24 魔法剣士
慌ただしくロキが去ったあと、リードはがっくりとくずおれた。
「……あー、大丈夫かしら?」
ジュナスという神族にすら心配されるほどの落ち込みようである。しかし、拷問神ジュナスも、当初の方針を思い出したらしい。
「まあ、あの憎らしい馬鹿ロキにも一矢むくいたことだし……ふふ、そうね。景気づけに、あなたたち虫ケラを蹴散らして帰る、ってのも一興かしらね」
はっとしてリードは剣を構えた。
そうだ、なぜかカグヤとシャルロの絶命の呪いは解けたが、この神族が健在な限りは、まだ危機を脱したわけではないのだ。
立ちあがろうとするが――膝に力が入らない。さすがに無茶が祟っている。
「そうだわ、あなたにもコケにされちゃったわね、私。まだやる気はあるみたいだけど、もう遊んでもらえるなんて思わないことね? 八つ裂きにしてあげる。いや――」
いやらしい笑みを浮かべて、ジュナスは言う。
「あなたの場合、ほかの人間が苦しむほうが堪えるみたいね。……ふふ、ふふふ……!」
そのせせら笑いを前に、リードは、ふたたび捨て身の覚悟で剣を構えた。
そのとき、
「生き急ぐなよ――――そこの魔法剣士」
どこからか声がした。いつか聞いたことのある澄んだ声。ふわりと風が降り立つように、リードの隣に男が立った。
長身の男。風に流れる髪も長く、腰に佩く剣すら長い――【風の剣士】エインリッヒ・ルークベルトだ。
「久しいな少年。君はいつも満身創痍だ」
魔力のみなぎる神族を前にしているにも関わらず、そちらにはまったく構わずに、エインリッヒはリードに語りかける。
「何ヶ月ぶりかに寄ってみたら、顔見知りの堅物に捕まってね、こってり絞られたよ。いい加減落ち着け、だとさ。あれで僕より年下なんだよ? 頭はストレスのせいかな……もっと自由に、もっと気ままに生きるべきだ。君もそう思わないか?」
言われても、リードには話の筋がまったく見えてこない。あこがれの風の剣士と再会したというのに、何ひとつ気の利いた言葉が出てこなかった。
「ふぅん、私を無視するなんて、度胸のある人間よねぇ……?」
怒気のこもった声で言うジュナスに、エインリッヒはようやく振り向き、
「ああ……神族にはあまり興味がないんだ。どうでもいい」
「ど――」
「どちらでもいい。君が僕を殺すと言うなら殺し返す。去るなら追わない。どっちでもいい」
みるみるうちにジュナスの怒りが沸点を超えた。
「どいつも、こいつも…………!」
叫び、黒い瘴気をまき散らす。その瘴気の通った地面は黒く穢れ、その染みのようなところから魔獣が這い出てきた――
紫色の、凶暴な猿の魔獣だ。老婆のように腰が曲がっているが、体躯はエインリッヒよりもひと回り大きい。
1匹ではなかった。瘴気は祭壇を駆けおりて森へと広がり、あちこちでこの魔獣を召喚している。カグヤやシャルロのいるあの森へも――
「ああ、カグヤたちなら心配ない」
どこまでも穏やかな声でエインリッヒは言う。
「呪いを斬ったついでに近くにいた魔術師に声をかけておいた。万全の状態ならこんな魔獣にやられるタマじゃないだろう」
「呪いを、ですって? あなたが……? 結界は、結界はどうしたの?」
「ん、邪魔だったからね、少しだけ斬らせてもらった」
「嘘おっしゃい! 人間が、そんな簡単に――!」
ジュナスの言葉を待たずエインリッヒは孤月刀を抜いた。
それは、隣にいたリードすら知覚できないほど迅く――そして何より、とても自然な動きだった。すらりと刃が光ったかと思うと、次の瞬間には魔獣は胴を両断され、崩れ落ちていた。
「え――」
神族のジュナスすら驚愕で動けずにいる。
「お望みとあらば――」
エインリッヒはまるで剣舞の一節かのようなゆったりとした仕草で、孤月刀を横薙ぎに滑らせた。
