! 1章EX 浅黄深緑の空白時間(ラブタイム) 2
「…ちょっと、高い…」
「あ、えっと……どう?」
どうやら私の膝枕が思いのほか高かったらしい。
艶のある緑色の髪を下からすくい上げるように手を差し込む。ミドリーも頭を少しだけ浮かせてくれる。
今のうちに、少しはしたないけど……どうせ誰も見てない。足を崩して、もう一度ミドリーの頭を乗せる。今度の高さはどうか、と問うてみたつもりだったが、返事は貰えなかった。……文句を言わないって事は、問題がないって事なんだろう。
頭を持ち上げた際に髪に触れたさらさらとした手触りを、もう一度確かめるように頭を撫でる。
もしかしたら払いのけられるかと思ったが、ミドリーは目を閉じたままだった。
本当に、黙っていればこんなに可愛いのに。
……なのに、どれだけ生意気な事を言われたって、本当に嫌いにはなれなかった。
何も言われないのを良い事に、そのまま髪の上を滑る様に頭を撫で続ける。
だが、ミドリーの頭が乗せていた右足のふくらはぎが、潰れるような不快な痛みを伴っている事に気づく。
そんなに重くないはずなのに。
……?…いや、実際に私の足が痛みを警告する程の重みはある。なんで、「重くないはず」なんて、そんな風に思ったんだろう。
…ああ、そう言えば。私が最後にミドリーに触れたのは、もう何年も前だ。
ミドリーは、こんなに大きくなってたんだ。
背もあんなに小さかったのに………まだ小さいけど、どんどん私に近くなってきている。
言葉もたどたどしい所は無くなった。
余り良い使い方をする所はみないけど、弁が立つ。その点では多分、私よりも才能があるかもしれない。
さっき触れた肩幅だって、もう手を引いていたあの頃とは比べ物にならない程大きくなっていた。
私が離れていた間に、こんなにも大きくなっていたんだ。こんなにも育っていたんだ。
「ミドリー。もう一度頭を上げてくれる?」
無理やりにならないように、頭を上げてくれたら間に手を入れられるように両脇から支える。すると抵抗なく頭をあげてくれた。
足の位置はできるだけ変えずに、スカートを何度か折って丸めながら頭が乗る位置に置いた。後で見た目が良くない皺ができるかもなんて、今は気にならない。
準備ができたので、頭を支えていた手の力を緩める。ミドリーの頭が乗っても、もう足は痛くなかった。
そのままずっと、さらさらと流したり、頭の形を確かめるように髪を撫でる。撫でる度にその手から、幸せな気持ちが胸まで届いて満ちていく。
自分が今、なんでこんな幸せを貰えているのかわからない。
それが許される立場ではないのに。
そんな罪悪感さえ、溶かされていく。
機嫌が良いから出た鼻歌なのか、ミドリーのための子守唄なのか。気付けば歌いだしていた柔らかいメロディーだけを、ミドリーの全身の力が抜けるまで歌い続けた。
ふと気付く。
もう随分ここで過ごしている気がするけど、まだここに居て良いんだろうか。
何時までもあの方の好意に甘えていられない。……と言う気持ちは確かにあるのに、この時間を自分から終わらせると言う選択は心のどこにもなかった。
「ねえ、ミドリー。」
「…」
「そのままで良いから、聞いてくれる?」
「…」
眠ってるんだろうか?
寝息は聞こえないけれど。
起きてるかなんて確認したら、もしかしたら話すのが面倒になって逃げてしまうかもしれない。……でももし狸寝入りなら、こんなにわかりやすく手探りで近づこうとしている私に対して、それはそれで酷いじゃないか。
ならどうする?
…ああ、良い考えがある。
聞いてたら絶対に驚いて、疑って、聞き返したくなるような事を言えば良いんだ。
「貴方と聖櫃の外で別れてから私、勇者の、アイ様と色んな事を話したんだけどね。」
アイ。その名前を聞いた時、確かに体がビクリと動いた。起きている。
なら、絶対に驚くだろう。
「珠玉に入る前にとんでもない事を言って入っていったのよ。想像できる?きっと無理よ?だって本当に、とても信じられない事を言ったんだから。」
「…」
わずかに眉間に皺が寄る。
思わず噴出しそうになる。
考えてるんだろうな。きっとそう。
無理だと言われれば、負けず嫌いなこの子の事だ。
答えを考えずにはいられない。
負けず嫌いだけど、本当に負けるのが嫌いだから、負けるくらいなら…絶対に当てる自信がない時は、考えるだけでそのまま口にせずだんまりを決め込む。なんて小ずるいんだろう。だがそのずるさですら可愛く思えてくるんだから、私も本当にバカだな。
「私が、『召喚された時に見た神様の様子を教えて下さい』って冗談で言ったらね?『わかったよ、じゃあ私の妹の自慢話をしなきゃね』って、そう言ったの。……わけがわからないでしょう?」
「…」
眉間の皺がなくなる。
きっと、「そんな支離滅裂な事、そりゃ考えてもわかるわけない」と呆れているんだ。
ああ、おかしい。
これじゃまるでミドリーの顔と会話をしているみたい。おかしい。
だとすればこれは、なんて間抜けな会話なんだろう。
でも、これくらいで良かったのかもしれない。
何も交わす事ができなかった時間の長さを思えば、言葉が止まってしまいそうだ。
何も交わす事ができなかった時間に比べれば、これだけでも充分過ぎる程幸せだ。
「でもね、私がもう一度『妹じゃなくて、神様の話を聞かせてと言ったんですよ』って言ったらね、」
でも詰めが甘いわ、ミドリー。本当にわけがわからないのは、その先なのだ。
「『だから妹の話だよ。セステレス・ミリアンガーが私の妹の名前なの。皆、フルネームをちゃんと覚えてね。』って。」
もう起きている事を隠す様子もなく、目を見開いてこちらを見つめていた。
かなり怪訝な表情をされる。
「……馬鹿げてるって思うでしょう?意味が解らないでしょ?直接聞いた私だってそうだもん。私、あまりにも吃驚しちゃって、しばらく中に入れなかったんだから。」
「……」
口をぽっかりと開けていた。
最初は驚きはしたものの、…きっと私が冗談を言ってからかったように考えたんだろう。
だが違う。言葉を続けて具体的な話になって来たので、今度は私の正気か記憶を疑っているのかもしれない。単なる聞き間違いとか、「勇者のバカな冗談を真に受けた哀れな姉」、と言った所だろうか。
「信じられないでしょうね。でも、本当はアイ様、ミリアン様の失われた第三の名前も言ってたのよ。あの時は余りに驚いて、ちゃんと聞くのを忘れてしまったけれど…。でも、ミリアン様の姉を名乗る方が、自分の事を『アイ』って…神語で呼んだのよ?」
「…ぁ!」
「ね?」
必要最低限だった会話に、たった一言の驚きが返って来た。
それだけで、心が躍るように嬉しかった。