! 1章EX 浅黄深緑の空白時間(ラブタイム) 3
「なんで…」
「伝えようと、何より早く伝えなきゃって思ってたのよ?とにかくまず先に、お父様やお母様に伝えなきゃ。でも本人の前でそれを言って、全員がそれまでと態度を変えるなんて、それこそ確実に気分を悪くされるだろうなって。でももう話は進んでて、だから、焦っちゃって……」
今思えば、随分と取り乱していた。
だが仕方ないではないか。
目の前に、女神の姉を名乗る、女神の姉としか思えない人物が居るのに、自分の家族はまるで、自分の城に潜り込んで来た汚いドブネズミを見るような険悪な態度で迎え入れようとしているのだ。
いつ何処に雷が落ちるのか、下手をすれば自分にだって……。
平静で居られる方が異常だ。
「…信じてるの?まさか、それ…」
信じるなんて馬鹿げてると言いたいんだろう。
素直に信じられるなんて事も、こんな突拍子もない話を簡単に受け入れられるのもそれはそれでどこかおかしい。私だってそう思う。
でも、私の中では既に真実以外の可能性が思いつかないのだ。
「……廊下で貴女とあの方が話しているのを見ていたから、何かが起こる前に、絶対に、ミドリーにも聞いて貰わなきゃって、一番あぶないのはきっと、一番聞かせなきゃいけないのはこの子だって、そう思った。…信じられない気持ちも、よくわかるけどね。」
「……」
アイ様の機嫌がどうのって言うのも嘘ではないけど、自分がどういう目で見られるのか、大勢の前で言ったらどう言う反応が返ってくるかを想像しなかったわけじゃない。信じられないで終わるだけなら、きっとまだマシな方。良くて狂ったと思われるだろう。教会に目をつけられて殺される可能性だって有り得る。極端かもしれないし、この戦時下でそんな悠長な事をしている暇があるかは微妙な所だけど。
「ごめんね。怖い思いをさせる前に、なんとかしたかったんだけど、なんにもできなかった。…ううん、違う、そうじゃなくて。私がミドリーと仲が良くないけど、昔はもっと仲が良かったのに……って言ったの。だから、もしかしたらそれが原因であんな事をされたのかもしれない。」
正直な所はわからない。
今の結果は、全く私の予想外だ。
あの人が何をどこまで考えて、どういう結果を求めていたのかなんて、非才な私には幾ら考えた所でたどり着けないような思考があったのかもしれない。
でも、ビックリしすぎてさっきまでは勝手にそう思っていたけど、本当にどうなんだろう?
………時折、突拍子も無い言葉も出た。
こちらの常識が通用しない所も多々ある。
でも、私と話して、私の言葉を聞いて、私の為に何かを思ってくれていたあの姿は、そんなにも私達と根本的に違う何かだっただろうか?
そうは思えない。
私には、私と同じ位の年の女の子で、私と同じように好き嫌いがあって、私と同じように私の事を知ろうとしてくれた、私とちょっとだけ違う所もある、私より不器用で私より優しい。そんな、ただの女の子と話しているような心地だった。
すっかり我を忘れていた。今日会ったばかりの彼女と、たった数十分言葉を交わしただけなのに、まるでずっと一緒にいたとても身近な存在と話しているように楽しい気分で居た気がする。
『どういう存在なのか』。
それに気をとられてばかり居た。
けどそれって、もっと大事な事じゃないの?
どういう存在かより、どういう人……どんな性格なのかって事が……。
「…でもね、怖いばっかりの人でも、悪い人でもない、と思う。ちょっと変わってて、でもすごく、面白い人。私は話してて、そう思ったの。」
「…」
疑惑の眼差しで見られた。
まあ、ミドリーはそれでも不思議じゃない。まさか、腕が…いや、思い出したくない。……自分にあれだけの事をされて怖い人ではない……と言われて信じられるはずもないのかな。
それについては、今私がここで何を言っても、信じて貰うのは多分難しい。
「やっぱり、怖い?」
「…」
実は…
実は一つだけ考えている事がある。
上手くいくかはわからない。
私がアイ様と話してわかった事は、たくさんあるようでいて実はそんなに多くない。
今まで見た事が無い強烈な個性にあてられて忘れそうになるが、初対面と言って過言ではない位に、私はまだあの人の何もかもを知らないのだ。
それでも、可能性があるとすれば一つだけ。
起死回生の一手を思いついている。
寧ろ、他の可能性を思いつかない。
「……、ミドリー。さっき貴女がビックリした分、あの人を、アイ様を驚かせてみたいって思わない?きっと楽しいわ。それに、多分それを見れば、きっとミドリーも怖くないって、わかると思うの。」
「……?」
「うまくいくかはわからないんだけどね…?でも多分大丈夫。うまくいきそうな気がしてるの。そしてもしも、もしも成功すれば、全部が全部、キレイさっぱり解決しちゃうかもしれない。そんな裏技みたいな方法があったら……聞きたい?」
「…」
…意地悪な聞き方かな?