彼を中心に、ぶわっと風が舞ったかと思うと、遠くの結界はあっけなく崩れた。薄いガラス細工が、もろく砕け散るように、ガラガラと。
「こういう感じで、どうかな?」
リードも、そしてジュナスも、茫然とその光景を眺めるしかできなかった。
■ ■ ■
リナリーの治療を受け、ようやく人心地ついたカグヤの目の前に、黒い霧が立ちこめた。
転瞬――現れた魔獣の群れ。紫色の皮膚の、裸の猿のような獣。
「これは……!」
全員が同時に危機を悟り、森の外へと逃走する。ピーピを先頭に、リナリーとアルデア、カグヤとシャルロも走り出す。
そこでカグヤは、赤髪の背中に向けて言った。
「ここは私が食い止めます――お仲間のところへ、早く」
アルデアたちが焦っているのは、決勝に参加しているもうひとチーム、ネーニャたちの安否を心配してのことだ。
「しかし、君を残していくなんて、それに剣だけでは――」
「だけじゃないよ。わたしも一蓮托生だよね、カグヤちゃん」
シャルロが言う。
「っていうか、もしかして1人でリードのところに駆けつけて、それでポイント稼ごうとか考えてる? ……やだ、わたし、間違ってカグヤちゃんの背中狙っちゃいそう」
「……怖いこと言わないでください。そんなわけないでしょう」
「本当に?」
「本当です。分かりましたシャルロお姉さん。援護をお願いします。――くれぐれも私と魔獣を間違わないように」
「大丈夫だよ、がんばろう! あっでも最近視力が落ちてきたから――ううん気にしないで! カグヤちゃんは前にだけ集中しててね! 後ろは気にしないで、絶対に!」
「…………」
一応シャルロを信用することにしてカグヤは、アルデアたちを先に行かせ、孤月刀を握りなおした。
《臆病者の鎧》――彼が、リードが綺麗だと言ってくれたスキルを発動させる。
木々のあいだをすり抜け、アルデアたちを追おうとしていた魔獣の、その背後へと素早く身を滑らせ、ばさりと斬りつける。魔獣の背が裂け、血しぶきが舞うが、魔法ではないただの斬撃など、たちどころにふさがってしまう。
――しかし、それがなんだと言うのだろう。
そんなものは諦める理由にはならない。大きな爪を振りかざす猿型の魔獣を、カグヤは何度も斬りつける。
再生、斬撃、再生、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃……
「お姉さん! 今です!」
カグヤの声に呼応して、シャルロの放った火球が魔獣の肉片を残らず焼いた。
1匹は始末した。
だが2人を囲む魔獣の数は増えている。
「――残り6匹ですか。まあ、足止めの成果としては喜ぶべきところなんでしょうね」
「だね」
シャルロはごく真面目な声になって、
「カグヤちゃん、時間を作ってくれるかな?」
「詠唱の時間ですね。承知しました」
魔獣6匹を相手に時間を稼ぐ――
言葉にすれば簡単だが、並大抵のことではない。それでもカグヤは電光石火の剣撃で、魔獣の注意を自身に向けて、シャルロを守る。
シャルロは、杖をかざして呪文を唱える――
「《たゆたうもの・えにし断つもの・黒きもの・爆ぜゆくもの・深きもの・異なるもの・選び取るもの・夜乱すもの――》」
それは8節の毒魔法。
「――《ゲ・ルクサード・ルルイ》!」
ぶわっ、と、藍色の濃い霧が舞う。カグヤは跳び、離れる。毒霧は、魔獣たちの大口にするすると侵入っていった。
魔獣たちは喉の奥の違和感にうろたえ、うなり声をあげる。そして猿のような魔獣の腹部が、一様に異常なほど膨れた。それも際限なく。まだ、まだ――
「わたしね、パン屋の看板娘なの」
と。
まわりの異様とは対照的な明るい声で、脈絡のないことをシャルロは言う。
