第33眼 灼熱の業火で焼いて下さい! の1つ目
「なん、で…名前…」
あ、ヤバイ。これヤバイ奴だ。これ絶対なんか失敗した。
さっきまで怒りの表情展覧会を開催していたネコゼリー兼ネコマンマちゃんだが、その表情がゴソリと削げ落ちた。無表情と言って良い顔のはずなのに、いやさ、無表情ながらしっかりと私を捉えたその目こそ、目の前に居る私が命ある生き物である事を尊重するつもりがないとでも語っているようだ。目は口ほどにモノを言うという言葉は何度も実感した事はあるが、今こそが最も適した使い方だろう。「コイツ、コロス」みたいなモノローグが見えてきそうなくらいだ。
きっと、向けられ始めたそれの名は『敵意』とか、あるいは『殺意』とか呼ばれる類の物。
例えるなら、さっきまでの怒った表情は言わば、『クラスメイトに茶化された時の怒り』だ。
勢いで手が出てしまう事もあるかもしれないが、喉元過ぎればなんとやら。仲直り可能な範囲だろう。
だが今は違う。そこに携えられた怒りは、日常では殆ど見ないようなソレは。
言うなら親の仇に向ける目か。もしくは全財産をだまし取られた詐欺師を睨む顔か。
いいや違う。
『密かに敬愛していた人物の寵愛を、突然現れ横恋慕のように掻っ攫って行った女狐の事が、八つ裂きにしても足りないくらい憎くて憎くてたまらずに、いっそなら殺してやろうと刃物を持ち出してくる程こじらせた、思い込みの激しいストーカー気質の女学生の顔』が一番近いだろう。
こんな目をされるのは人生で一度目ではないが、殺意を伴う怒りを向けられて平静を保てるほど修羅場の中で生きてはいない。自分が実際に刃物を向けられた時より、今の方が焦っている気すらしてくる。
こんな時こそ冷静に、だ。
そう落ち着け、やればできる子砂原の子、食う寝る所に住む所、隣の客は金次第、地獄の柿も種次第。
ああああああああああああダメだ!!全然思考がまとまらないYO!!!!
「…お前…クーエンの、遣いか?」
私が色々考えている内にネコマンマゼリーちゃんの表情にも少しだけ余裕が生まれていた。
ただ、カウンターに両の手を乗せて上半身をこれでもかと前のめり。せっかく戻ったばかりの受付から、今まさに飛び出して来そうな体勢だ。
理由はわからないが、どうやら実力行使の一歩手前で踏みとどまってくれているらしい。まだ敵ではない可能性を探ってくれているのだろうか。
考えろ、考えるんだ砂原 愛!
目を閉じろ、思考を巡らせろ。
恐らくこの答えを間違えば、ハンターになるならないどころの話じゃなくなる。
攻撃系スキル持ちなわけじゃないし、命の危険を強く感じる相手というわけではないが、それでもSランクが付くステータス。そこへ更に、スキルで効果を後押しした未知の魔法……確実に大丈夫だね!とは断言できない。受けないで済むならそれに越した事はないだろう。
「クーエンの遣いか」と聞かれた。
素直に答えるなら勿論NOだ。クーエンなんて知らん。人か組織かもわからん。
彼女の名前と響きが近い事から察するに家族親族な可能性も高いかとは思うが、今必要な情報かわからないのでいったん保留。
回答の仕方は大きくわけで三つ。
1、素直にNOと答える。
2、嘘をついてYESと答える。
3、YESもNOも明言せずに誤魔化す。
3は選択肢として出しはしたものの、これだけ緊迫した質問の答えを適当にはぐらかそうとしたら、まあまず間違いなく敵認定されるだろう。「都合が悪いから答えないんだな」と。私だってそんな怪しい奴、分類を黒寄りのグレーから迷わず黒判定にした上で、断捨離並みの即決で切り捨てゴメンコースだ。
となれば残るは二択。つまり今大事なのは、『クーエンの遣いなら許される』のか、『クーエンの遣いなら敵とみなす』のかという所だ。
今回彼女の態度が一変したのは、ネコゼリーと言う名前を出した瞬間だった。
…先程保留にしたが、クーエンとやらが彼女の家族かどうかは重要な要素な気がして来た。
クーエルに対して、クーエン。余程の偶然でない限り、組織の名前なんて事はあり得ない。親兄弟の名前である可能性は高いだろう。
ネコゼリーの名前をあえて口にしなかった彼女。名乗りたくない、知られたくないと思っていた名前?……だとすれば、家出とか…まさかとは思うが、離婚して性が変わった元旦那、なんて可能性もあるのか?見た目に反して24らしいし、あり得る歳か。いや、一度でも結婚してたら口説かれた云々の時に言ってるからそれはなさそうだ。それに、未婚でもバツ1でも今はどっちでも良い。クーエンと言う名前が示すのが、家族である可能性が高いと判断できる。そういう状況こそが重要なんだ。…確信はないけど。
名前を出された途端に敵意を剥き出しにして、その人物の遣いかと聞いてきた。
名乗りたくなかった名前。言われただけで敵意を見せる程の名前。自分の名前、そしてその名を冠した家族。
ああ、なら、それらは十中八九、敵だろう。
さっきの質問。それは、「お前は敵の遣いか」と、そう問われていたんだろうね。
なら、答えは決まりだ。
ありのまま、正直に答えれば良いんだ。
「違うよ。クーエンの遣いじゃあ、ない。」
「……そうか、違うのか。…そうだな、あのお節介なら、こんな、回りくどい事はしねーか…」
どうやら
ファイナルアンサーを
間違えたらしい
「あのクソ共の遣いなら、誰のだろうが、どうでも良い…」
メギヂリ。
それは、巨木が倒れる時の嘶きのようだった。
ボァン。
それは、テレビ越しにしか見た事が無いフランベの音だった。
乗り越える為だなんて、とんでもない勘違いだ。
その手は真っ赤な炎に包まれていた。
カウンターの台は彼女の手が乗っていた部分から一瞬で燃え千切れ、木製台として作られた事を謝罪するように彼女に頭を下げた。
腰の高さの壁になってしまった元カウンターは、彼女の細足で足蹴にされるのを心待ちにしていたかのように、メキメキと喜びの声を上げなら倒れ出る。
私と、彼女の間にあった木製のカウンターは、数秒でただの通路になった。
「いくら貰った?さぞ小娘の相手にゃ見合わねぇだろう大金を摘まれたんだろ。それとも安い駄賃で遣わされたか…まあ気にすんな、どっちでも大差ねぇさ。生きて帰れないんだからよ。」
逆巻く炎とそこから生まれる風が室内を所狭しと走り回り、その中心である彼女の髪は、燃えずに暴れなびいていた。
そう、手が、燃えている。
彼女の手が、燃え盛っている。
大事な物を扱うようにゆっくりと差し出される手。
両手で握手を求めているように、私に向かって差し出された手。
「てめぇ、人間の灼ける匂い、嗅いだ事あるか」
手も、目も、口も。全ての敵意が私に向いた。