって大切なものであることは分かった。


「だめだよ」


 彼は小さな心臓を、ブチブチと音を立てながら握り潰した。指の間からその大きさから考えられないほどの多量な液体が噴き出し、足元に小さな血溜まりを作った。


 リリーさんはそれを見届けると、残った腕で体を起こし引きずるように血溜まりまで這うと、まるで抱きかかえる様に、愛おしそうに覆いかぶさる。


「う、うう……、ごめんね、ごめんね……」


 肩を震わせすすり泣く声が聞こえ、それからしばらくして小さく息を吐き、彼女は力尽きた。


「リリーさん……」


 殺されかけたとは言え、その行動は彼女の意思では無いように感じられ、怒りよりも憐れみや同情といった感情が何も出来なかった虚無感と共に湧き上がる。


「ああひどい傷だ。大丈夫ですか」


「大丈夫、じゃ、ないですけど、そのうち、良くなります」


 先に彼にお礼を言うべきなのだが、それよりも目の前に散らばった疑問を投げかけずにはいられなかった。


「あなたは一体、それに、何か知っているようでしたけど」


「そ、そうだよ。いきなり出てきてブツブツ言いながら倒しちまうし、何者だよお前」


 彼女は敵意半分不信感半分を彼に向ける。ただ、俺からしても、突然現れて苦もなく強敵を組み伏せるのを見せられ、感謝よりも恐怖が勝ってしまうのは無理もないとは思う。


「何者、何者ですか。さあ、何者なんでしょうね」


「はあ?」


 その反応を見て彼は鎧の奥で少し笑った。


「それより、彼女達はどうしてあんな姿に? 元は人の形をしていたのでしょう?」


「それは」


 俺は答えを催促するように視線を送ると、彼女は少し苦慮するように頭をかく。


「……良く分かんねぇけど、リリーは私達が会った時にはもう、駄目になってたんだと思う」


「つまり?」


「だから、リリーはあの森で襲われた時、魔法をかけられて、それで操り人形みたいに何人もあの森で人を殺してたんだよ」


 彼女の口から予想外の言葉が発せられ、思わず耳を疑った。


「人を殺してたって、え、どういうこと」


「知るかよ。そう紙に書いてあったんだから」


「失礼。その紙と言うのは今はお持ちで?」


「え、ええ」


 ポケットに突っ込んでいたクシャクシャの紙を彼女に取ってもらい渡す。彼はそれを丁寧に広げると灯りも無い中で読み始めた。


「ああ、うん、そうか。やはり大方そんな事だろうとは思っていたのですが」


 数枚紙を捲ったところで一人納得の声を上げると、それ以上は目を通さず綺麗に二つ折りにして紙を彼女に渡す。


「何が書かれていたんですか」


「そうですね、これは言わば実験記録みたいなものですね。読まれますか?」


「い、いえ」


「そうですか。では簡潔に説明しますと、魔法による服従と兵士への転用を画策していたようですね。ただ、結局上手くいかず実験体を残して町を去ったみたいですが」


「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい。説明が簡潔すぎて、その、なんだってそんなことを。理由は?」

 

「さあ、分からないですね。断片的な情報だけでは何とも」


「そんな、そんなことって、じゃあリリーさんは、この町の人たちはそんな訳のわからない実験のために、こんなことって」


 言葉が詰まる。結局リリーさんの謝罪の意味も分からず、誰一人助けられず、考えうる限りの最悪の結末を迎えてしまった。


「悲しんでるとこ悪いけどよ、そんな話より私はあんたの素性の方がよっぽど気になるんだが」


 彼女は不信感を隠そうとせず睨みつける。


「ただのしがない旅人ですよ」


「ただの旅人があんなこと訳のわからない戦い方するか」


 彼は一拍おいてまたしても鎧の奥で笑い声を響かせる。


「そうですね、あなた達にはそう見えてしまうのでしょうね。ならここで一つ教えてあげます」


 すると、先程までの柔和な雰囲気が消え去り、鎧越しにも分かる圧が一気に場を支配する。


「姿形が似ているからと言って、同じ尺度で測れるとは思わない方がいい」


 その言葉にはまるで喉元に剣を突き付けられたような、そんな鋭さがあった。


「なっ」


「さあ、無駄話はここら辺にして、私は後始末をしますが、あなた達は……その傷では無理ですね」


 これ以上話すことは無いと無理矢理会話を断ち切ると、彼はリリーさんであったものを軽く担ぎ上げ、亡骸の山へ無造作に投げ入れ火をつけた。


「ああ、人の営みとは、分からぬものだ」


 燃え広がる炎が、彼の影を長く長く伸ばし、その姿が不気味に揺らめいて見えた。

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