凪
まだ自由の利く左手で手綱を引いてタイスさんの後を追う。正直俺も背負ってほしいくらいだが、そんなこと言えるわけがない。
空はもうずいぶんと明るくなり、光で目が痛む。
「あいつ、もう動きませんよね」
草原に横たわる奴を見ながら、拭えない不安を口にする。
「さあ、もしかしたらまた動き出すかもしれませんね」
「えぇ」
「冗談です。あれだけのことをされて起き上がれる生物はまずいませんよ」
軽快な口ぶりがその言葉を信じさせてくれる。
「そういえば、あいつに当てたあの光線は何なんですか」
「あれですか。ただの魔力の塊にすぎませんよ。それを極力圧縮して細い線にして撃ち出したんです」
「へえ~」
聞いたところで理解できるはずもなく腑抜けた返答しかできない。元居た世界では光線を出せる人なんていなかったのだから仕方がない。
「それでも体内を滅茶苦茶にするのに十分なんです」
さらりととんでもないことを言ってのけたが、揺れる後ろ髪が見えるだけでその表情は読み取れない。
突然滑るような感覚を足に感じて立ち止まる。見ると草が赤黒く染まっている。そして、なんとも形容しがたい異臭が鼻を通っていく。
「ミスイさん?」
「あ、すみません」
なんだか嫌なものを踏んでしまったくらいに思っていると、目の前の景色がそれがなんであるのかを認識させてくれた。
行く道々は赤く染まり、瓦礫に混ざってかつて騎士だった者達が出迎える。その光景にただただ圧倒され、さくさくとした足音は水けを帯びたものに変わり、次第にどろどろとした感覚を胸のあたりに覚えた。
まだ形を保っているテントの周りに騎士たちが集まっているのが見える。その中に銅色のあの鎧の姿を見つけ幾分か気分の落ち込みが軽くなる。
「それから、まだ奴の生死の確認が取れていない以上、最悪の事態に備え現段階での魔術の使用は控えるように。この後観龍者が戻り次第、ああ丁度よかった」
「ど、どうもザイウスさん」
「おおご無事でしたか!まさか殺せるとは思っていなかったもので、あれが倒れるのが見えたときは驚きましたよ」
「今回は単に運が良かっただけです。それより、彼女を寝かせたら銀鋭甲の確認に戻ります。動ける者を何名か貸していただけますか」
「ええ、いいですとも。ああそうだ、他のお二方はお仲間の弔いに向かわれましたよ」
「そう、ですか。わかりましたそれでは」
騎士に手綱を渡すと彼女とテントに入る。中に入ると一層色濃く血の臭いが漂ってくる。思わずむせていると、タイスさんはその間に彼女を寝かせていた。
「ここで一緒に治療を受けてください。私は戻らなければなりませんのでこれで失礼します」
「ありがとうございました。お気を付けて」
さて、治療を受けろと言われたところで誰に何を頼めばいいのか検討もつかなければ、そもそも治療を施している騎士が二人しかいない。
幾重にも響くうめき声に埋もれながら、進行し続ける痛みになすすべもなく次第に体力を奪われていく。
自分が倒れる前にせめて彼女の手当てをしてくれる人を探そうとキョロキョロと見渡していると、急に外が騒がしくなる。
「まったく、酷いありさまだな。聖から預かった部隊だというのにこの様とは」
「申し開きのしようもございません」
ザイウスさんと男が話しているようだが、居丈高な物言いを聞くにどうも地位の高い人物らしい。
「町で話を聞いたときは肝を冷やしたぞ。この惨状を報告する身になってみろ。はぁ~、で、何人残った」
「正確な人数はまだ把握していませんが負傷者も含めますと」
「違う! まともに動ける者だけでいい」
「十数名ほどかと。そのうち数名は観龍者に同行させております」
「ああ、先程すれ違った奴らか。しかし、二十人にも満たないか。頭の痛くなる」
