! 1章EX 浅黄深緑の空白時間(ラブタイム) 1
本稿は、第10・11眼、及び 1章EX 浅黄乙女の暗中模索 (タイトル前に!が表示されている話)を既読の方がより楽しめる内容となっております。あらかじめご注意下さい。
「ミドリー!」
「ヒ、ぁ…」
私よりも先にこの場所に居た妹は、私を見て酷く怯えていた。
尻餅をついたような姿勢のままゆっくりと後ずさりながら、言葉にならない声を出している
だが彼女が何かを言葉にする前に、そのまま勢いで飛びついた。
怯えられるような事はしていないはずだけど…
でもそう言えば、ついさっき死を垣間見る程の大怪我をして意識も虚ろだったのに、突然走る事ができるまでに回復した、……のよね?
その上大勢の人たちに囲まれて広間に居たはずが、気づけば突如見知らぬ場所にたった一人放り込まれていた、と考えれば…。
恐らくまだ混乱しているのだろう、ミドリーと同じ体験をすれば私だって間違いなく混乱しているはず。仕方ない。
ただ抱きついた後も体は強張ったまま、私ではなくそれよりもさらに後ろに目をやりながら、やはり困惑ではなく明らかに怯えている事がわかった。
私も振り向きそれを見て、ようやくミドリーが何に恐れを抱いていたかを理解する
見つめる先にあるのは薄く虹色に煌きたゆたう空気の波。
アイ様の、神のスキル。『アイテムボックス』だ。
「…」
怯える理由は、わかる。
ミドリーの両肩から血が流れ出した時、この身が震えた。
体中の血を一滴と残さず抜きとられたかのような寒さと痛みを感じた。恐怖と言う感情だけで、自分が死んでしまうのではないかとすら思った。
予め『アイテムボックス』を知っていた私でさえ。それは私に向けられた敵意ではないとわかっていたはずなのに、だ。
両腕が一瞬にして戻った時、この身が震えた。
私が生まれて今日まで積み重ねて立って来た常識と言う地面がふと消えてしまったような、そんな錯覚を覚えた。
予めアイ様について知っていた私でさえ。それは彼女が常識の枠で語れないような存在だと知っていたはずなのに、だ。
私は今、ミドリーとは違う意味で、ミドリーと同じ位に畏れを抱いている。
安心させてあげられるような言葉が、思いつかない…
ただ一緒にこわがってあげる事くらいしか、きっとできない。
自分が余計な事を言ったのが原因なのに。
何も言葉にできないから、代わりに強くただ強く抱きしめ続ける。
ミドリーが同じ位の力で抱きしめ返して来る。怖い物が目の前にある恐怖からだと解っていても、自分がその相手であれる事がこの上なく嬉しい。嬉しいと思う事はとても自分勝手だ。ただ自分勝手だとわかっていても、喜びの感情を、心を偽る事はできない。
自分勝手な自分を罰するのはこの時間が終わってからいくらでもできる。
今はただ自分の気持ちに正直で良い。ミドリーが少しでも安心できるように。
少しだけだと言われていた時間、あわよくばミドリーと話せればと思っていたのに、気がつけば言葉を交わせる様な状態ではない。
でも、このまま時間を全て使っても後悔はしない。
震える手足が、流れる涙が、荒い息が、そして怯える心が。少しずつでも落ち着いてくれているから。
『どうかこの子が少しでも安心できますように』
…後の思考は全て放棄した。
どれだけ時間が経ったかよくわからない。
ここは見渡す限りまばゆい真白で、光がどこにあるかもわからないのに真昼の外よりもずっとずっと明るい場所だ。輝くような白い壁に薄く煌く虹色がゆっくりと揺らめいていて、なのにどこか懐かしい光景にも思える。床も壁も余りに境目が見えず、揺らめきがあるのにそれがどこで揺らめいているのか把握できない。手を伸ばせばそこに壁があるかもしれないとも思うが、もしかしたら地平線が見えない程遠いのかもしれないとも思う。自分がそこに居て確かに見渡しているはずなのに、部屋の大きさすらわからないのだ。なんとも不思議な空間ではあるが、わからない怖さより包まれるような優しさが心を落ち着かせた。
だが日も無いし明るさも変わらず、変化と言えば幻想的に揺らめく虹の壁だけ。時間の感覚もよくわからなくなる。
本当にずっとこのままで良いとも思ったが、そうはならない。
「…くるし…」
「あ、ごめんなさい!」
ようやく先に動いたのはミドリーで、私の体にまわしていた腕の力を弱めたと思ったら、耳元から掠れた声が聞こえた。
慌てて体を離す。
座っていたのに少しふらついた上、まだ少し息が荒かった。
横に座りなおして肩に手を回す。
そんなにきつく抱きしめすぎていただろうかと悔いるような気持ちもあったが、少し様子を見てもなかなか治りそうにない。相変わらず辛そうなままだ。
…もしかして、疲れてる?
「ねえ、ミドリー…横にならない?」
「…」
余計な事かもしれないが、横になった方が楽ならそうしよう。
ここは椅子も何も無いから、それ以外なら地べたに座るか立つしかない。
ただ、平坦でしっかりした踏み応えのある地面に自分が寝る想像をした時、これは違うなと思った。
ミドリーから返事はまだない。
思い切って、少し体を離して自分の膝を叩く。
「おいで。」
膝枕。
いつの頃だったか、お互いに心を許す相手にするともっと仲良くなれる、なんて聞いた事がある。私はそんな相手は居ないのだけれど。ムースや兄様相手ならするのに抵抗はないが、あの二人はそういった事につきあってはくれないだろう。ミドリーだって、普段なら応じてくれるとは思わない。
ダメか、と思い始めた頃、ミドリーは体を動かして私の足に頭を乗せる。
受け入れてくれた?それとも、細かい事に構ってられないくらいに辛かった?
本心はわからない。
私はただ、ドサクサと混乱に乗じただけ。ミドリーに改めて好かれるような事を、私自身は何もしていない。きっと今この時が終われば、ミドリーの私への態度は元に戻るだろう。
それが嫌だと思うのは……やっぱり、この子が死ぬかもって時になってやっと、こんなに大切に思ってたんだって気づいたから、なんだろうな。
私はずるい。
あの時アイを、彼女を悪し様に攻めた癖に、私は……結果だけ見れば私の幸せばかりが増えているじゃないか。