記憶の一片
どうしたの、お母さん泣いてるの?
「大丈夫、ごめんねこんなことに巻き込んじゃって。駄目なお母さんだね」
そんなことないよ、私お母さんが大好きだよ。
「私も、大好きよ」
わ、急にどうしたの。苦しいよ。
「ほら、ぎゅーってして」
うん、お母さんのいい匂いがする。そうだ! この前教えてくれたの、出来るようになったんだよ。見てて、こんなに上手になったんだよ。
「母さん......」
自分でも驚くほど静かに目が覚めた。ムシャクシャして布団に当たり散らしていたら、いつの間にかぶっ倒れてたらしい。まったく、あんなことを口走るから、らしくもないな。
ああもう、思い出すとまた気分が滅入る。これじゃ何回寝落ちしたって同じじゃねえか。
いきなりパンッと大きな音がそこから聞こえた。と、建物全体が揺れているのが分かる。何が起こってるか知らねいが、どうせあの二人が変なことでもしてんだろ。
それにしたって情けない。こんなところでメソメソしてる場合じゃないってのに、魔術の練習なんかに付き合わされてよ。
そもそもあいつが腑抜けた野郎なのがいけないんだ。あんなんで兄貴面しようってんだからしょうがねぇやつだよ。ほんと、どうしようもない奴。うん、あれは一人じゃ絶対生きていけない人間だな。まぁ、だから仕方なく一緒に居てやるけど、他の奴らよりいくらかマシだし。
それにあの女、どうもいけすけねぇ。わざわざあいつのために協力してやったが、私のことをなにか知ってる風な態度だったし。挙げ句の果てにはリオードなんて使うなと抜かしやがる。これは私の大事な魔術なのに。
誰かが扉を叩いた。
「もしもーし、ちょっといいかな」
「何の用だよ」
「良い物持ってきたんだ」
扉が開くと、あの女とアホヅラが二人揃って入ってくる。
「あら、なにどしたの。目真っ赤じゃない」
「目が赤いのは生まれつきだよ! で、良い物って」
「ふっふっふ、じゃーんどうよこれ」
もったいつけて出してきたのは黒くてヒラヒラした洋服だった。
「これね、昔私が着てた服なんだけど。どうかな、似合うと思うんだけど」
「は、こども騙しのご機嫌とりにでも来たのか」
「まぁそう言わずに」
「お前マルカさんが折角持ってきてくれたのに」
「だぁれのせいでこんなんなったと思ってんだよ」
「えぇ?! あれは俺のせいじゃないだろ」
「お前が変なこと聞かなきゃ」
「なんでそうよく喧嘩できるもんかね。ほら、着替えるんだから出てって」
「や、別にわざわざ追い出さなくても」
「駄目に決まってるでしょ! 君意外と変態だね~」
「ばか言わないでくださいよ! 分かりました出ていけばいいんでしょ、どうぞごゆっくり」
「別に着替え見られたって気にしやしないのに」
「あのね、あなたもう少し羞恥心てものを知った方がいいよ」
「余計なお世話だ。それにまだ着るって決めたわけじゃないし」
「いいじゃない、少なくともそのぼろ着れみたいな服よりマシでしょ。洗ったって落ちやしないし」
まあ、たしかにこの服より酷いものはそうそうないだろうけど、別にこういうのには馴れてるし。
「それに、何があったか知らないけどムカムカしたときはお洒落するのが一番よ」
「は、あいにく色気より食い気なもんでね」
「あら、そんな難しい言葉使っちゃって。とにかくここに居るなら指示にしたがって貰うからね。ほら、腕あげて」
「いいよ着替えくらい一人で出来るよ」
「ほんとにぃ? 大事なものだから破かないでよ」
「はいはい」
こいつ、頼んでもないのに自分で渡してきた癖に、勝手なこと抜かしやがる。まあ着てやるけど。しかし、こういう服を着るのっていつぶりだったかな。
「ほらやっぱり似合うじゃん。見立てに間違いはなかったか!」
「そう言われても、自分じゃどうなってるか見えないんだけど」
「ああごめんごめん」
てっきり鏡でも持ってくるのかと思いきや、机から椅子を運んできて部屋の真ん中辺りに置いた。
「その前にこっちにいらっしゃい」
「こうなりゃなんでも付き合うよ」
「素直でよろしい! えーとたしかこの辺に、あった」
引き出しを漁って持ってきたのは使い込まれたような刷子だった。
「ほらじっとしててね」
良いと言ってないのに勝手に髪をとかし始める。
「なんだよ、どういう風の吹きまわしだ」
「別に、綺麗な格好をしてても、こんなボサボサの髪じゃ折角の服がかわいそうだなって」
「は、そうかよ」
人に頭を触られるのは少しくすぐったけど、懐かしい感じがする。ああ、母さんもよくこうしてくれてたっけ。
「ねぇ」
「なあにお母さん」
「自分の髪の色は好き?」
「またその話? 好きに決まってるじゃん」
「そう、そうよね。ふふふ」
母さんと同じ白い髪。自慢の髪の毛。窓から入る日差しに照らされて、椅子に座っておしゃべりしながら、こうして髪を整えてくれている時が何より好きだった。
「じゃあ、お母さんと約束してくれる? 何があっても自分のことを嫌いにならないって」
「そんなの当たり前じゃん! どうしてそんなのこと聞くの」
「ううん、でも約束してくれたらお母さん嬉しいな」
「なら約束する!」
「うんいいこいいこ」
そう言って頭を撫でてくれた母さんは、どこか悲しそうな笑顔を浮かべていたのを、今でも覚えてる。
ああほらやっぱり、こうやって思い出してしまう。あんなに口に出さないように頑張ってきたのに、なんであいつなんかに話したんだ。
意識してしまったらもう、濁流のように押し寄せる感情を、押し殺し切れなくなる。
「なんだよ、黙ってないでなんか言えよ」
「いやー、ほら多分あなたの涙ほど面倒くさそうな理由は無さそうだし。それに、涙のわけを聞くほど野暮じゃないし?」
「なんだよそれ」
「大人になると嫌な勘だけ冴えるようになるってことよ。ほら綺麗になった、メソメソしてると折角のお洒落が台無しにだぞ」
「わかってるよ。もう泣いてない泣いてない」
「よし、じゃ鏡で新しい姿とご対面といきましょう」
姿見を目の前まで移動させ、掛かっている布を取り払らう。そこには黒い服を身に纏い、対照的な真っ白い髪を肩まで伸ばした、瞼を腫らした不細工が映っていた。
「ね、黒と白、映えないわけがないでしょ」
「安直だな」
「いやいや、王道と言ってほしいね。しかし憎いね。これ、わたしが着てたときより似合ってるんじゃない?」
「そりゃお前、質がちがうわな」
「言うわね。まあもう物理的に着れる分けないし、もし気に入ったならあなたにあげるけど」
「いいよ、大事なものなんだろ」
「なに、親から貰ったってだけよ。懐かしくて今までとっておいたけど、着れるわけでもないし、ね」
「じゃあ、他に素っ裸で過ごすわけにもいかないし、ありがたく貰っとこうかな」
「よしよし、じゃ仲間外れされてるあいつに見せてやろうか」
「披露する相手があいつなのはなんだか張り合いがないけどな」
とは言え、あいつの驚く顔が見られるのはなんだかいい気分になれる気がする。




