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異世愛者  作者: 猫護
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浮かぶは白銀

 結局それ以上自分を含め誰一人として傷に関して話題にすることはなく、能力に関して実験を行う気も薄れてしまった。


 その晩、いつもより量の多い食事が並びその中に珍しく干し肉が用意されていた。カチカチのそれを小気味良い音を立てながら噛みちぎっていると、力が入ったせいで左手の布に血が滲んでしまった。


「治らないね、それ」


「結構深く切っちゃったみたいで、駄目みたいですね」


「言っとくけど、私を責めるつもりならお門違いだからな。お前が頼むから仕方なく」


「分かってるよ、悪かったと思ってる」


 今にして考えれば、何故あんな異状な行動をとってしまったのか不思議でならない。いくら確認の為とは言え自分を傷つけるなど常軌を逸している。だが、あの時は妙に気持ちが晴れやかで、それでいて頭にモヤが掛かったような意識の輪郭が溶けてしまった、そんな感覚が体を支配していたのだ。それを形容するならば、全能を得たような激しい自意識の向上とでも言えるだろうか。


「話は変わるけどよ、なんだその、家畜を襲った化け物てのはちゃんと倒せたのか?」


「倒したわよそれもたくさんね。でも全滅には程遠いわね」


「ならまた明日いくのか?」


「本当はそうしたいけど、今日のこともあるしすぐ討伐に出るわけにはいかないわ。それに君の服も用意しなきゃならないし」


「僕はこのままでもいいですけど。大きさも悪くないですし」


「わたしがいやなの。言っとくけどその服高いんだから汚したらただじゃおかないからね」


「分かりましたよ。なら明日はお買い物ですか」


「わたしはね。あなたたちはさっさと水を操れるように頑張りなさい」


「あー、そういやそうだった。あれつまんないんだよなぁ、眠くなるし」


「そうですよ。あんな地味な練習じゃなくてもっと他にないんですか」


「ない! 文句があるならやめてもらって結構だけど、その場合この居候生活もやめてもらうからね」


 そんなことを言われては黙って従う他ない。彼女も不満わありありと顔に出しているが、溢れ出しそうな文句を押し込むように食事を頬張り口に栓をした。


 それから食事も済み夜も更けた頃、普段ならとっくに眠りについている時間なのだが、どうにも星の光りが眩しく感じてしまい寝付けないでいると、奥の部屋から物音が聞こえた。


 明かりの漏れ出す扉を開けると、蝋燭に照らすなかマルカさんが短剣の手入れをしていた。


「ああごめん、起こしちゃった?」


「いえ、ただどうにも寝付けなくて」


「そう」


 あのゴタゴタの後で、すぐに体液を拭かなかったせいでこびりついてしまったのだろう、薬液を垂らしては何度も布で拭いている。


「わたしもね、そうなの」


「ああ、あんなことがあったばかりですしね」


「それもそうだけど、どうにもあのときの光景が頭から離れなくって」


「あのとき?」


 それまで手元に向けていた視線を不意に俺に向けてくると、作業の手を止めた。


「君が自分の手の平を傷つけたとき。自らの血が流れる様をまじまじと見つめる君を見たとき、まるで夜の海に浮かんだようでそのまま波に流されて何処かに消えてしまいそうな、そんな気がしたの。おかしいでしょ」


 マルカさんはそう言って照れ隠しに少し笑ったが、その言葉は冗談ではないようだった。


「もしかしたら、わたしが不甲斐ないせいで君をそんな風にしてしまったんじゃないかって、取り返しのつかないことをしてしまった気がしてさ。でも、今の君を見ている限り杞憂に過ぎなかったみたいだけど」


「そうですよ。それに勝手についていったのは俺なんですから、そんなに気負う必要なんてないですよ」


「そう言ってくれるなよ。これは大人であるための意地みたいなものなの。あのときだって、もっと冷静でいられたならきっと君を連れていかなかっただろうしね」


「ええ、そこまで頼りなかったですかね」


「んふふ、当たり前じゃない。そうね、わたしに頼りにされたかったらまずは上手く水を掴むことね」


 短剣の水気を拭き取ると、まだ汚れが付いているのに鞘に納めてしまった。


「いいんですか?」


「うん、話したらなんか眠くなってきちゃった。さっさとやっとくべきだったんだけど、怪我でもしたらどうしようもないからね」


 燭台を手に取ると、椅子から立ち上がり扉に此方に近づいてくる。


「君もそろそろ寝なさい。明日も早いんだから」


「ええそうします」


 マルカさんの明かりが階段を上っていくのを見届けると、床に敷かれた布団に潜り込んだ。


 翌朝、またいつもの食欲の湧かない朝食を済ませると、マルカさんは用事があると言ってサボらず練習するように釘を刺して、町に下りていった。


 そして、何度か掬い上げたとき彼女が急に色めきだった。


「おい! 見ろよこれ! もしかしてきたんじゃねえか?!」


 嬉々としてお椀をつくったままの手を見せつけてくる。確かに隙間から水は出ていないようで、数秒見ていても水位が変わる様子はない。


「おおすごいな。どうやった?」


「そりゃもう、天性の勘と才能のなせる技だな」


「野生の勘の間違いだろ」


「なんだと!」


 声を荒らげた途端魔力が散ってしまったらしく、隙間から流れ出て水浸しになった。


「あーあ残念だったな」


「お前が変なこと言うから」


「いや、たったあれだけの挑発に惑わされるようじゃ、そもそも完璧に習得した訳じゃなかったんだろ」


「それすらも出来ないお前に言われたかないね!」


 そのとき、忙しなく玄関が開き振動で桶の水が少しはねる。そこにはまたしても血相を変えたマルカさんの姿であった。それから窓のそばまで行って外を眺め始める。少し経ってそれが終わると、玄関の鍵を念入りに確認してそこで大きく息を吐き出した。


「どうしたんですか、また得体の知れない化け物でも出ました?」


「いや、その方がまだ幾分かましかもしれない」


「なんだよ、てか私がなんだって」


「いや、家に居るならそれでいいの。それと、わたしが良いって言うまで外に出たらダメだからね」


「はぁ? まあそんなに外に出てなかったから別に良いけど。なんでだよ」


「奴らが来たのよ」


「奴ら?」


 知っていて当然だと言わんばかりであるが、奴らで通じるような共通認識を生憎持ち合わせていない。


「聖都が寄越してきた聖騎士達よ」


 聖騎士、たしか何処かで聞いたような気がする。聖、聖都、騎士、ああそうだ撃龍祭のときに会ったあの人達のことか。


「それがどうしたんですか」


「どうって、ああそうか君は知らないんだっけ」


「話が見えてこないんですけど、その人達に見つかったら何かまずいんですか」


「正直まずいかどうかは実際に会ってみないと分からないんだけど、わたしの予想が合っていればきっと面倒なことになるはず」


 もしかすると、野営地で彼女がひと悶着起こしたことが関係しているだろうか。いや、今更になってそれはないだろう。

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