優良健康児
しばらくの間は草原の道を走り続けていたが、やがて、畑なのか人の手が加わっているであろう作物が姿を見せ、それから少し行ったところで村に行き着いた。
そこでは、全員の面倒をみられるほど設備も物も無いとのことで、特に重症な者を数人だけ置いていくことになった。
そのお陰で空いたスペースにゆったり腰を下ろすことが出来たが、道中の揺れに変わりは無く多少マシになった程度である。
更に悲惨なことに、車体の揺れが神経を刺激したのかすっかり体は言うことを聞かなくなってしまった。
痛みは感じているはずなのに、まるで自分の物では無くなってしまったような、そんな気分だ。今こうして意識を保っているのも難しい。
ああ風呂に、入りたい。
「おい、おい!起きろ!」
耳元で怒鳴られたかと思うと、強引に体を揺さぶられぼんやりと意識を取り戻す。いつの間にか到着していたらしい。
「こっちはずっと走らせてたってのに、たくいい気なもんだな」
ゆっくりと体を起こすと、体の節々が悲鳴の代わりに音をたてる。気持ちの良い目覚めとは行かなかった。
「ほら、掴まれ」
「ああ、すみません」
肩に手を掛けようとするが、その手は空を切り、予想より低い位置に手が当たる。てっきり騎士だとばかり思っていたが、声の主は彼女であった。
「なんだ、案外元気そうじゃないか」
「そういうお前はすっかり腑抜けちまったな。歩けるか?」
「ああ、多分大丈夫」
「ならさっさと行くぞ」
どこへ行くのか質問したいが、今は言葉を出す気力さえ惜しい。さすがに彼女に背負ってもらうことは出来ず、手を引かれてどこかに連れていかれる。
周囲の話し声が普段よりも騒がしく思えるのはこの状況のせいだろうか。本来ならなんてことない道を倍の時間を掛けて歩いていく。
「そういやお前石持ってるか?」
「石?」
「解体屋の連中に貰ったろ、しっかりしろ!」
「貰った? あ」
思い出した、竜の討伐報酬だ。あれは確か...。
「置いてきた」
「はぁ?! どこに!」
「た、多分ガンテインさんのところに」
「はぁ~、じゃあ札は? 青とか色のついた」
「それならまだポケットに」
「持ってるんだな! よし、なら大丈夫だな」
それから更にしばらく歩くと一軒の建物にたどり着いた。ここはたしか最初に泊まったところだったか。
やっとのことで中に入ると、カウンターに突っ伏して体を休める。彼女にポケットをまさぐられていると、奥から店主が出てきた。
「うわ! なんだまたお前らか! 今忙しいんだ出てってくれ」
「部屋の一つくらい空いてんだろ。見てのあり様なんだ休ませてくれよ」
「はっ、部屋なら全部空いてるよ。化け物が来るってのに誰が泊まるってんだ」
「化け物? なんの話だよ」
「なんだ聞いてないのか? でかい龍が騎士を皆殺しにしてこっちに向かってるって」
「あーなんだそのことか。それならきっちり倒してたぜ。だから部屋開けてくれよ、な?」
「誰がお前の話なんか信じるか! とにかくお前らにかまけてる暇はないんだ、俺はもう行くからな!」
突っ伏しているうちに交渉が決裂すると、店主は奥に引っ込んでしまった。
「んだよ、とりあえず札置いとくからな! お前もいつまでも伏せてんなよ」
「そう言ったって体が重いし」
「はあー、年上なんだからしっかりしてくれよ」
少女に介護されているこの状況が情けないことなんて百も承知であるが、本人からいざ言及されてみると、予想以上に堪える。
彼女は背丈ほどあるカウンターをよじ登ると、悪びれる様子もなく辺りを物色し始める。
「いくら何でも盗みはダメだろ」
「バカ言うな鍵探してんだよ。たしかこの辺から出してたような……、これでいいか。ほら行くぞ」
無理矢理体を起こすと、バリアフリーのかけらもなく手すりすらない階段を上がっていく。こんなに膝が重いのは体育の長距離走走破後以来だろう。
