名
「え、ええ?!」
思いがけない単語に我ながらオーバーなリアクションを取ってしまった。
「あれ、マルカから聞いてなかったのか」
「いや全然。と言うか、観龍者ですか」
以前に会った観龍者と言えば、あのキリッとした風体に、龍を一撃で倒した勇ましい姿が出てくるが、はっきり言って彼からその雰囲気は一切感じられない。
こんなこと口が裂けても言えないが、このなんというか、萎びたような体つきであの過酷な仕事が務まるとはどうしても考えられないのだ。
「前にも観龍者の方に会ったことはあるんですが」
「到底そうは思えない?」
「はは、そんな」
「いやいいんだ。実際、仲間のようにたくましい訳でもないしね。こうして片付けの手伝いも頼んでるくらいだし」
「それでも観龍者ってくらいですから他の人より強いんじゃないんですか」
「さあ、それはどうだろうね。話の続きは片付けの後にしようか」
そう言って、意味深な笑みを浮かべながら家に戻っていく。
無造作に置かれた本を棚に戻し、置き場に困った壺をとりあえず軒下に運ぶ。ようやく一段落ついた頃、いつの間にか空は影を落とし深い森の中は一足先に夜の姿に変わっていた。彼女はと言うと、人が汗を垂らしている間、ずっとしぼんだように机に突っ伏してだらしなく足を揺らしているばかりであった。
「とりあえずこんなもんだろ」
「いやはやお二方にこんなことをさせてしまって。ありがとうございます」
「たく、にしたってあの大量な壺はなんだなんだ?」
「それは、開けたら危ないモノとだけ。男の一人暮らしは秘密が多いですから」
ハースさんは呆れたような顔をして、それ以上は詮索することはなかった。
折角だからとヘインメルさんが料理をしてくれることになったが、机の周りが騒がしくなると彼女は不意に立ち上がり、部屋の隅で積み上がった本に体を隠すようにして不貞寝をし始めた。
あのぐらいの年齢ならよく見る光景なのだろうが、彼女があんなに塞ぎ込んでいるところを見るのは初めてで、ましてや理由が理由であるだけに正直言ってどう対処していいのか分からない。
大の大人が揃いも揃って落ち込む少女をそっとしておくことしか出来ず、かと言って彼女の機嫌が治るのを待つわけにもいかず、仕方なく食事に手を付けた。
ハースさんは朝一番にここを離れるらしく、一足先に無理矢理スペースをつくった寝室モドキの部屋に入っていった。
俺も昨夜の疲れが溜まっており、正直すぐにでも休みたかったが、どうしても彼女のことや、「処刑」という響きが頭から離れず眠ろうにも眠気が襲ってこない。
無理矢理頭を空っぽにするために外で夜空を見上げながら、時折聞こえる獣の声に耳を傾ける。そうしてようやく薄っすらと眠気を感じとり、余計なことを考えないうちに寝室に向かうことにした。
そっと戸を開けて家に入ると、まだヘインメルさんら起きているようロウソクの灯りに照らされながら、昼間渡した手紙に目を通していた。
「アキアか……、面倒なことになったなぁ」
素通りして寝室に入ろうとしたとき、そう呟くのが聞こえ反射的に影に身を隠した。
別に隠れる必要もないのだが、本音のところを知りたくなりそっと聞き耳を立てる。
「マルカの頼みだしなぁ。しかしなぁ、いや、やはり報告すべきか」
悩ましい声と、椅子を揺するような軋む音が聞こえる。報告というのは一体誰に対してするのだろうか。もしかすると、撃龍祭のように聖都と観龍者は協力関係にあって、俺たちのことを売る気なのかもしれない。
マルカさんが頼った人物だからと無条件に近い感覚で信用してしまったが、やはり、所詮は赤の他人。彼が敵になるのは十分ありえる話だ。
