溝
放心状態のあの女がどうなるのか、あの球体は何だったのか、いくつもの疑問が頭をよぎりその度にあの凄惨な場面が思い起こされる。
それが嫌で、なるべく早く森を抜けようと自然と歩く速度が早くなる。
「ちょ、痛えって」
彼女がそう言って掴んでいた手を払いのける。
「ああ、ごめん」
「あのなぁ、何がそんなに気に入らないんだよ」
「ああうん……」
一回りも年の離れているであろう少女は、あの光景に何の感情も抱いていない様子である。
「どうしてそう、平気でいられるんだよ」
「平気って、お前だって今まで散々人が死ぬところを見てきたってのに、何を今更」
「それはそうだけど」
「なら逆に聞くけど、龍を倒した森で殺した奴ら、夜に襲撃をかけて返り討ちにした奴らと、何が違うっていうんだよ」
「それは、だって、彼の戦い方があまりにも、その」
「一方的だったからか?」
「いや! そうじゃないけど、なんて言ったらいいか、その騎士道精神とかなんと言うか」
この嫌悪感を上手く言語化出来ずに口を吃らせていると、彼女は気怠げに頭をかいて溜め息をついた。
「じゃあなんだ、もっと正々堂々正面から殺りあってれば納得したのかよ」
「いや、まあ多分」
その瞬間彼女に思いっきりスネを蹴られ、思わずスネを抱えてしゃがみ込んだ。
「何するんだよ!」
「気に入らねぇ」
「はあ?」
「お前の考え方が気に入らねぇって言ってんだよ。筋が通ってれば殺されてもいいのか? 違うだろ。死なんていつだって理不尽なものなんだよ!」
「で、でもあれは」
「まだ言うか! だったらあのときあの場所でお前がやれば良かったんだ! それが出来なかったお前に文句が言えんのか」
彼女の話すことは最もだ。俺の考え方がただ単に駄々をこねる子供のようなものなのもよく分かる。頭では理解できる、だけれど、この脳裏に貼り付いた嫌悪感を拭うことなど到底出来ないのだ。
「そう、そうだな。悪かったよ」
咄嗟に出た言葉は彼女の怒りを鎮めるための建前でしかない。殺し方が気に入らないなら自分で殺せ。極論のように聞こえるが、これがきっと俺に足りていない考え方なのだろう。
この世界に来なければ、持つ必要の無かった概念。二十数年の月日を別の世界で暮らしていた俺には到底受け入れられるものではない。
「分かったんだろうな」
「今はまだ分からない」
「はあ?」
「だけど、きっとこれから分かってみせるから」
「なんだよそれ。こことは別の世界で生きてきた俺には理解できませんってか」
「そう、その通りだよ」
どうやら期待していた返事とは全く異なる返答であったためか、彼女は大きく目を見開き声を喉につまらせている。
「っ、そうかよ!」
吐き捨てるように言葉を吐き出すと、息を荒らげて一人前を進み始めた。
森を抜け、村を抜け、通りへと戻る。また二人だけの旅が始まる。
「ここから聖都まで、どのくらいかな」
彼女が機嫌を悪くしているのは分かっている。それでも己の感情を否定せずに仲直りするために会話を繋げようとする。
だが、彼女から返事はない。
延々と続く道をひたすらに歩いていく。沈黙が土を踏みしめる音を誇張させる。
「なあ」
突然彼女が口を開き、次はどんな罵倒が飛んでくるのかと思わず身構えてしまう。
「私の家は湖から近くの森の中にあったんだ」
「へ?」
話の脈絡が掴めず思考が止まる。それでも彼女はお構いなしに歩きながら話を続ける。
「父さんは剣の扱いが上手くて、剣の持ち方から振り方まで全部父さんに教えてもらったんだ」
「ちょ、え?」
「いいから、聞けよ」
少しの沈黙の後、彼女はまた話し始めた。
「母さんは優しくて、魔術の腕もすごかったんだ。でも、私が魔術を教えてほしいとお願いしても全然教えてくれなくて、リオードを教えてくれた時も、覚えたときもあんまり嬉しそうじゃなかったんだよな」
「それで?」
「それで、後は父さんも母さんも私が外に出ることをよく思ってなかったみたいで、父さんはたまに街へ行ってたみたいなんだ。で、ある時、私も連れてってて頼んでみたんだけど、どうしても連れて行ってくれなくて。だから、たまに父さんが湖まで私と母さんを連れて行ってくれて、手漕ぎの船に乗せてくれるのがすごく嬉しくてさ」
彼女はそこまで話終えると、軽く鼻をすすって足を止めこちらに向き直った。
「これが私が生きてきた世界だから、生きてきた世界が違うから分からないってんなら、まずはお前の世界を話してみろよ」
そう来たか。彼女は彼女なりに俺のことを理解しようとしてくれているのは大変嬉しいことではある。
しかし、元の世界とこの世界を比べたとき、全てが掛け離れているし、それを彼女が信じてくれるかどうかは別の話である。
それに加えて、彼女はまだ明らかにしていない部分がある。そう、それだけ親の愛に包まれて暮らしていたはずなのに、どうして俺と出会ったときは奴隷の身分まで落ちてしまっていたのかという点だ。
きっとその部分が彼女を無垢な少女から、人の死に関して悲しいほどに鈍感にさせてしまった原因に他ならないのだろう。
だが、彼女の口からそれが話されない以上、俺の人生と比べようがないし、だからと言って話さなければそれこそここで彼女からの信用は地に落ちるだろう。
だから、俺は自分の世界について話を始めた。
嘘をついていると思われないように言葉を選びながら、生きてきた世界の隔たりを埋める為に出来るだけ分かりやすい表現に置き換えて、家族のこと、友人のこと、通っていた学校のこと、記憶の限りの人生を話した。
「大体のことは何となく分かったけどよ、同じ時間に同じ部屋に大勢集まって一つのことをするってのはなんか気味が悪いな」
「いやまあその方が効率的だし、それが学校て言うところだから」
「はー意味わかんね。それに武器を持っちゃいけねえってのも信じられねえなぁ。それじゃあ誰かに襲われたらどうすんだよ」
「基本的に人が人を襲うことを考えてないからね。それに僕の世界の人達はこっちの人達程強くなくても良かったからね」
「はっ、通りでそんなに体が弱っちい訳だ」
「俺から言わせれば君が無駄に鍛え過ぎなんだよ」
「私だって、こんな強さなんか欲しくなかったさ。でも、しょうがねえだろ」
彼女が何気なく発したその言葉こそ俺と世界の隔たりを鮮明に映し出すものであった。
「ん? どうした」
「いや、何でもないよ。その、俺も強くなるからさ」
「なんだなんだよ、急に気持ち悪いなぁ。私にはこれがあるから平気だよ」
そう言って彼女は腰にさげた剣を抜き取って剣先を地平の彼方へと向けた。
「それに、いずれ居なくなるんだったら鍛えるだけ無駄だろ」
「それはそうだけど、でもその間だけでも君の力になれるなら」
「そうかよ、ありがとよ」
そう言いながら剣を鞘に戻す彼女の顔が、何故だが少し寂しそうに見えた。
「そういや、あの薄情者に石全部やっちまったけどこの先どうすんだよ」
「ええ? あ! しまった」
「はー、たく良くそれであんなカッコつけたこと言えたもんだな」
「それとこれはまた別と言うか、でも、どうしたもんかなぁ」
「どうしたもこうしたも、稼ぐしかないだろ。そうと決まればさっさと町に行くぞ」