興味がないわけないだろう。
自分が人を物の様に扱ってきたこの子は、経験がない。
自分自身がまるで物のように扱われる恐怖を、ついさっきまで経験した事がなかったはずだ。
誰もが自分を必要として、誰もが自分の姫としての身分を大切にして、縋り付く様に近づいて来る人間ばかりだったはずだ。
私にだって思い当たる所は多いのだから。
それを当然のように受け入れていたミドリーには、あの人だけが異質に見えるだろう。
その、未知の恐怖から逃れられるかもしれないと言うなら、聞きたくないはずはないんだ。
悩んでいる、と言うよりはむくれてる。早く聞かせろと。
だが、意地悪で良い。貴女から直接聞きたいの。でも安心して。
もう一度頭を撫でる。
「私は貴女の味方だよ」って、その手で伝えるように。
「……聞く」
……ああ、良かった。本当に。
これでこの子が笑える未来を、作れるかもしれない。
不思議だなあ。
あんなに難しいとばかり思ってた沢山の事が、なぜか今日は簡単にできる。
とても衝撃的なきっかけをくれた人は居た。
けど、多分それだけではダメだったはずだ。
大切だと自覚したら、ただ無性に仲直りしたくなった。
その欲望をぶつけただけ。言うならこれは、ただの我侭だ。
誰かを思う我侭なその気持ちを、きっと「好き」と呼ぶのだろう。
自分を突き動かす感情の名前を知っているから。だから今までと違って、今まで躊躇っていたはずの距離を考えもせず、ミドリーへ簡単に飛び込んでいた。
多分ミドリーとか環境だとか、そういうのじゃない。
変わったのは私。私自身だ。
何度顔を合わせるかではない。何度言葉を交わすかではない。
人との距離は、強い思いが必要なんだ。
どれだけ近づきたいと思えるか、どれだけ相手を思えるか。
思いだけでは近づく事はできないけれど、思いがなければ始まらない。
私がこの子と。そしてこの子がアイ様と近づく為に、ちょっとしたサプライズを。
大きな意味を持った、とても小さな悪戯だけど、こんな事で言葉を交わせる。
この子が笑えるように。
晴れやかな気分だった。
多分私は今ようやく何年ぶりかに、この子の姉だと胸を張って言えるだろう。
肩の荷が下りたような、そんな晴れやかな気分。
ミドリー。フーカ・ミドリー。私の妹。
今までこの子は、私の理想の妹ではなかったけれど。
今まで私は、この子の立派な姉ではなかったけれど。
でもそれは、今更だし、どうでも良い些細な事なのかもしれない。
だって、私はこんなにも、好きなのだ。
後は、この好きと言う気持ちを、私がどうやって形にしていくか。
ただ、それだけでしかないんだろう。
「うん。ならね、」
私たちは、彼女からどれだけ多くのものを奪ってしまったのだろう。
住み慣れた世界から知らない場所へと突然連れて来られた、勇者。
家族や友人など心許せる話し相手を奪われた、女の子。
愛しい妹と突然引き離された、姉。
そんな彼女から、唯一手元に残っていた自由すら、私達は手にかけようとしたのだ。
それでも笑顔、と思われる表情を向けてくれる人。
時折見せるとても冷たい視線と、時折見せるとても熱の籠った視線。微かに見せるその感情に、その心に。私は報い、応える事ができるだろうか。
嫌いだと言っていた妹を失う事をこんなにも恐れた私から、自慢したくなる程愛おしいという妹から引き離してしまった貴女に。
できる事は少ないけれど。
「なら私は先にここから出されて、しばらくはミドリー一人になると思うの。その次、ミドリーがここから出された時……間違いなく近くに居るはず。だからその時、まず最初にこう言ってみて。」
そう。
私はアイ様に全てを捧げると誓った。
だから、ミドリー。
例え、貴女の姉で居られる時間が今この瞬間、これが最後だとしても…
悔いはない。
ああ。
なんだ、そうか。どこかで見たと思ったら、この懐かしさはあれだ。
この揺らぐ虹色は、神様の加護と同じ色だ。
小さい頃はミドリーと一緒に、よく眺めてたっけ。
あの光に良く似てる。