「将来の旦那様の胃袋はね、しっかり掴むべきだと思うんだ。だから日々練習……リードったら、わたしのパンをいつも美味しい、美味しいって食べてくれるの。ねえ、聞いてる?」
魔獣たちはそれどころではない。口元から何やら黒い泡を吹き出し、目玉は今にも飛び出そうに剥かれている。
腹は、まだ膨れる――
「わたしって浮気には寛大なほうでしょ? でもね、本気になっちゃ駄目だと思うの。そういうのがもう、心配で心配で……」
びき、びき、という異音が魔獣の体から漏れている。
「もしそうなったら『2人』ともヤっちゃおうかなって思ってるの。《ゲ・ルクサード・ルルイ》――これはね、すっごく熱い毒魔法なの。熱いってあれだよ、流行ってるとかそういうのじゃないよ。熱いの――普通に。燃えるように熱い毒。灼熱って感じ」
魔獣の腹は、膨れる……。
「お腹の中で毒は育つ。熱くて黒いメラメラになって、お腹を食い破るの。ね? これならどれだけ皮膚が硬くっても、関係ないもんね」
にぱっと笑う。
どどん! 鈍い爆発音とともに、魔獣が内側から爆破された。皮や肉が飛び散り、残った部位も、骨も、じゅうじゅうと強い酸を浴びせられたように溶けていく。
魔獣を同時に6匹――再生さえ許さず、だ。
青い顔でカグヤは、
「――さっきは猫をかぶっていましたね? 8節の魔法、使えるじゃないですか。何が七節は難しい、ですか……」
「えー、そんなこと言ったけ? あはは、わたしってば馬鹿だから忘れちゃったなぁ」
……この人とは、そう遠くないうちに白黒つけなければ。
そんなふうに覚悟を新たにしたカグヤだった。
■ ■ ■
なおも奇跡は続いていた。
神族が――ジュナスがたじろいでいる。たった1人の魔法剣士のために。
拷問神ジュナスが創成した巨大なギロチンを、エインリッヒはまるでバターを切るように両断した。全方位から襲いかかってきたナイフなどは、居合い抜きの一閃で打ち落とした。
たった一振りの斬撃で、どうやって――
目で追うのは不可能だった。かろうじて、リードの《心眼》だけがその残滓を捉えたにすぎない。
エインリッヒはジュナスの攻撃をすべてしのぐと、納刀して、リードに肩をすくめてみせた。
「参考になったかな、君は魔法剣士志望なんだろう?」
「……俺の進む道が、長く険しいということは痛感しました」
「嫌気が差した?」
「まさか」
リードはふっと笑って、
「むしろ燃えてきました」
「それは良かった」
と、
「あ、あはははは……! に、人間にしてはやるじゃないの……!」
引きつった笑顔でジュナスが叫ぶ。
「エインリッヒ、だっけ? いいわ、次からはあなたで遊んであげる……! 気を抜かないことね。あなたが寝ているとき、食事のとき、いつ、何があなたを襲うか――ふふ、これから先、もうあなたに安息はないと知りなさい……!」
ぶわ、と翼を広げ、飛び立とうとする。
「待て」
リードは鋭く声をかけた。
「やめておけ。下手に動かないほうがいい」
「……は? なによ、ちょっとマシな人間が味方についたからって、あなたまで調子に乗ってるの? いいこと、あなたの命なんてね――」
「貴様のために言っている。今動けば……それこそ、命はないぞジュナス」
「な……! 人間ごときが、私に命令するんじゃないわ!」
ジュナスは空を飛んだ。
だがその翼が上空に引きあげたのは、彼女の上半身、腹から上の部分だけだった。
「え……?」
「居合い――先の剣撃で、貴様はすでに斬られていたんだ」
リードは畏怖のこもった眼でエインリッヒを見、それからジュナスの切断面を見た。
「こ、このくらいの傷……! 私は神族よ!? かすり傷だわ!!」
そうはいかない。
エインリッヒの魔法剣はそんな甘いものではない。
明確に視えたのではない。リードは知っていたのだ。彼の剣を。その魔法剣に斬られるという意味を。
