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未確認動物

作者: 西田彩花

「1940年代に目撃されたという未確認動物とそっくりなものが目撃されたということで、北海道までやってきました。ただいま午前1時を回ったところです。目撃場所の山まで来ていますが、本当にいるのでしょうか…!?」

 なんとなくつけたテレビの向こうから退屈な音が流れてくる。最近話題になっているという検証型のバラエティ番組だ。

「その未確認動物というのは、頭が非常に大きく、茶色の毛で覆われたものだそうです。2メートル以上あるとされ、2足歩行だということも、証言から分かっています。目撃者が見たというのもちょうど同じ時間帯…あっ!ちょっとあれ!カメラこっち!」

 何かを発見したかのような言葉が発されると、スタジオの悲鳴のような声が聞こえ、CMに入った。


 転職活動を始めて2カ月が経とうとしていた。新卒で入った会社は、地元で大手といわれる企業だった。内定をもらったときは、思わず叫び声を上げたものだ。なんとなく生きてきて、ライフプランなんて考えていなかったけれど、この会社でなら良い人生が待っている、と確信した。私は意気揚々として母に内定の連絡をしたものだ。

 しかし、実際に働いてみるとしんどいことがたくさんあった。OB訪問のとき、営業職は人の笑顔を作れるやり甲斐のある職種だと聞いた。この会社の売り上げを作り、会社を成長させていることが実感できる職種だと聞いた。多少のしんどいことがあっても、お客様の「ありがとう」の一言で、また明日も頑張ろうって思えるんだと聞いた。営業職から管理職になれる人が多く、入社してからずっと会社の根幹部分を支えられるんだと聞いた。営業職に絞って就活をしていたわけではないが、大手の企業を支える仕事ができたらどんなに幸せだろう、と夢を抱いた。だけど、夢は所詮夢だった。

「あなたのような人材を、我々は求めていたんだ」

 当時私は社長から直々にこう言ってもらえた。だけど、実際は思うように結果が出ることはなかった。私は凄い企業から凄く求められているのだと思っていたけれど、結局足手まといになっているのを感じ、退職することにした。25歳の私は第二新卒といわれる年齢であり、好景気なのも相まって、転職活動に不安を覚えていなかった。新卒のときと同じように、卒なく就職先が決まると思っていたが、甘い考えだったのだ。失業手当がもらえる期間はあと少し。それまでに決まると思っていたのだけど。

 大手企業に勤めていて大した実績もなく辞めているのが痛手だった。前の会社でどういう実績があったか、なぜ辞めたのか、そういったことを聞かれると言葉に詰まってしまう。新卒での就活のときに持っていた根拠のない自信は、労働という行為によって消え去ってしまったようだ。


「出ました!ここからでもハッキリと見えます。カメラさん、映りますか?何か巨大な動物が、向こうで歩いています!」

 CMが終わったようで、また退屈な番組が再開された。相変わらずスタジオの悲鳴が聞こえていた。




「あれ?沙弓ちゃん?」

 声がする方を見ると、大学時代に同じ学科だった理華が立っていた。理華は相変わらず地味で、所帯染みた格好をしていた。地味なグループにいた理華は、何故か私に付きまとった。学科の中心グループに属していた私は、正直理華が疎ましかった。でも、理華をいじめているなんて噂を立てられたくなかったし、私は理華が喋ると相槌を打っていた。理華は私に好かれていると思っていたのだろうか。それとも好かれたいと思っていたのだろうか。

「久しぶりだね!元気してた?」

「うん、まぁ」

「沙弓ちゃんって南川に就職してたよね?しかも営業職!やっぱり沙弓ちゃんはすごいなぁ。どう、最近も頑張ってる?」

「ぼちぼちだよ」

 早くこの場を離れたかった。

「私さぁ、沙弓ちゃんみたいにデキる女!って感じじゃないでしょ?働くのが向いていないみたいで。もうね、専業主婦になることにしたんだぁ」

「え?」

 私は思わず聞き返してしまった。

「パッとしないOLだったのに、上司が気に入ってくれて。何回かデートに行ってたら好きになっちゃって。それから付き合ったんだけどね、すぐにプロポーズしてくれたの。お前は仕事をしているより俺の帰りを待ってくれている方が良いって。ロマンティックでしょお?だけど、子どもができちゃうともうてんてこ舞いだよ。専業主婦っていう仕事も大事な仕事なんだね。大変だけど、子どもの成長が何よりも嬉しいよ。でも、たまには息抜きしたいなぁって。今日は実家に子どもを預けて羽を伸ばしてるんだぁ。まっ、もうご飯の支度しなきゃなんだけどね」

 理華は、聞いてもいないのに自分語りをした。理華が私に伝えたかったものは何だろう。ぶつけたかったものは何だろう。

「あっ私、これから約束あるから」

 私はそう言って、理華から逃げるようにして去った。あんなに地味だった理華が、今でも地味な理華が、結婚して子どもを持って専業主婦になっているなんて。私は昔から綺麗だと言われてきたし、自分でも自信がある。でも、なかなか良い縁にはありつけない。子どもなんて愚か、結婚さえ夢物語のように思える。何で理華は結婚ができて私にはできないんだ。何で理華は幸せな家庭に入れて私には入れないんだ。私には、求めてくれる人以前に求めてくれる会社がない。なんだか私の価値を否定された気がした。なんだか理華に負けたような気がした。




