堕ち行く君に
産声の勢いを最後に、二十年あまりを惰性で過ごしてきた。
交友関係や家族に不満があったわけでも無い。が一日中なにをするわけでも無く、ただひたすらにスマホを眺めて過ごす生活に不安を抱き、将来就きたい仕事も、趣味もない自分に不満がつのっていた。
怠惰な生活を改めようと始めたアルバイトも、仕事に慣れてしまえばお得意の惰性で済んでしまうようになった。気がつけば才が無いだのと行動を起こさない言い訳ばかり達者になっていた。
今日も疲れを感じるでもなく帰路につく。悲しいかな、なにかの自分のためになるんじゃないかと始めたはずなのに、余計に自分を嫌悪する理由を増やす結果になったわけだ。
悶々とした気分で家に帰ると、親に目もくれず自室に向かう。母がご飯を食べるよう催促している声が聞こえるが、食事をするのも億劫でそのままベッドに倒れこみ眠りにつく。
どれくらい眠っていただろうか、不意に目を覚ますと時間を確認するためにスマホを見ようと手探りするが、どうもベッドにはないらしい。机に置いたかもしくは鞄の中か、どちらにせよベッドから出なければ探しようがないので、腕に力を入れて起き上がる。
はて、たしか電気は点けたままだったはずだが、妙に部屋が暗い。誰か消していったのだろうか。明かりを点けるために立ち上がるも、いつもの場所にスイッチがない。それだけではない、よくよく目を凝らして見るとあるべきはずの机も、本棚も、何もかもが無くなっている。いや、正確に表すなら部屋が変わっているのだ。
「どこだよここ...」
あまりのことに呆然と立ち尽くし、しばらく部屋を見渡たす。窓もなく、ベッドが一つ扉が一つだけの埃っぽい部屋。誘拐されたと考えてみるが、拘束されているわけでもなければ、実家が金持ちでもないので、誘拐される心当たりが全くない。
となると、残るはここがまだ夢の中だと言う線だけだ。しかし、夢にしてはえらく意識が鮮明だ。手に感触もあれば鼻をつく誇りの臭いだってわかる。だが、明かりもないのに妙に薄明かるい点だけはどうも現実離れしているように思える。
まあ、こんな何もない部屋にいても仕方がないし、第一こんなに鮮明な夢なら楽しまなくては損だ。新たな展開に期待しつつ、扉に手をかけドアノブを捻る。ガチャっと音をたてて開いた扉に、当然鍵なんてものは無く誘拐の可能性はもはや無いも同然になった。
しかし、期待していたほどの光景は広がっておらず、扉の先はただ一直線の廊下が続いているだけで、外を見渡そうにも窓一つ無く点在する灯りのみが頼りの面白味のない風景に自分の想像力のなさを痛感する。
早々に夢に対して興味が薄れてきたが、それでも廊下を渡っていくとまた扉に行き着いた。ざっとここまで四、五分といったところだろうか。
「こんどはましな景色がみたいなぁ」
思わず口をついて出た言葉に返事をする者は誰もいない。実はこの扉を開けるとまた同じ部屋に戻っている、なんていうホラーのようなバカげた考えが頭をよぎるが、こんなところでうじうじしていてもいつか目が覚めてしまうと、思いきってドアノブに手をかける。今度も施錠はされておらず、期待と不安が入交ながらゆっくりと戸を開ける。
今度は一変して明るい景色が現れ、思わず手で視界を遮る。そうして明るさに目が慣れると、今度は本棚と入りきらなかったであろう平積みされた大量の本が目に入ってきた。どうやら書庫のような場所らしい。
やはりぱっとしない光景に落胆しつつ辺りを見渡すと、正面奥に一つだけ机がみえる。近づいてみると読みかけであろう本やこれから読むのか、あるいは既に読んだのか数冊本が散乱している。ソノウチの一つを読もうと手を伸ばすと、視界のすみに何かが写った。
そして、それを見た瞬間、心臓が跳び跳ねた。
もし、もしもだ、先ほど考えたような、ここが夢でもましてや幻覚でもないとしたら、そこで寝息を立て横になっているこの女はいったい誰だ。