世界観
「少しいいかな」
振り返るとヘインメルさんが壺を抱えて、開けた戸を足で閉めていた。
「夜までに片付きそうですか」
「それはまあ何とかするよ。それより少し話さないかい。あのマルカが君の何に惹かれたのか凄く興味がある」
「別に特に面白いことなんてないですよ。魔術だってろくに使えないですし」
「そうなのかい? 手紙を読む限りじゃ君は類稀なる魔力の持ち主だって、褒めてたのに」
壺を地面に置くと、体をはたきながら側によってくる。
「マルカさんがそう書いたんならそうなんじゃないんですか。正直、ちょっと前まで魔術とは無縁の生活をしてましたから、何が良くて何が悪いのかなんてさっぱり分からなくて」
「でも、そんな生活から抜け出して魔術を覚えたいと思った。それはどうして?」
「この世界で生きる為に必要だったからですよ」
「でも今までは魔術が無くても生きていけたんだろ? なら何故わざわざそんな危険な世界に見を投じたんだい」
「さぁ、俺自身もどんな理由があってこんな世界に送られたのか知らないんですよ」
「まるで誰かに連れてこられたみたいな口ぶりだね」
「連れてこられたと言うより、何だろ、落とされた、みたいな。いやなんかもう隠すことでも無いんで正直話しますけど、別の世界から来たんですよ、俺。ほんと、嫌になりますよ」
信じてもらえるとは思わないし、信じて欲しいわけでもない。きっと彼にはおかしな人だと思われるだろうが、それでも世話になる人に嘘を付きたくはなかった。
「別の世界、ねぇ。察するに君の旅の目的は元の世界に戻ることか」
しかし、予想とは裏腹に不思議なくらい落ち着いて空を見上げるばかりである。
「そうですけど。て言うかあんまり驚かないんですね」
別に驚いて欲しいわけではなかったが、こうもあっさりした反応だと、カミングアウトした立場としては少々面白味にかける。
「君の言う別の世界がどんなところかは知らないけど、僕も色々な場所に行って沢山のモノを見てきたからね。それでもまだまだ知らない場所がある訳で、別の世界も言うなればその中の一つに過ぎないと思うんだ」
「そんな簡単に割り切れる話じゃないと思うんですけど」
「そうかい? なら聞くけど、世界とは一体何を意味する言葉だと思う?」
こんなときスマホの一つでもあれば、パッとネットで検索して意味の一つや二つすぐに分かるのだが、彼が言っているのはそういうことではないのだろう。
「うーん、自分が今生きている場所、あるいは国とか」
「そうその通り。言うなれば自分が訪れた、あるいは知覚した領域を人々は総じて『世界』という言葉で表すんだ」
「はあ」
なんだか禅問答のようなことを話し始めたが、何が言いたいのかさっぱり分からない。
「ああごめんごめん。いきなりこんなことを話しても混乱するよね」
「まあ出来ればもう少し分かりやすく話して頂けるとありがたいですかね」
「そうだなぁ分かりやすく……、そう、例えば君がよく知った店で買い物をしてたとして、それからその店を出て今度は一度も入ったことのない店で買い物をしたとする。そのとき、君はこの二つの店を同じ世界の中にあると認識するだろ?」
「そりゃ当然そうですけど」
「つまりそういうことだよ」
「……はあ?」
一体何を話しているのか理解出来ず頭の中がショートしそうになる。彼は真面目に話しているよう見えるが、もしかしたらデタラメなことを言って、俺が別の世界だなんだとおかしなことを口走ったものだから、からかっているのかもしれない。
「つまり、今まで知らなかった場所を訪れた瞬間、一つの世界になると?」
「そうだね」
「いや、でもなんか腑に落ちないというか」
「そんなことはないさ。ならなぜ君は、今立っている場所と、今まで暮らしていた場所が別の世界だと思うんだい?」
「そりゃ、俺がいた世界とまるっきり常識が違うし、こんな風に襲ってくる化け物も居なかったからですよ」
そう言って裂けた服を掴んでパタパタとヒラつかせる。
「はは、確かにそれはとても巨大な変化だね。ただ、訪れる店が変われば当然扱っている品も変わる。君の言う元の世界との違いだってそれくらい些細な変化でしかないのかもしれない」
そんな独自の理論を展開されたって、簡単に割り切れる話じゃない。人の気持ちも知らないで淡々と話すその姿勢に少しだけ、確かな憤りを覚えた。
「そんな簡単に考えられる話じゃないですよ。この世界は俺のいた世界とまるっきり違うんですから、そんな例え話を出されたって、無理ですよ」
頭がじわじわと温まり、考えていることを上手く言葉にすることができなくなる。
「これはあくまで持論に過ぎないから、そんな大真面目に捉えなくてもいいさ。君は別の世界なんて大層な言葉を使って大きな隔絶を作ってしまっている。だけど、それは自らの可能性を狭めるだけだ。それなら、君の今いる場所も元の場所から延長線上に伸びているだけ、そう考えればきっと戻ることが出来る、そう思えないかい?」
そう話しながら彼は落ち着いた笑顔を向けてくる。それが彼は冗談で話しているのではないと不思議と確信させてくれた。
「ま、まぁそんな気はしないでもないですけど。でも、どうして今その話を俺に?」
「それは、君がそんな顔をしてちゃ、彼女を元気づけることはできないと思ってね」
その言葉にハッとして、思わず自分の顔を確認するように触ってしまった。その姿を見て彼はクスリと小さく笑った。
「はは。さて、気分を持ち直したところで一つお願いがあるんだけど」
「なんでしょう」
「あれ、運ぶの手伝ってくれるとありがたいんだけど」
指差す方向には持ち出してきた壺があった。
「今の今まで積み上げてきた負債の山を、今夜までに片付けるのは、はっきり言って無理だ」
「でもさっき余裕そうにしてたじゃないですか」
「それは、これか人を励まそうってのに格好悪いところは見せられないからね」
頭を掻きながら恥ずかしそうに話す姿に、マルカさんが何故この人を頼ったのか、その理由を一片を見た気がした。
「お世話になる身ですしそれくらいお安い御用ですよ。そういえばあの中って何が入ってるんですか?」
「何って、そうだなぁ。薬みたいな」
「薬ってことは、お医者さんなんですか」
この世界に医者という職業があるかは分からないが、薬と聞けば大方それに関する職業なのだろう。
「まさか、僕はしがない観龍者だよ」




