君は死なない。私が死なせない。
視界が開け、土に埋もれたかのように重かった体が軽くなる。だが、意識がはっきりしてくるとそれだけ全身に痛みが甦ってくる。
それでも体を起こそうと腕に力を入れると、砂のようになった奴らの上にバシャバシャと赤い液体が染みていく。
それもそのはず、かじられたか抉られたか、皮膚は削られ組織が露出しているのだ。これで出血しないわけがない。俺の腕はおろか全身に至るまで赤いペンキをぶちまけたように真っ赤に染まり上がっている。
しかし、不思議なものでここまで酷い様子を目の当たりにすると、発狂するどころかどこか冷静になれる自分がいるのだ。
それどころか、駆け寄ってきたマルカさんの方が参ってしまったようで、しゃがんだはいいものの、手のだしようが無いらしくただただ口を開けてこちらを見ている。
「そんな顔、しないでくださいよ。これでも意外と打たれ強いんですから、龍に襲われたときだって助かったんです、このくらい」
血を流しすぎたのだろう、話している途中で眩暈を起こし、口が開かなくなる。それでもあれだけの敵を倒したんだ。きっともう襲ってくる奴など居ないだろう。
「すみませんが、こんなんなんで、家まで運んでもらえますか」
「ごめん、わたしだって今すぐ手当てしてあげたい。だけど」
だけど、なんだ。ゆっくりと体を起こしてマルカさんの視線を追う。すると、暗闇の奥で無数の光が揺らめいているのが見える。ああ、そうか。まだ、居るのか。
「はは、しつこい奴らだ。でも、大丈夫ですよ。またこれを使えば」
その時、視界が大きく崩れた。どうも力が抜けたようで、支えていた腕が崩れてしまった。
「しっかりして! こんなとこで死なれたらあの娘に合わせる顔がないじゃない」
「あれは大丈夫ですよ。強い奴ですから」
「バカなこと言わないで。絶対死なせたりしないんだから」
俺の手から石を取り出すと、短剣に擦り始める。
「もっと早くこうするべきだった。わたしが判断を誤ったから」
刀身からバリバリと音が弾け、銀色だったのが青に染まり始める。
「よくもわたしの大事な子に手を出してくれたわね。後悔させてやる!」
一閃、流れた光が森から影を奪い去り、共に短剣が砕け散り、破片が体に降りかかった。
「まだ死なないでよ。辛いと思うけどこれから森を抜けるから」
マルカさんは俺を掴むと、背中に乗せて立ち上がった。
「服、汚しちゃいましたね」
「そんなことどうだっていい。痛むと思うけど我慢して」
俺の腕をグイと体に引き付けると、切り開かれた道を駆けていく。体が揺れる度に血が塊となって足跡を残す。
後ろから笑い声に似た音が追いかけてくる。首を回すと、木漏れ日を遮りながら木を伝って着いてきているのが見えた。
「ちぃ! まだ諦めないか」
急に身を翻すと、右手を使ってあの石を握り始める。その間にも奴らは数を増やして近づいてきている。
「俺を、置いていってください。このままじゃマルカさんまで殺されちゃいます」
「うるさい! ちょっと黙ってて」
着けている手袋が光を持ち始めた。
「よし溜まった。いい、しっかり掴まって」
出せる精一杯の力でしがみつくと、マルカさんは顔の前まで両手を持ってくると指をクロスさせ、手の平を奴らに向けた。
「雷網」
それを合図に、両手から電気の針がまるで樹木の根のように伸びていき、遮るもの全てを貫いた。
「これで時間が稼げるはず。行くよ!」
敵の生死を確認すらせず、またひたすら出口を目指して走り出す。確かに効果があったようで、遠くで声がするものの追ってくる気配は無い。
「次あんなふざけたこと言ったら、君にもあれを使うから」
「はは、そりゃ怖い」
「見て、もうすぐ出られるよ!」