 その日、家に帰ると全身の力が抜けたような気がした。明日はやっと二次面接まで漕ぎ着けた会社に行く。営業職で心を折られた私だけど、営業職でしか書類審査や面接は進まなかった。私はまた、違う会社で同じ過ちを繰り返すのだろうか。そんな不安はあったけど、なんとか就職しなければ、という思いがあった。私には、理華のように守ってくれる男がいない。

 ふと昨日のバラエティ番組で聞こえてきた悲鳴を思い出した。人は何故、未確認動物に悲鳴を上げるのか。何故、恐怖心を煽るような放送をするのか。未確認動物は、単に未確認なだけである。人間が地球上の動物全てを確認しなければならないという決まりでもあるのだろうか。人間が把握していない動物は恐怖の対象なのだろうか。昨日のテレビ番組で悲鳴を上げられていた動物と兎とでは何が違うのだろう。前者は人間が定義できておらず、後者は定義できているというだけの話ではなかろうか。確認済みで、なおかつ定義されている兎は「兎」という動物だ。だけど、未確認で定義されていない動物は、名前もないし確実な形容のしようがない。要するに、人間は未知が怖いのだ。人間が人間を万能だと慢心するが故に。

 そのとき、不意に理華の顔が浮かんだ。自分語りをする彼女の顔は、なんとも幸せそうに見えた。でも、理華は私の何を知っているのだろう。理華は私の金魚の糞みたいだったけど、私は理華に対して私の話をしなかった。理華は私のことを、何も知らない。理華にとって、私は「沙弓」という名前が付いているだけの未確認動物なのではないか。逆も然りで、私にとって理華も、「理華」という名前が付いているだけの未確認動物だ。私は理華のことを、何も知らない。




 その会社は聞いたこともない零細企業だった。一次面接のときには、営業の経験がありますということくらいしか話した記憶がない。二次面接では社長が1人、椅子に座っていた。

「へぇ、君、南川の営業してたの」

「はい」

「大手での営業、大変だったでしょう」

「大変ですが、やり甲斐のある仕事でした」

「そうかそうか、営業は好きなんだ?」

「はい。営業は人の笑顔を作れる仕事です。そして、会社と一緒に成長を実感できます。大変なことがあっても、お客様から『ありがとう』と言われるとまた頑張ろうって思えるんです。営業は、会社の根幹部分を支えられる職種だと思っています」

「素晴らしい」

 その社長は椅子から立ち上がって私の椅子の近くまで来た。

「君のような人材を、私は求めていたんだ」

 社長はそう言って、手を差し出した。私はその手を握り、「ありがとうございます」と言った。

「ぜひ、明日から来てくれないか」

「ありがとうございます」

 私は、もう一度頭を下げた。




 難航していた就活だけど、やっと内定がもらえた。だけど、堂々と胸を張って母に連絡できなかった。

 あの社長は私の何を知っているんだろう。私のことを「求めていた存在」だと言った根拠は何だろう。あの十数分の面接で、私の何を知ったのだろう。正直、私は就職さえできればどこでも良かったのだ。働き口が欲しかった。あんなにつらかった営業職でも良かった。私には守ってくれる男がいない。だから、守ってくれる会社を探したかったのだ。でも、私はその会社のこともよく知らないし、あの社長のこともよく知らない。確実なのはただ一つ、あの社長は「人間」だということだ。

 「人間」だと確認できて、「人間」の定義に当てはまって、「人間」と呼ばれる動物であること。それだけで、人間は安心する。未確認動物ではないから、彼を見て悲鳴を上げることはない。




 明日から入社だという実感が沸かず、近所の公園に行った。ベンチに座って空を眺めていると、飛行機が飛んできた。


―何故今私はあれを飛行機だと?


 私から見えるそれは、ピカピカと光る飛行物だ。人間が運転し、人間が乗車している飛行機だと確認したわけではない。仮にそれが本当に飛行機だとしても、私から見ると未確認飛行物体なのだ。そう思うと、確認済みだろうと未確認だろうとどうでも良くなってきた。未知のものに悲鳴を上げる人間は、神にでもなったのだろうか。未知のものは未知のものとして存在する、という認識を持てないのは何故だろう。未知が怖いから、人間は想像で補う。あの動きや光り方は「飛行機」だ、と。こういう発言をするから信用できた、「求めていた」と。私は未知を受け入れようと思った。零細企業で未知の会社。未知の社長と未知の社員。そこで働くことに希望なんて持てなかったけど、別に絶望もしなくて良いんだと思った。私は慢心しない。だって、悲鳴を上げられていた動物だって、あの飛行物だって、理華だって社長だって未知なんだから。そして、私にとって私自身も未知で、私の未来も未知なのだから。

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