第0眼 寡黙女子の召喚前夜(サモンイブ)
初投稿作品です。
その内、設定を練った長編を書く予定なので、書き慣れる為に見切り発車できる作品を急遽作りました。
設定の矛盾等は極力無いように気をつけますが、気になった点があればご一報下さい。
本稿は番外編であり、読み飛ばしても本筋へはあまり影響が無い(予定)です。
「明日は?」
私は右目を閉じた。
仕事の帰り支度も概ね終わり、割り当てられたマイロッカーから肩下げカバンを取り出した自分に向けてかけられた声。
話しかけて来たのは同僚の一人。
今この付近には二人だけなので、声をかけられたのは自分。間違いない。
相手は異性ではない、勿論女だ。
私に仕事以外の事で声をかけてくる男などこの社内には居ない。
今まさに帰りますよ、と言うこのタイミングはわざとではあるだろうが、別に嫌がらせなどでもない。
ある日を境に上司から『仕事の効率がうんぬん』と席を離され、雑談などしようものならどんな叱責が飛んでくるかわからないからだ。
私に、ではない。
彼女に、だ。
私の目が余程苦手らしく、上司すら必要最低限しか話しかけてこない。
「お前も相当目つきが悪いのにな」とはもう何度言おうとしたかわからない。
言った事はないが。
場所は都内某社某ビルのロッカールーム。私が契約社員として勤めている会社の新しくも古くもないフロアの一室。
時間は夜9時半を少し過ぎ。何時間か前から事務所のすりガラス性の窓は、改めて目を向けなくてもわかる程、黒一色だった。
私に声をかけた女性…キン(本名は覚えていない)はスマホを利き手に、左手では帰り支度を平行して行っていた。
彼女は私を待っているわけではないし、私の返答を待っているわけでもない。
その程度は理解できる程、友人らしい関係だ。
友人『らしい』、と言うのは別にそれに即したと言う意味ではない、友人『のような何か曖昧なモノ』という言う意味だ。
明日は?という彼女の質問はあまりにも漠然としているが、意味は理解できた。
お互いの休日が同じな為、それは明日の休みについて『お前明日は何するの?』と言う質問だ。
じゃあこれは明日何処かへ出かけようと言うお誘いの前の事前確認なのか、もしくはただ単に自分の明日の予定を自慢するための前フリなのか……
………前言撤回。意味、理解できてなかった。
まあ前者でも後者でも、私は明日の予定を言えば会話は続くし、恐らく無視して帰った所で彼女は気にも留めない。
私と彼女の距離感や会話は、いつも大体こんな感じのゆるっとした締りのない物だった。
私は目を開けて答える。
「いつもと変わんないわ」
いつもと変わらない。それは、一日中、家で本を読むと言う意味。
そこには、『いつも通り本を読みたいから、遊びに誘われても動かないからね私』と言う牽制も含んでいた。
つまり、あるかどうかもわからない遊びの誘いに対して、NOと答えたつもりなのである。
またその更に裏には、『本とあんたなら普通はあんた優先する所だけど、わざわざいつもと同じく本を読むって宣言したのは、続きが気になるミステリーがあって、それをもう完結まで読んじゃいたいからって言う理由があるからであって、つまり私は今回に限って、断固として本を優先する』と言う、深い深い思惑が渦巻いている。
尚、YESの場合は「別にこれと言って…」となる。
予定が無い、だから誘っても良いよ。うぇるかむ。
うん、完璧。
回答までに随分時間が空いたが、気にしない。
それを気にせず会話ができる唯一の友人らしい人物と、私は話しているのだから。
「そ」
彼女はそれだけ言って、そのままスマホを弄り続けていた。
はてさて、私の長考は無駄で蛇足で無意味な物だったのだろうか?
それは誰にもわからない。
でも、別に肩透かしをくらったとか、そんな嫌な気分にはなっていないのだ。
それは私が好きなミステリー小説を読むのと、理由の根本は変わらない。
私は考えるのが、好きだから。
彼女は果たしてどのような意図であの質問をし、どこまで彼女に伝わったのだろう。
ほんの少しの時間、それ以外の返事が追加されないか待ってみた。
どうやら無さそうだ。
私はロッカーに向き直り、何か忘れた事が無いかを思い返す。そしてカバンを肩にかけ直す。今まさに帰りますよ、と言う仕草でもう一度。
今度は声はかからなかった。
私はビルを出た。
家に着くまでの移動もまた大分時間はかかるが、そんな事は気にならない程上機嫌だ。
部屋に入れば、きっとあの本の次のページを開いた先には、第二の殺人事件の惨状に眉をひそめた探偵役が、事件を紐解くきっかけを見つけ始めるはずなのだから。
あの死体と置物にはどんな手がかりが残っているのか、過去に読んだ事のある小説を思い返す。
状況は似ているのに、絶対に同じトリックはできない状態が既に出来上がっていた。
胸が高鳴る。
私は今きっと、あの本を世界で一番楽しんでいるに違いないのだ。
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翌日。
休日、昼下がり。
私の手は、紅茶によく合うお気に入りの安価な市販のパウンドケーキをたまに口に放り込んだりしながら、それよりなによりページを黙々とめくり続けていた。
さて、この流れ……いよいよ犯人の名前がわかる!
犯人は推理済み。一応、代案として第二候補まで考察してある。
もし犯人が予想通りの人物なら、そのまま読み進めて予想したトリックも間違いないか確認する作業へ。
逆に犯人が予想もしていなかった人物なら、トリック解明よりも先に、もう一度事件発生の最初から…場合によっては容疑者達との対面から読み直さなくてはいけない大掛かりな作業になる。
いや、まあ?それはそれで楽しいのだが。
ただそれでも、探偵役と同じ推理が既に頭にある、あの快感は比べ物にならない極上の愉悦なのだ。
正しくなくても楽しいし、正しくてもなお楽しい。
決して頭の回転が速い訳ではない私が、必死に紡いだ推理は果たして?
待て!注意しろ、私!
恐らくもう1ページ分、答えの0.0数ミリ前まで来ているのだ。
ページを開いても、決して目線は1行目から逸らしてはいけない。
もう犯人の名前がわかっても十分?いや、まだだ。妥協なんてできるはずもない。
犯人の名はぺージの前半に書いているかもしれないし、ページの後半まで引っ張ってあるかもしれない。
数行読み飛ばして犯人の名前が見えてしまうなんて痛恨のミスはできうる限り避けたい所。
『全力で悩んで答えを出す人生は、だいたい楽しい』は、たまにする父の口癖だった。
だが、そう。全力で考える時間はもう終わった。
だからもう、少しでも遅く。でも焦らし過ぎず。このドキドキは、少しでも長く。でも確実に前へ。
覚悟も、心の準備もできた。
さあ、ページをめくる時!
部屋の主、砂原 愛の姿は忽然と消えていた。
紅茶は既に冷めているが、横においてあるポットからは湯気が出ている。
犯人の名前が書かれたページが、小さくハラリと音をたてて捲れおちた。
続きを読む者は居ない。