03 兄弟
その翌日もまた、リードは1人で夕飯をとっていたのだが、皿の中身がすべてなくなったころ、ふっと誰かの気配を感じた。
「よっ、兄弟!」
と明るい声で言って、向かいに男が座った。
短い金髪。背は高くスマートな印象だが、骨格や筋肉は意外としっかりとしている。鍛えられた剣士の体型だ。気楽なようでいて、しかし隙のない仕草。なかなかの技量を持った剣士なのだろうとリードは推測した。
しかし、兄弟などと言われても記憶がない。
「申し訳ない。田舎で育ったもので、人の顔と名を覚えるのが苦手なようだ」
「ん? あー大丈夫。『はじめまして』だからオレたち」
「…………」
軽いノリの男は食事を終えているらしい。ということは、わざわざリードと話すためにやって来たのだろうか?
もしかしたら、誰か『被害者』の関係者なのかもしれない。……大丈夫だ、問題ない。土下座の準備はできている。相手が望むのなら指の1本くらい――
「オレはギルバート。ギルでいいぜ。ちなみにキューハチ」
「……198期生ですか」
ということは、リードより2年ほど先輩にあたる。
「自分はリード・バンセリア。205期生です」
「敬語はやめてくれよ、壁を感じちゃうぜ兄弟」
そちらはもう少し心の距離を開けてくれると助かるのだが、などと若干気圧されながらも、リードは曖昧にうなずいた。
「オレは17歳。歳もほとんど変わらないだろ? だから気楽に行こうぜ」
「なぜ『兄弟』などと?」
「おいおい、当たり前だろ!」
おおげさに肩を竦めてみせてから彼は、ぐっと身を乗り出してきた。
「……お前とつるめば、女子の裸が見放題ってわけだ。風のうわさに聞いてるぜ、変態剣士さんよ」
「…………」
「だから怖い顔すんなって。ちょーっとばかし、お前のおこぼれに預かれればなって思ってさ」
だらしなく笑うギル。
彼の背後から近づいてきた少女が、彼の後頭部をグーで殴った。けっこう強めに。
「いって! なんだ、ミーファか。そんでな……」
「無視すんな!」
もう一発、ばこんとやる。
眉を吊り上げて怒る彼女は、ショートカットに引き締まった体つきの、同じく剣士クラスの一員だろうと思われる同年代の女子だった。
「ギル! あんたまたロクでもないこと考えて」
「なんか外野がうるせーけど気にすんな。それよりも次の獲物の話だ。197(キューナナ)にとびっきりの巨乳がいてだな」
「――――!」
次の一撃をギルは笑いながらひょいと避けて話を続けようとするので、ミーファと呼ばれた少女のほうは、顔をまっ赤にして怒っている。
(なんだか変なやつらに絡まれた……)
と、リードは自身のことを棚に上げて嘆息した。
「…………」
しかしこのギルという男、本当はひとりきりでいた自分を見かねて話しかけてくれたのかもしれない。ひとりぼっちで悲しく夕飯をとる下級生を助けるつもりで、こんな、一見不真面目な会話を持ちかけてくれたのではないだろうか。
「205(ゼロゴー)も粒ぞろいだよな! ほら、あっちの子なんてさ」
……まあ、考えすぎかもしれないが。
そのとき。
結果、かなり騒がしくなってしまったテーブルの、その斜め向こうを、また別の女子学院生が歩いて通った。
長い銀髪の少女――
試験の日に、剣士クラスのブースを教えた少女だ。体つきはほっそりしているが、剣士特有の緊張感を身にまとっており、リードとは別の意味で近づきがたいオーラを発している。きらきらした銀髪。やや幼さを残すが凜とした横顔に、ぴんと伸びた背筋。彼女の周りだけ、空気が澄んでいるような錯覚すらあった。
リードの視線をさえぎるように、ギルのニヤついた顔が横入りしてきた。
「お、魔法剣士リードは彼女がタイプってわけ? さすがお目が高い。若干14歳の天才剣士、カグヤ・ルークベルト。たしかに、お前たち205(ゼロゴー)の中じゃ一番だろうな」
「それほどの使い手なのか?」
「あれはすごいぜ」
ギルの目が鋭く細められた。
「――脱いだらけっこう胸あるタイプだ」
「ギル!」
隣に座ったミーファの肘打ちを脇腹に浴びて、ギルは悶えて咳き込んだ。やっとのことで呼吸を整えると、
「……いやまぁ、剣もすごいらしいんだがな。お前ともいい勝負するんじゃねぇの?」
「俺と? いや、そもそも俺を知っているのか?」
「そりゃそうだろ、8回も受験して、そのたびに学院生をたたき伏せて来ただろ? お前への注目度って色んな意味で高いんだぜ」
「そうなのか」
「ああ。おまえが剣士クラスに入らなくて、安心してるヤツも多いらしいぜ。比べられちゃたまらねぇもんな。あっちのカグヤちゃんが天才なら、おまえは剣豪って感じかな。実感ないかもだけど、リード、おまえは魔法だけじゃなくて剣の腕でも一目置かれてるんだよ」
「…………」
「いつかお手合わせ願いたいもんだぜ。な、ミーファ」
「え、あ、うん。魔法ナシなら」
「お前の裸なんて誰も見たくねーよ」
またも始まったドタバタを生暖かく見守りつつ、リードは物思いにふける。
『剣士を目指せばいいのに』――
魔法の才能がないリードは、そんな言葉を何度も聞いてきた。
それは分かっている。だが、『剣士』には限界がある。魔獣や竜、悪魔など、神性を帯びた超常の存在に対抗するには魔法が必要なのだ。もっとも低位である魔獣ですら、剣だけでは殺しきれない。
『あの日』のように、誰かを守らなければならないとき、剣だけでは足りないのだ。
かといって、剣術を、剣士を軽く見ているわけでもない。剣の道が深く、険しいことも理解しているつもりだ。
5歳の頃に初めて剣を握ってから12年間――これは誇張でもなんでもなく――毎日、剣を振るい続けている。
師匠に教えを請い、風の剣士に導かれ、1日たりとも鍛錬を欠かしていない。己の身を鍛えあげ、精神を研ぎ澄ませ、剣と剣をぶつけ合う剣士としての高揚は、他の何にも代えがたい素晴らしい体験だと知っている。
剣士クラスの、それも先輩である彼らと剣を交え高め合うのは、きっととても楽しいことだろう。発見も多く、貴重な経験になるに違いない。
……だが。
自分は嘘をついてここにいる。不本意ではあるが、神族の手を借りて入学し、あまつさえ周囲に多大な迷惑をかけているのだ。
2人の剣士を前に、リードはそんな自分を恥じ入った。
「実は、俺の魔法は――」
告白しそうになったところで、2人には聞こえない声が耳元で囁いてきた。
「オイオイ、もう忘れたのか?」
悪神ロキはさも楽しそうに、
「オレ様のことをバラしたら一生そのままだゼ? クキキッ!」
「…………」
「リード、どうした?」
「いや、なんでもない……」
リードは小さく首を振った。