蟻地獄
女性は片足を引きずるように歩きながら、持ってきたコップをテーブルに置いた。
「先程は村の者が失礼をしたみたいで、申し訳ないことを」
「いえ、怪我もしていないですしお気になさらずに」
「おい、こんな簡単に家について来ちまって大丈夫なのかよ。さっきのこともあるしよ」
彼女が小声で俺に耳打ちしてくる。
「とりあえず、話を聞くだけ聞いてみてもいいだろ」
俺も声を潜めてそう返事をする。
「あの、どうかなさいましたか?」
「い、いえ。それより立派な家ですねー! お一人で住まわれるには少々ひろすぎるのでは?」
「ええ、確かに一人で生活するには手に余りますけれど、普段は兄と暮らしていますから」
「ああお兄さんが」
どうでも良い世間話に業を煮やしたのか、突然彼女が俺の脇腹肘で小突いてきた。
「んなんどうだっていいだろ。それより、助けてくれってどう言うことだよ」
「ええ、ええ、そうでしたね。しかし、どこから話したら良いか……」
女性は表情を暗くし、視線を窓に向ける。その様子に彼女はますます機嫌を悪くし、大きく鼻息を吐いた。
「助けてくれって、何をしてほしいのか言ってくれないと何も手の打ちようがないんだが」
「お、おい。困ってる人にそんな言い方ないだろ」
「いえいいんです。その通りですから」
女性はコップを両手で握り、二、三呼吸を置いた後、視線をこちらに向けて話し始めた。
「私の兄を探してほしいんです」
「お兄さんを?」
「はい。話せば長くなるのですが、兄が居なくなった原因はこの村の異様な状態にも関係がありまして」
「たしかに異様にも程があったな」
彼女の茶々に軽く咳払いをして注意をする。彼女は知ったとこでないと言わんばかりに、頭の後ろで手を組んで天井に目を向ける。
「普段からあんなに殺気立っている訳ではないんです。この辺りは他の地域に比べて穏やかで、見ての通りこの村には獣避けの壁もなければ柵もありません。勿論、穏やかと言っても決して獣が出ない訳ではありませんから、それでも村の人間で対処できる程度で、今まではそうやって村の人間だけで上手くやってきたんです」
そこまで話すと女性はコップを口に運び、軽く喉に流し込んだ。
「それが数日ほど前の話です。この近くに森があるのですが、私はその日夕食の足しにでもしようとそこで山菜を採っていたんです。いつもなら一人では森に入らないのですが、その日は兄も忙しく、そうそう獣に襲われることの無いところですから、軽い気持ちで、ほんとに軽い気持ちで一人で森に入ったんです」
女性の声が次第に震え始め、コップの水面が軽く波を立てる。そうして心を落ち着けるように目を瞑り、震えを抑えると話を続けた。
「いつもならそんなことしないんですけれど、あの日は中々手頃な山菜が見つけられずついそのまま奥へと足を運んでしまったんです。それがいけなかった。森の奥で良く山菜の生っている場所を見つけて、ついになって採ってしまったんです。それで、気がついたら辺りは暗くなり始めてて、普段は来ないところですから、私帰り道が分からず慌ててしまって」
中々要点の得ない話に少々辟易し始めていると、彼女が代弁するかのように小さく舌打ちをした。
「で、それが何だってんだよ」
「ああ、ごめんなさいね。それで、つまり、そこで見つけたんです」
「何を、ですか?」
「家です。暗い森の中に一軒だけ、初めて見る家でしたけど他に頼れる人もなく、明かりも漏れていたので、ついその戸を叩いてしまったんです」
「そこで何かあったと」
女性は何も言わずゆっくりと頷いた。
「戸を叩くと、中から男の方が出てきて、それから」
と、女性はそこで口を噤んでしまった。無理に言葉を引き出すようなことはしたくはなかったが、話を聞けない限り行動のしようがないし、第一助けを求めてきたのは女性の方からである。
「それで、どうなったんです」
「そ、それで、ごめんなさい私」
「ゆっくりでいいですから」
「いえ、そうじゃないの。そうじゃなくて私、その後の記憶がないんです」
「はぁぁぁぁ?」
横で彼女が大きく落胆したように声を上げ、勢いよく立ち上がった。
「じゃあなんだ、今まで長々と話てたあれは何だってんだよ」
「ごめんなさい! でも、ちゃんと覚えていることもあるの」
それを聞いて彼女は雑に座り直すと、話を続けるように気だるげに女性を左手で指した。
「私、痛みで目が覚めて、暗い牢屋みたいなところに居て、その時はとにかく逃げなきゃってその思って、でも足に力が入らなくて、そしたら、見たら、私の足が……」
その瞬間、まるで失くした目の分まで流すように、机を涙で濡らし始めた。
「要はその男をぶっ殺してこりゃいいってことだな」
早々に話を切り上げて席を立とうとする彼女の腕を掴むと、座り直すように目配せする。
「一つ気になるんですが、その話とお兄さんを助けると言う話に繋がりが見えないんですが」
女性は涙を無理やり拭うと、潤んだ瞳をこちらに向けてくる。
「私、その後何とか家の外まで這い出たですけど気を失ってしまって、次に目が覚めたのは家の寝台だったんです。どうやら村の人に運んで頂いたみたいなんですけど、兄に聞いても誰が運んでくれたのか分からないらしくて。でも、問題なのはここからなんです」
女性はコップの中身をゆっくりと飲み干すと、鼻をすすり話を続けた。
「その一件以来、村で失踪する人が増え始めて、きっとあの家が原因だと思って、立ち寄った冒険者なんかに依頼を出して調査してもらったりしたんです。けれど、皆一様に『そんな家は見つけられなかった』て。でも、そうしてる内に何人も居なくなって、そしたら、私が裏で手を引いているんだって誰かが言い始めて、そんなことしていないのにどんどん疑いの目が広がっていって。その内村を歩けば罵声を浴びせられるようになって、物を売ってもらえなくなって、時には何人もの人に囲まれて、殴られそうになったり。でも、そんな時でも兄はただ一人私の味方でいてくれました。だから、兄は私の疑いを晴らそうと一人森に出掛けてしまったんです」
「お兄さんが出掛けたのはいつですか」
「今から3日程前です。この村で私の声に耳を傾けてくれる人など居ませんから、あなた達を見つけたとき運命だと思ったんです。ですから、お願いですどうか兄を見つけてきてくれませんか」
女性はそう言うと深々と頭を下げた。
「そうでしたか。そういう事でしたら手を貸しましょう」
「もし兄を見つけてきてくれたらきっとお礼はしますから、どうか、どうか」
女性の話によると家があったのは森のだいぶ奥であったとのことから、ランタンを借り受けいくらかの食糧を手に夜に備えた。
出掛けざまに大事なことを聞き忘れていたのを思い出し、振り返って女性に質問した。
「そう言えば、まだお名前を伺っておりませんでしたが」
「そう、そうでした。私の名前はアレイスト・リリー、兄はライツと言います」
「では、リリーさんお兄さんのことは我々に任せてください」
「きっと、よろしくお願いします」
家を出ると家々の影が長くなっており、夜までそう時間がないらしかった。
軽い気持ちで突いてみた話であったが、このまま例の家も見つからずお兄さんもひょっこり姿を現してくれたら良いのにと、エライ事件に首を突っ込んだ自分を恨みながら森へと足を向けた。