「どのような処罰でも受ける所存でございます」
「それは後だ、直近のことを話すのが先だろう。治療の心得のある者はここに残れ」
その後話の場を移したらしく会話が聞こえなくなり、それからすぐに二人の騎士が中に入ってきた。入口のすぐそばに座っていたために目が合う。正確には兜の隙間から見られたと言うべきだろうか。
「ははどうも」
軽く会釈をして挨拶をするが、まったく相手にされない。そのまま彼らは視線を寝ている彼女に移すと、急に耳打ちをし始める。
それが終わると一人が外に出ていき、残った一人は治療にあたっている騎士に近づいていく。見ていてあまりいい予感のする行動ではない。
「ああ助かった。見ての通りで人手が足りないんだ」
「ここに歩ける者は」
「一人もいやしないよ。ろくに薬品もなけりゃ痛み止めすら足りない。止血が精一杯だ」
「いずれにしても長くは持たんだろう。乗ってきた幌者で近くの町まで運ぶしかないだろ」
「そりゃありがたい。なんせあの化け物が荷車からなにまでぶっ壊していったからな」
話がついたのを見計らったようにさっきの騎士が戻ってくると、再度耳打ちをはじめ、何事もなかったかのように負傷者を運び始めた。
「おいお前!」
不意に一人の騎士が誰かに呼びかける。
「お前だよお前! そこの黒髪」
「あ、僕ですか!?」
「見たところ怪我もしてないしこっちに来て手伝え」
「いや、実は腕が上がらなくって」
「ああ!? なんだ使えねえな」
「ははすいません」
相手の状況ゆえに仕方ないとは言え、さすがにこうも強く当たらなくていいものだろう。
その後、幾人もの負傷者が目の前を通っていくのをただ眺め、遂に俺たちを残してテントの中は人っ子一人居なくなってしまった。
さて、タイスさんが戻ってくるのを待つのか。そもそもここで治療を受けろと言われたのだから最悪戻ってこない可能性だってある。
「ええー、これからどうすんだよ」
言葉が空虚に消えていく。まさかこんなところで行き詰るとは想像もしていなかった。
「おい」
彼女の顔を見ながら呆けていると、いつの間にか戻ってきた騎士がこちらを見ていた。
「はあ」
「荷台に空きができた。そいつも乗せてってやる」
礼の言葉を述べる前に騎士たちは彼女を運び出してしまう。遅れてテントから出ると、簡素な作りな荷台に彼女は寝かされていた。
「場所がないからお前はここだ」
そう言われて荷台の搬入口から足を投げ出すように座らせられる。足をブラつかせて出発の時を待っていると、ザイウスさんが姿を見せ荷台から飛び降りる。
「ここでお別れですね」
「何から何までお世話になってしまって、色々ありがとうございました」
「いいんです、まあそうですね、また会う機会があったらその時は借りを返してもらいますよ」
「はい! また会えたらその時に」
笑顔で握手を交わすと、すぐに仕事に戻っていく。
「おい、もう行くぞ」
慌てて荷台に戻るとすぐに動き始め、乗っている馬車の後ろにもう一台ついて走り出す。
それなりの間隔はあるものの、御者と目が合うと気まずいので荷台の端にもたれかかり、視線が合わないようにぼうっと景色を見る。
途中あの化け物の横を通ると、タイスさん達の姿が見えた。ちゃんとしたお別れをしたいところだが、わざわざ止めてもらうことも出来ない。
この先、彼女らのような親切にしてくれる人がいるとも限らない。ほんとは全部投げ出して、ただひたすらにフカフカのベッドで眠りたい気分だが、今は尻の痛いのを我慢しながら、振り落とされないように眠気を我慢するしかないだろう。
ここで気を抜いたら痛みに全身を支配され自由が利かなくなるのは分かりきっている。気を紛らわすためにタイスさんが話していたカラススとやらに思いを馳せる。




