遭遇
家を出てしばらくしないうちに後ろ姿を捉えた。だが、担いできた剣が予想以上に重く、マルカさんの横に立つ頃には完全に息が上がっていた。
「マルカさん、ちょっと、待って」
「ちょっと、誰もついてきて良いなんて言ってないわよ。遊びにいくんじゃないんだから、分かったらさっさと帰りなさい」
「いいえ、帰りません」
「悪いけど時間がないの。それにわたし今スゴく気が立ってるからあまり怒らせないでちょうだい」
「だからこそですよ。そんな頭に血が上った状態で、全く未知の敵と戦おうなんて絶対足下掬われるに決まってますって」
「じゃあなに、わたしに帰れって言うの? 残念だけどそのつもりは無いし、もしそれでも止める気ならわたしも容赦しないわよ」
腰の短剣に手を掛けると、マルカさんはあの悲痛な瞳を俺に向け、これが冗談では無いことを物語っている。
「俺だってほんとはそうしたいですけど、マルカさんを止められるなんて思ってません。だからほら」
肩に載せている剣をおろして、鞘から抜き出し目の前に構えてみせる。
「人手は多いに越したことはありませんし、あの石も持ってきてるんです。だから、実地試験だと思って俺も連れていってください。お願いします!」
「そんな話承諾すると思う? ついこの間まで魔術の使い方も分からなかった子を、危険な場所に連れていくほどバカじゃないし、強くもないの」
言葉の中に怒りが見えた。尚も突き放すような視線を浴びせてくるが、それが俺のためを思ってのことだというのは理解している。
「自分の身は自分で守ります。少しは魔術も使えますし、迷惑は掛けませんから」
小さく溜め息をつくと、短剣から添えていた手が離れる。
「分かったついてきてもいいけど、これだけは約束して。万が一身の危険を感じることがあったらすぐに逃げること、いい?」
「大丈夫です。逃げるのは得意ですから」
それから町を横断して草原を進んでいくと、木々の生い茂るのが見えてくる。その入り口手前で立ち止まると、森と草原の境目に沿って歩き始め、あるところで足を止めた。
「どうしたんですか、中に入らないんですか」
「これを見て」
地面に向かって指を向け、その方を見ると、赤く染まった草花の押し潰された跡がずっと森の奥まで延びている。
「聞いてた通り、きっとここで捕らえられて連れ去られたのね」
「大の男一人引きずってったてなると、相当力があるんじゃ」
「とにかくこの跡を辿って犯人を見つけましょう。一応聞くけど、引き返すなら今のうちだからね」
「まさか。さあ行きましょう」
だが、強がってみたものの、森に入ると朝とは思えないほど光が入ってこず、森閑とした雰囲気に剣を担ぐ手が重くなる。
「どこまで続いてるんですかねこれ」
「話によるとこの先に開けた場所があって、そこで見つかったらしいんだけど。ほらあそこ」
先を見ると確かにうっすら明るくなっている部分がある。そこが発見場所だとしたら、つまりこの近辺に犯人がいるということになる。
「どうします、そこまで行ってみますか」
「いや、あんな目立つ場所に立ったら格好の獲物になる。とりあえず身を屈めて。作戦を立てたいけどその前にこれを渡しとく」
手渡されたのは小さな丸い瓶だった。暗くて中身はよく見えないが、振ると液体が入っているのが分かる。
「もし敵に追い詰められたり、囲まれることがあったらそれを思いっきり地面に叩きつけて。もしかしたら何とかなるかもしれないから」
「もしかしたらって、ならなかったら?」
「相手が何にせよ、まず生きて帰れないだろうね。そうだ、参考になるか分からないけど、遺体が見つかったときのことを伝えとく」
「エグい話ですか?」
「まあね、遺体が見つかったとき最初本人かどうか分からなかったくらい損傷が激しかったらしい。遺体がまるで血を吸われたように半分干からびてて、それに加えてえぐり取られたような穴が開いてたって」
「も、もう大丈夫です。こんなときに怖い話しないでくださいよ」
「敵を知るには情報が不可欠でしょ。我慢しなさい」
「それはそうですけど。その情報で何か敵の目星はついたんですか」
「わたしの知る限り、この辺りでそんな芸当が出来るやつはまず居ない。でも、血をすすって生きてる獣は一体だけいるわ」
「ん? じゃあそれが件の犯人なんじゃ」
「いや、それも普段は死体から主に摂取してるはずだし、第一生きた人間を襲ったなんて聞いたことがない」
「ということは敵は別にいると」
「ええそうなるわ。さて、問題はそれをどうやって見つけ出すかだけど」
「やっぱり遺体のあった場所を確認するのが一番じゃないですか? なにか敵に繋がる情報があるかも」
「だから、そんなことしたら格好の的になるって」
「なら俺だけ見に行ってきますから、何かあったら後ろから援護してくださいよ」
「そんな君の命に責任なんか持てないわよ」
「そのときはそのときで彼女の面倒を見てくれるならそれで良いですよ。それに、腕だけは信頼してますから」
「あ、ちょっと!」
止める声が聞こえたが、乱立する木の影に身を潜めながら跡を辿っていく。正直言ってこんなことは柄じゃないし、第一恐怖でいっぱいである。
しかし、あそこで押し問答を続けていても答えは出ないし、いつ敵に遭遇するやもしれない。そうなる前に俺としては先手を取っておきたいのだ。
開けた場所を見ると、なるほど確かに木の根のそばが一層黒くベタついた部分が分かる。重すぎてほぼ飾りのようになっている剣を鞘から抜き、格好だけでも臨戦体勢を整える。
意を決しそっと影から出て光の下に姿を晒す。開けていると言ってもそれほど広くはなく、気まぐれに木が密集しなかったのだろうか。
血溜まりの前に立つと、一度後ろを確認する。直線上の木陰にマルカさんの姿を見つけ、一先ずは安心した。
背中の安全を確保したので、正面に気を配りつつしゃがんで痕跡を調べ始める。時間がたったせいで黒く乾いており、不快な臭いが鼻を刺激してくる。本能的に嘔吐しそうになるが、グッと喉に蓋をして何とか飲み込む。
ふと、何かが目につく。乾いているはずの血痕の一部が、濡れているように光沢を放っている。借り物ではあるが失敬して剣先でつついてみる。
やはり湿っているようで、剣先を離すと粘りけのある物質が糸を伸ばす。そのとき、後ろで草を蹴るような音が聞こえ咄嗟に振り向くと、眼光鋭く顎を張り外套を暴れるままにして、マルカさんが木陰から飛び出してきていた。
「上だ!!!」
木を見上げる。先程まで何も居なかったはずなのに何かと目が合う。それは大きな一つの瞳だった。まるで憎悪を煮詰めたような濁ったそれは、多方に触手を伸ばし、内の二本を静かに俺に向けて垂らしている。
「何してる避けろ!」
そうだ逃げなければ。だが、遅かった。それまで悠長に垂らしていた触手が、突然意思を持ったように飛んできた。
「うわぁぁぁ!」
悲鳴混じりに無理矢理剣を振り上げるが、その瞬間、腕に生温い重みが絡まってきた。




