夜道を行けば
「いな、居ないって、へ?」
予想だにしない言葉に腕に込めていた力を緩めてしまった。すると、その拍子に荷車を止めたのか、車内が大きくぐらついて態勢が崩れてしまう。
「おい何やってんだ! しっかり押さえとけ!」
ラナスさんがそう言いながら席から身を乗り出してこちらに向かってくる。すぐさま再度傷口を塞ぎにかかるが、先の言葉が引っ掛かり集中できない。
「何やってやがる! どけ! 俺がやる、お前は使える物がないか探してこい」
気迫におされて質問する間もないまま、積み荷を確認して回る。が、さっきも聞いた通り確かに包帯はおろか、布切れ一つ見つからない。
「だめです、何も見つからないです!」
「ちぃっ仕方ないガンテイン、焼いて傷をふさぐしかない。だいぶ痛むと思うが我慢してくれよ!」
「死ぬよりましだ、やってくれ」
その言葉を聞くと、枝で出来たような杖を取り出して、持ち手の部分に石のようなものをはめ込んだ。
「それは?」
「何って、こいつがないと火が出ないだろ」
よくわからないが必要なものらしい。傷を見るために服をめくり上げると肌が赤一色に染まりきっている。
「おい、水でも酒でもいいから持ってきてくれ!」
いわれた通り液体の入った小さな樽を運んでいく。
「傷は、ひどいか?」
「いや大丈夫だ、ちょっと多く血が出ちまっただけだ心配するこたねえ」
素人の俺ですらそれが嘘であることくらい分かった。だが、黙って傷を洗うのを見ているほかなかった。
「よし、それじゃやるぞ。いいな」
「ああやってくれ」
杖の先を傷口に押し当て、それからはめ込んだ石が光り始める。
「痛むぞ! 歯食いしばれ!」
ガンテインの顔に力が入ると、杖の先で肌の焼ける音が聞こえてくる。
「がっうぐ、ふっ、あああああ!」
「しっかりしろ! がんばれ!」
彼の息が荒くなり、瞳に涙がたまり始める。そんな状況にかける言葉も見つからずその行く末を見ているしかった。
そうしてやっとの思いで傷を焼き塞ぐと、ガンテインはぐったりとして力なく息を吐いた。
「よし、よく頑張った! すまないが今は時間が惜しい。すぐに移動するぞ」
ようやく一段落ついたところで、先程の言葉がよみがえってきた。
「ちょ、ちょっと待ってください。彼女は? それになんでこんな状況に」
「今は時間がないんだ、移動しながら説明してやる」
「そんなこと言ったって、彼女は無事なんですか?」
「無事かだって? そんなことわかるわけないだろ! こいつの姿を見てみろ! 腹が切れて、他だってどうなってるかわからねえ、奴隷一人にかまけてる暇なんてあるわけないだろ!」
「そ、そんなだからって女の子一人置いてきたんですか!? 何があったかわからない以上納得できませんよ!」
「よくそんな口が利けたな! いいか、あんな状況でお前ひとり連れてきただけでも感謝されていいくらいだ! それをお前は」
「まってくれ二人とも。言い合ってる場合じゃないだろ。あそこからはだいぶ離れてるはずだ、説明する時間くらいある。それで、落ち着いてからまた出発すればいい。それでいいだろ?」
その提案を断る理由はなかったが、ラナスさんはやはり先を急ぎたいようで、ガンテインさんの提案とは言えあまりいい顔はしなかった。それでも、しぶしぶと事の顛末を話し始めてくれた。
「いいか、俺にも詳しいことはわからねえ。一つだけわかるのは俺たちを圧倒的な何かが襲ったってことだけだ。お前もガンテインもそいつに襲われてそれで気を失って、このありさまってわけだ」
「それが事実だとしても、俺だけ傷一つ付いてないなんておかしいじゃないですか」
「そんなもん俺にわかるわけないだろ! いいかともかく、それから逃げるので精いっぱいでお前の奴隷を探してやる余裕なんてなかったんだ」
確かに、ガンテインさんの傷からはその出来事の凄惨な様がうかがえるが、やはり、自分だけ無傷であり、大の男二人を運ぶ猶予があったのならテントにいる彼女に一声かけることくらい出来たはずだ。
「で、でもそれだけの騒ぎがあったんなら、彼女が起きてきてもおかしくないでしょう。やっぱり納得できませんよ今からでも迎えに行きましょうよ」
「ばか言え! あんなとこに戻るなんて御免被るね! いいか、とにかくガンテインの治療も終わっていないんだ、お前が何と言おうと俺たちは先に行くからな」
話は終わりだと言わんばかりに強引に話を切り上げると、そのまま席に戻って行ってしまった。
「ミスイさん。申し訳ないが私も戻ることには反対です。それに、今更戻ったところでもうどうにもならないと思いますし」
さて、ガンテインさんが味方をしてくれないとなれば、もはや一人で行くほかない。しかし、彼らの言っていることが本当であるなら、すなわちそれは死を意味することとなる。
が、イーリスのことといい、信用ならない部分があることは事実だし、第一このまま彼女を置いて行って、この後一人で生き抜いていくる自信などない。それならば、ここは迎えに戻るのが正解であろう。
「それなら、幸い傷は塞がったことですし私はここで降りさせてもらいます。これまでお世話になりました」
「お、おい! 死にてえのかお前! 悪いことは言わねえ、今からでも考え直せ」
「そうですよ! 今から戻ったってなにができるって言うんですか!」
「それでも、彼女を置いていくことはできないんです。さ、まだ治療の必要もあるかと思いますし、気にせず行って下さい。それでは」
軽く頭を下げると、引き留められる前に来た道を走り始め、それでも後ろで何か叫ぶ声が聞こえてくるので、聞こえないフリをして道を進み続ける。
が、ある程度来たところで一体野営地からどのくらい離れたのかわからないことに気がつき、一旦足を止めた。
このまま真っ直ぐ進めばいいのか、それともどこかで曲がらなければならないのか見当がつかないのだ。
それでも、よく見渡していると不自然に潰れたような草原がずっと続いている。なるほど、これを辿って行けば野営地まで戻れるかもしれない。
そうしてまた、草原を進み続け、はじめは彼女の恨まれる理由をぼーっと考えながらただ走っていたが、次第に周囲の景色に違和感を覚えはじめ、再び足を止めてしまった。
おかしいのである。推測が正しければ、それほど大きな騒動ではないはずで、荷車の通った後は精々二、三ほどであろう。しかし、見渡す限りの草原は荒れに荒らされているのである。
つまり、ここを予想以上の大群が駆け抜けていったということではないだろうか。
どれほどのことが起こったのかは知らないが、あれだけ啖呵をきって別れたことをもうすでに後悔し始めている。
それでも今更戻るなんて出来るはずもないので、均されて幾分か歩きやすくなった道をひたすら歩いていくしかった。
そのうちに煙臭さが風に乗って運ばれてくるようになり、いよいよ野営地が近いかと思うと、轟音に次ぐ轟音が鼓膜を揺らしそこでようやく自分の愚かさを呪った。
街灯がないような世界でも、銀を身にまとった巨大な何かだけはハッキリと捉えることができる。
「ばか言え......」
考えるまでもなくここに居るべきだないことは分かった。分かってはいるが、ただ見ているほかなかった。