前方にうっすらと明るい箇所が見える。すると、マルカさんの足がより一層速くなり、それだけ体が揺さぶられる。
そして、遂に森を抜け少し離れた場所で足を止めた。生きてあの森を出られたが、未だにその実感が湧かない。それもそうか。こんな姿では森を抜けたところで先は無いのだから。
「降ろすよ」
草原に体を横たえると、筒から粉を取り出し腕やら足やらに振りかけていく。マルカさんはまだ諦めていないらしい。
「大丈夫。意識もしっかりしてるし、出血だってそんなに酷くないはず。きっと助けるから、とにかく家に戻らないと」
粉が血を吸って固まると、もう一度背中を借りて家路を走る。家までたどり着くと扉を蹴破りテーブルの上に転がされる。
「なんだよ騒々しいな。て、おいなんだよそれ!」
「説明してる暇がないの。こっちに来て手伝って!」
「あ、ああ!」
彼女が俺の顔を覗き込んでくる。なんだよ、狼狽したような顔して、いつもみたいに不機嫌な顔を見せてくれよ。
「この布でそこと、ここ、あとこの部分もきつく縛って。アザになってもいいから」
「わかった」
どうやら患部より上の部分を縛って血を止めるらしい。力仕事なら彼女の得意とするところだろう。
「縛ったぞ!」
「よし! そしたら出血を止めるために縫合するよ」
体に冷たいものがかけられたのが分かった。どうやら血を洗い流して傷口を探すつもりらしい。だが、血を失いすぎた。縫い付けたところで輸血を望めるような世界でもない。延命にもならないだろう。
マルカさんの手が、俺の肌を滑っていく。ああ、温かい。
「嘘でしょ」
マルカさんの手が止まった。言葉から察するに醜いことになっているのは間違いない。
「なんだよこれ。マルカどうなってんだよ」
「どうして、さっきまであんなに血が出てたのに」
二人して俺の体を見つめたまま微動だにしない。その顔は少しひきつっているようにも見える。いくら傷が酷いからってそんな顔をしなくてもいいだろう。
「どうする?」
「どうもこうも、傷がない以上縫うわけにいかないでしょ。とりあえず、縛ったのをほどいてもらえる?」
傷がない?確かにそう聞こえた。一体二人は何を見ているんだ。あれだけのことをされて出血までしたんだ、傷がないわけあるはずがない。血が多すぎて傷口が見えないということか。いや、だとしたらあんな言い方はしないはずだ。
布がほどかれると、塞き止められていた血が戻り、痺れを通じてその流れを感じることが出来る。
「寝てないで起きて説明しろ!」
彼女が俺の額を叩く。
「負傷者に対して随分な態度じゃないか」
「何が負傷者だよふざけやがって。傷一つありゃしないじゃねえか。今だってしっかり会話出来てるくらいだぜ」
「バカなこと言うな。この通り掴まれた傷が」
頭を持ち上げ体を見る。服が真っ赤に染まり破けた箇所から血の跡が見える。だが、おかしい。いくら探してもそれ以外の痕跡が見つからないのだ。最初に掴まれたはずの腕にも、集られた場所にも、傷一つない綺麗な肌しか無いのだ。
「そんなまさか、だって、マルカさんも見てたでしょ! その服についてる血だって」
「ええ、ええ、確かに見たし触りもした」
「だったら」
「でも、今は見当たらないの。何一つ、まるでずっとそうだったみたいに綺麗に塞がってるのよ」
「ま、まあ何にせよこれで助かったんだよな! よかったじゃねえか」
すると、大きな音を立ててマルカさんは地べたに座り込んだ。
「大丈夫ですか」
「ごめんちょっと、いろんなことがありすぎて、少しこうしてれば良くなるから」
そう言って自分の足の間に頭を垂らすと、大きく息を吐いた。
一体俺の体に何が起こっているのだ。