もたもたしている俺をしり目に彼女は階段を駆け上がると、手当たり次第に鍵を差し込んでいく。
「開いた開いた! ほら早くしろよ部屋で待ってるぞー」
子供特有の底なしの体力が羨ましい。一段一段息を切らしながら足を進め壁伝いに部屋を目指す。部屋に入ると靴も脱がずに硬いベッドにうつぶせに倒れた。
「あー無理だ。もう一歩も動けん」
「もっと端で寝ろよ邪魔でしょうがねえ」
「無理、ちょっと寝るから何かあったら起こしてくれ」
別段体が動かないだけでもう睡魔はどこかに行ってしまっているのだが、そもそもこの症状はひと眠りしたくらいで良くなる保証もない。それでも目を閉じて時間が解決してくれるのを待つ。
ほら、そうしてる間にもう眠たくなってきた……
体が冷えたせいか目が覚めた。開けっぱなしの窓の外はすでに日が落ちている。机の上の小さなろうそくが辺りを薄暗く照らしている以外は何もない部屋。
「お、もういいのか」
桶をもった彼女が入ってくる。
「まあだいぶ良くなったかな多分。それは?」
「水だよ。さすがに臭いからな」
桶を机に置くと脇に挟んでいた布を中に浸け始める。
「ちょうどいいや、背中拭いてくれよ」
「背中? いいけどなんで」
「なんでって、体が汚れてるからだろ」
なら風呂に入ればいいだろうと言いかけて気が付いた。そうだ、ここには湯舟どころかシャワーすら存在するか怪しいのだ。ましてやガス給湯器なぞありはしない。よくてゴエモン風呂だろう。
「ぐあああああ、そうか、そうか……」
あまりの衝撃に体調不良がぶりかえりそうになる。
「なんだよ大声出して、いいから頼むぞ」
「ぐう、んん、わかった」
上だけ脱いで背中を向けてベッドに座る。兄弟がいないので流しっこなどやったことがなかったが、まさかこんなところで体験することにはなるとは。だが、そんなしみじみした感覚も背中に触れた途端吹き飛んでしまった。
布越しでも手に取ってわかるこの感覚は、そう筋肉だ!暗がりでよくわからなかったが、さすが剣を振り回すだけあって身長に似合わない背筋がここにあるのだ。
「お前やべえな、細マッチョてやつか? 体ガチガチじゃん」
「ふふん、伊達に鍛えてないからな」
「はー羨ましい、俺も少しは鍛えるか?」
「そうしろそうしろ、木の枝みたいな腕も少しはましになるだろ」
「ほい、終わりましたよ。前もふいてやろうか?」
「自分でやるよバカ」
「そうですか。それにしても、なんだか妙に外が静かすぎないか」
「あれだろ、ここの店主みたいにみんなどっか逃げたんだろ。おかげで飯も食えないいっての」
「嘘だろ! どこもやってないのかよ」
「ま、明日になったら帰ってくるんじゃないの。こんなもんでいいか、ほら今度は拭いてやる」
「いや、俺はいいよ疲れてるし」
「なに言ってんだよ。そんな臭い体で相部屋は御免だぜ。拭いてやるから早く脱げ」
しぶしぶ服を脱ぐと、彼女から冷たい視線を感じる。
「な、なんだよ」
「や、まじで細い体してるなって」
「うるせえそれはもういいだろ」
「そう怒るなって、しっかし辛そうにしてた割に傷一つ無いもんなんだな。案外たいしたことなかったんじゃねえのか」
「そんなわけないだろ、ほんとに辛かったんだからな! あれだろ、受け身がうまかったんだろ」
「は、よく言うぜ。ほら後は自分でやりな」
「サンキュ」
風呂に入れないとは言え、久しぶりに垢を落とせるのは気分がいい。しかし、言われてみればアザどころか擦り傷一つないのが少々気になる。ガンテインさんが負傷した時もそうだ。すぐそばに居たはずの俺は気絶こそしたものの、やはり怪我はしていなかった。もしや、これが銀髪女の言っていた『女神の加護』なのだろうか。
単に体が強固になっただけか、はたまた不死身なのか、正体は分からないが使い方によっては有利にことを進められるかもしれない。近いうちに検証すべきだろう。