ここで彼を問い詰めるべきなのだろうが、観龍者だというのが本当であれば、魔術でねじ伏せられるのは目に見えている。ならば、ここは朝まで待って、適当な言い訳の後ここを去ることにしよう。
彼に気づかれない内にそっと寝室に向かおうとしたそのとき、緊張からか足がもつれてバランスを崩した。
倒れる体を何とかしようと、一瞬のうちにありとあらゆる手を尽くしたが、抵抗あえなく大きな音を立てて床に倒れ込んだ。
「うわ、ビックリしたな大丈夫かい?」
「大丈夫です大丈夫です! じゃあもう寝ますんで」
「そう慌てなくても、寝る前に一杯付き合ってくれないかい」
もしや盗み聞きしていたことに気が付かれたのではないかと、心臓の鼓動が速くなる。
「いいぜ。付き合ってやるよ」
その言葉に顔を上げると、暗がりの中彼女が立っていた。
結局、二人きりにさせるのが不安で、席についてしまった。ヘインメルさんがお茶を用意している間、彼女は険しい表情でただじっと待っていた。
このまま何事もなく終わること願いながら、出されたお茶に手を付ける。
「教えてくれよ、私のこと」
開口一番まさかの発言に吹き出しそうになるが、ぐっと堪えてヘインメルさんの動向を伺う。
「うん、先に断っておくけど、僕は別に君個人について何か知ってるわけじゃない。話せることと言えば一般的に語られているアキアの民についてだけだ。それでもいいなら」
「それでいい」
彼女の決意は固いらしく、まっすぐ彼を見据えている。ヘインメルさんは一口お茶を飲むと、静かに話はじめた。
「昔、聖戦と呼ばれる大きな争いが巻き起こり、聖都の軍勢にアキアの民が立ちはだかった。民はその類稀なる魔術の才能を使い、それまで優勢だった聖都の軍を壊滅させていった。勢いを失くした騎士達は次々倒れていく仲間を前に、聖都の運命もはやこれまでと覚悟する中、果敢に立ち向かう男の姿があった。男はその身一つで戦場を駆け回り、その鬼神のごとき姿は失意に満ちた騎士達を焚き付け、遂には聖都に勝利をもたらした。だが、その男それだけに留まらずアキアの住処を探し出すと、ただ一人剣を振るいその命をもって見事アキアを滅ぼしたのであった。と、言うのが聖都に伝わる話であり、アキアの民が忌み嫌われる理由でもあるわけだ」
「その話ならマルカから聞いた。ただ、それが本当ならなんで私は生きてるんだよ」
「まあこういった話は民の感情を煽るために脚色が入ってたりするからね。どこまでが本当か分かったもんじゃない。とは言え君が現れるまでの間、アキアの民を見た人は居ないわけで、あながち嘘だとも言い切れない。それに」
と、ここで勿体つけるように言葉を区切り、テーブルに少し体を預け、注目しろと言わんばかりに前傾姿勢になってこちらに目配せしてくる。
「この死んだとされていた英雄譚の主人公、実は生きていたんだよ」
「そうなんですか?!」
「何年前だったか、急に聖都に姿をあらわしてね。そのときは僕も実際に見に行ったからまず間違いない。あのときの盛り上がりようと言ったら」
「で、誰なんだよその英雄様はよ。名前ぐらい知ってるだろ」
「そうだな確か、カリステリアとか言ったかな」
その瞬間、彼女の肩が跳ね上がり表情が段々と崩れ、手を握っては開き落ち着かない様子で一度俺を見た。
「どうした?」
「だって」
彼女の息が荒くなる。
「だってそんな、私、嘘だよな?」
「い、いや嘘じゃないよ」
「でも、カリステリアって、ふざけるなよ」
彼女は拳を強く握り、額に押し当て目をつぶる。
「カリスっ、テリア、カリステリア、ルディア」
途切れ途切れ、吐き出すように口にしたその言葉にこころあたりはない。すると、彼女は俺に体を向け、ゆっくりと目を開き、口を震わせる。
「それが、私の名前」




