ターバル
「傷が開いたらどうするんだよ!」
「あっはは、ごめんそこまで考えてなかった……」
度が過ぎてしまったらしく、彼女は肘を立ててムスッとしたまま見向きもしなくなった。
しばらく、揺れる荷台上で過ぎていく草原を眺めていると、それまで微動だにしなかった彼女が不意に進行方向に首を曲げた。
その動作とほぼ同時に、それまで行儀良く荷を引いていたラジャが、鼻息を荒くしその場で忙しなく足踏みし始めた。
「おーしおし、どうしたどうした」
主人が尻を撫でて落ち着かせようとするも、全く収まる気配がない。
「おかしいな。普段はこんな癇癪を起こす奴じゃ無いんだがな〜」
「知らない人間が近くに居るんで気疲れでもしたんじゃないですか?」
ハースさんでも敬語を使うんだなと呑気に考えていると、彼女が荷台から飛び降り先頭まで歩いて行く。
「揃いも揃ってお前らの鼻はこいつ以下かよ」
「なんだヤブから棒に。お前は大人しく後ろに座ってろ」
「用心棒が頼りないから降りてきたんだろ。見ろ」
彼女の指差す方を見る。何も無いだだっ広い草原があるだけに思えるが、彼女の勘を信じて横に立って目を凝らす。すると、黒い影のようなものが見えてきた。
「あれは……なんだ?」
「さあな。でも、これは血の匂いだ」
「ホントかよ。俺にはちっとも」
「な、なんにしても、もし誰かが怪我でもして動けなくなってたら大変だ。見に行った方が」
「ならご主人はここで待っててください。俺とそこの男二人で見てきますから」
「え、俺も行くんですか」
予想外の展開に面食らっていると、ハースさんが降りてきてため息をついた。
「あったりまえだろ。乗せてもらってんだしっかり働けぇ」
そう言って、俺の背中を鞘で突いて歩くよう催促してくる。
「分かりましたよ! 行きますから」
「それじゃ、ちょっくら見てきますわ」
俺としては避けて通るべきだと思うのだが、優しい主人に代わって浮かない足で草を踏み進む。
近づくにつれ影は大きくなり、ある程度来たところでその正体におおよそ検討がついた。
「はー、まじでありやがった。やるなあのお嬢ちゃん」
「敵はいないっぽいですね」
「用心しろよ。どこかで見てるかもしれねえ」
剣に手を伸ばしつつ、更に近づいていく。そして、それをすぐ目の前にして、警戒するのも忘れ言葉を失った。
「うわ、こりゃ酷えな」
酷いなんてもんじゃない。横転した荷車に散乱した荷物。布で出来た屋根には大きく穴が空いており、ところどころ血で染まっている。
それに加え、そこから何か引きずったように押しつぶされた草原が先になって続いており、赤黒く濡れている。
「これじゃ生存者は、居ないな」
中を覗くまでもない。万が一生き残りがいたとしてもここには留まっていないだろう。
「ほれ、あっち見てみろ。轍が街道までずっと続いてやがる。恐らく道で襲われて動転して草原まで逃げてきて、ここでドン! てな感じか」
「どうします」
「どうするってお前、誰も居ないんだし戻るしかないだろ」
「でも、この犯人がまだ近くに居るかも」
「考えるだけ無駄だ。居ても居なくても引車をひっくり返す奴を相手に防衛戦はきつい。今は戻って襲われないよう祈るだけだ」
彼の言う通りだ。彼女はまだ万全とは言えず、非力な一般人まで一緒だ。ハースさん一人ならなんとかなるだろうが、守りきるのは無理があるだろう。
大人しく来た道を引き返し、主人を不安にさせないよう何事もなかったかのように振る舞う。
「どうでした?」
「なに、動物が一匹死んでただけでしたよ。血の臭いとやらはそのせいでしょうね」
「いや、動物の臭いなんかじゃ」
「おいおい、実際にこの目で見てきたんだから間違うはず無いだろ。分かったら大人しく荷台に戻れ」
納得がいかない彼女は不満をあらわにする。だが、そんなことで時間を食って襲撃犯が戻ってこないとも限らない。
「俺からも頼むよ。荷台に戻ろう。な?」
「……分かった」
ラジャの方は、俺達が確認している間になんとか落ち着けたらしく、また大人しく荷車を引き始めた。
轍の横を通り過ぎたとき、ふと、何かに見られているような気がして、襲われた荷車のある方を見たが、思い過ごしのようだった。
その先は特に何かが起こるわけでもなく、のどかな道を進み続けた。が、それもあるところ境に、起伏が激しくなり車輪を益々弾ませるようになった。
それがあまりにも酷いものだから、後ろを向いているのも手伝って、気分がどんどん悪化していく。
景色に目をやるのも忘れて、ただ早く着けと必死にしがみついていると、荷車が徐々に減速し動きを止めた。
「さ、着きましたよ」
主人の声に、なんとか戻さずに済んだと胸をなでおろし、要塞とやらをひと目拝んでやろうと振り返る。
その光景はまさに要塞と呼ぶに相応しいものだった。
まるで切り立った崖の様にそびえ立つ壁が、左右に向かって延々と続き、あたり一面に影を落としている。
壁の上には物見台らしきものが点々と見て取れ、強固な守りであるのは安易に想像できる。
荷車が止まったのは、検閲のために列に並んだ為であった。ただ、検閲と言っても簡易なもので、少し荷を改められるだけで次々と門を通過している。
この調子なら怪しまれることなくターバルを抜けられそうだ。
そうこうしている内に俺達の番になり、甲冑姿の騎士が手招いている。
「この荷物は?」
「食べ物に、雑貨が少々。普通の物ですよ」
「中を改めさせてもらう。そこの箱を一つ下ろせ」
言われた通り箱を下ろし、蓋を開ける。騎士も特に不審に思っていないらしく、軽く表面だけ調べると、蓋を閉じた。
「よし、もういいぞ」
「はあご苦労さまです」
果たして髪の色を変える必要があったのか疑問に思えるほど、検閲をあっさり通過し門をくぐる。
要塞と呼ばれるだけあって、門が二重になっており、通過する者を見下ろせるように左右に穴が空いているのが分かる。
二つ目の門を抜け、遂に要塞内部へと到達した。荷車を通す余裕はあるものの、道行く人で活気づいている。
少し開けた場所まで走らせ、そこで荷車の主人とは別れることとなった。
「いやー助かりましたよ。それじゃあお元気で」
「ええ、それでは」
「さて、それじゃあさっさとここを出るか! と行きたいところだが」
「もう、随分いい時間になってしまいましたね」
辺りはまだ明るいものの、日は陰り始め夜はすぐそこである。
「まだ色も落ちてないし、ここで一泊するのが懸命だろうな」
「それなら早く宿を決めようぜ。ずっと座りっぱなしで疲れた」
彼女は肩を垂らし、腕を振り子のようにして疲労を表現する。
「しっかしこの人数だ。宿が空いてるといいんだが」
電話予約なんてあるはずもなく、まともな寝床があることを願い人混みに足を進めた。金が足りるといいのだが。