彼が斬ったその傷痕は『風化』し、ぼろぼろと崩れ去る。その切断面から、上半身も、下半身も。
ジュナスの体は『風化』に侵食されていく――。
それがエインリッヒの魔法。
「え、あ……いやぁ! なによこれ! なんなのよ……!? ひいいいっ」
絶叫をあげ、ジュナスはその体を失った。あとに残った消し炭も、さらさらと風に流されて空に消える。
「想いは風化する――」
唐突にエインリッヒは言った。
結界の崩れた空からは、学院の魔術師たちが飛びまわり、魔獣退治に向かっていた。騒がしいアナウンスの声。あちこちで放たれる魔法。晴れていく瘴気。
ひときわ強い風が、祭壇の2人に吹いた。
「君が、どこにたどり着きたいのか――それは君が決めろ。けれど、どんなに強固な意志もいつかは風に消える。脆いんだ、人間は。それでも君は、抗い続けられるかい?」
「無論です」
「本当に?」
「剣が折れても。腕がちぎれても」
「いつまで?」
「この身が果てるまで」
言うと、エインリッヒはほのかに笑って、そしてまるで風のように去っていった。
■ ■ ■
エピローグ
「ねえリード、そろそろ教えてくれないかなぁ」
右腕に絡みついたシャルロが、甘ったるい声で言う。
「そうですね、私も興味があります。……少しだけ」
左腕ではカグヤが。
歩きづらくて仕方がない。
だが、女性へのプレゼントなど買ったことのないリードには、2人のアドバイスが必要だった。
期末演習が終わってしばらく経った休日――。
リードたちは3人で街へと繰りだしていた。迷惑をかけた人たちへ、せめてものお詫びをしようと、贈り物を見繕うためにこうして商店を巡っているのだった。
あの事件の一部始終は別会場ですべて目撃されていた。
リードの『一人芝居』はもちろん――ジュナスのことも。彼女が真の姿を現したところで、ロキではない彼女自身の姿をさらしたときには隠身の魔法は解けていたらしかった。
また、乱入したロキや、エインリッヒのことも同様だ。
神族の介入――
学院史上でも類を見ないこの大事件に、まだ世間は揺れていた。先ほどから、街ゆく人の視線も痛い。
去り際にエインリッヒが、指導教官に事のあらましを説明してくれたおかげでリードは厳罰から逃れられたが、しかしあれでリードの名は、その評判は、学院の外にまで知られることになった。
変態剣士という汚名だけでなく、嵐のトラブルメーカーだとか、神族と寝た男だとか、お子さまパンツのマイスター……とかとか。
おおむねろくな評判ではなかったが、一方で、同期生を蹂躙し、神族とも渡り合った彼の勇名もまた、多くの人に知られた。街を歩くとそういう好奇や畏怖の視線が突き刺さるのだ。敏感肌のカグヤの気持ちが痛いほど分かった。
ただ、それよりも一番の問題は、ロキとの熱い別れのシーンである。
本人たちにとっては自己保身以外のなにものでもなかったのだが、他人はそうは見てくれない。
「ねぇってば、ロキって女の子、なんだったの? すっごく仲が良かったらしいけど?」
「まさか、リードさんが夜な夜なそんな……え、えっちなことを…………」
「お子さまが好きなの? そうなの? 胸の大きな女の子は対象外なの? 変態なの?」
「そんな手で次の朝、私の肌に触れていたのですね……背徳感がお好きなのですか?」
「ねえってばリード!」
「リードさん!」
はあ、とため息をついたリードの背後でふと、気配がした。
クキキキキッ……!
びくりとして立ち止まり、振り返ったが、そこには往来の賑やかさがあるだけで、聞き飽きた笑い声の主は見当たらなかった。
だが、いつかあいつは帰ってくるだろう。
そんな気がしてならない。
リードは小さく苦笑して、また歩き出した。
(終)