23 永劫の別れ
遅くなった……。
急な来客に手を焼いていたスキンヘッドの指導教官は、早足で演習会場へと向かっていた。
彼はまだ会場の異変について知らずにいる――それは神族による壮大なイタズラのせいだった。
結界の異変は遠くからは察知されないように偽装されていたし、彼を呼びに行ったスタッフが道に迷っているのもまた、神族のいやがらせのためである。
……そして彼のほうの仕事もなかなか骨の折れるものだった。
それはもう、すごく。
急ぐ彼の視界の隅に、小さな倉庫があった。
進む足を止めてそちらに近寄る――そこから、妙な魔力を感じたせいだ。それに、その扉に向かって点々と赤いものが続いているのだ。
血液かと疑ったが、しかしよく見ると赤い果実の、そのカケラのようだった。
(……いや、ジャムか?)
倉庫の前で剣を抜き、魔力を込める。
魔法剣――結界を断つ斬撃でスキンヘッドの指導教官は扉を一閃する。
すると、倉庫の暗闇から小さくて黒い影が飛び出してきた――ような気がした。
それから、
「ちくしょうあのアマ! 絶対許さねェ! こんな、暗くて、狭くて……ムギーーー!」
という幻聴も。
眉をひそめて中を見てみると、倉庫の床に、なぜか食べかけのストロベリータルトがひと切れ、埃にまみれて転がっていた。
■ ■ ■
戸惑う悪神へ向け、リードはなおも剣を振るう。
猶予はない。
今自分にできるのは、2人を救うためにこの『偽物のロキ』を斬ることだけだった。
折れた刃は届かない。スキルによる真空の刃も、魔法の風も。だがやめるわけにはいかない――自分には、これしかないのだから。
先に痺れを切らしたのは向こうだった。
それも最悪の形で。
「……いいゼ、そんなに殺してぇならやってやるヨ……見やがれ、小娘どもの最期を!」
やめろと叫ぶより先に、彼女は祭壇の中央に森の中の光景を投影した。
そこに映ったのは呪いを行使された無残な2人の姿――
ではなく、汗をかき、やや衰弱しているものの、身を起こして無事な様子のカグヤとシャルロだった。
「……な!? ま、まさかアイツが? いや、そんな気配は……」
動揺する神族の少女を傍目に、リードは安堵のため息を漏らす。
無論、まだ安心していい状況ではない。
やつの気まぐれひとつでまた窮地に陥るかもしれない――とはいえこの相手、ロキに似て下手に出れば寛大さを見せてくれるどころか、むしろ調子に乗る性質のようだ。
今は、2人から注意を逸らすのが先決だ。リードはそう判断した。
「貴様は詰めが甘い――俺の前でボロを出しすぎたな」
「なんだと……? オレ様はオレ様だ! 悪神ロキ様だ!」
「スキルに気づかなかっただけではない。貴様は、初めからミスを犯していた」
リードは偽物の悪神をにらみつけ、続ける。
「貴様は、俺の諦めの悪さを『最低』だと評した。『最悪』だとも。あいつは……ロキは、その点だけは俺を認めてくれていた。あの悪神は、俺の悪あがきを『最高』だと言ったんだ」
「…………んなもん!」
牙を剥くロキの足元で、激しい上昇気流が起こる。リードが発動させた《シルフィードの魔眼》だ。
「はっ、なんだこの程度!」
竜巻は、彼女の防御魔法によって防がれる。ワンピースの裾がぶわっとめくれ上がったが、それだけだ。服も、身も裂けない。
しかし。
「『それ』は貴様の魔法だ――《シルフィードの魔眼》は、そもそも貴様には発動しないんじゃなかったのか? 穴だらけだ。詰めが甘すぎるぞ偽物め」
「…………っ!」
「そして決定的なのは――それだ!」
リードは彼女の傷口を指す。
手のひらにつけたかすり傷ではない。肩や腰の、ワンピースの破れた部分から除く、彼女の下着を――だ。
「紫のレースだと? ふん、あのガリガリ悪魔は、そんな大人びた下着は着用しない! やつは……ストロベリー柄の、お子さまパンツしか履かないんだ!!!!」
「なっ、ナンダッテ――!!」
ずがしゃーん! 2人のあいだで謎の稲妻が轟いた!
……ような気がした。
「そ、そんなわけねぇダロ! テメェがオレ様のなにを知って――」
「すべてだ」
リードは静かに首を振る。
「人と神とはいえ、突きつめれば男と女……三ヶ月も同居して、何もないわけがないだろう? ある夜から俺たちは肌を重ねあった。以来毎晩あいつを脱がせた。俺の腕の中でロキはよく囁いていたものだ。『ストロベリーじゃなきゃ、お尻になじまないんだもん』とな!」
「き、キサマら、そんな関係に……!」
リードはふっと鼻で笑う。
「――『ら』か。語るに落ちたな、偽物の神族よ」
「ぐっ!? き、キサマ…………!!」
悔しさに歯噛みしていたその少女は、やがて観念したのか、おどろおどろしい煙幕とともに真の姿を見せた。
額から伸びる二本の角。
紫色の肌。
眼は左右を合わせて四つ――この神族も女性らしい。
「頭のおかしな人間め……、あんな馬鹿娘の、どこがそんなにいいって言うのよ……」
「そんなわけないだろう。誰があんなお子さまを――」
言いかけたときだった。
はるか彼方の上空から、黒い影が猛スピードで迫ってきた。
「――――テメェエエエエエ! こんの変態剣士がぁーーーーーー!!!!」
人型ロキの、とてつもなくダイナミックな跳び蹴りがリードの側頭部にヒットした。
少年だか少女だか分からない感じの彼女は、ひらりと着地すると肩で息をしながら、
「テメェもだジュナス! 拷問神ジュナス!!」
びしりと指さした。
「あんな罠に、このオレ様がかかるとでも思ったカ!?」
「……かかったじゃない盛大に。すんごく簡単に。私のほうが驚いたわよ。まさかと思ったわよ。あんた何なの? スズメより馬鹿なの?」
「ぬっ、ぐっ――」
言い詰まってロキは、倒れるリードの脇腹を、このっ、このっと踏みつけた。照れ隠しか八つ当たりか、どちらにしてもいい迷惑だった。
蹴りをしのぎつつ、体を起こしてリードは気づいた。
「……ロキ、その姿は」
「はぁ!? なんだよ!」
「その姿には隠身の魔法は使わない、と言っていたよな……」
「あったりまえダロ! このオレ様の、真の美し~い姿のときには、あんな無粋な魔法は使わねぇ! それがオレ様のプライドだ! 何度も言わせんナ!」
言い放つロキに、リードは顔を引きつらせる。
「……つまり、今は、ほかの者にも見えているのか?」
「はぁ!? 何を――………………え?」
ばさっ、ばさっと、頭上では怪鳥が舞っている。
「おい……」
「し、しまっったぁあああああああア――!!」
頭を抱えて叫ぶロキの直上はるか高く、天から光が降り注ぐ。
結界を音もなくすり抜け、神々しい光がスポットライトのように悪神ロキを照らした。
「待て、待てよ絶対神……! いや絶対神ラデュース様! オレ様が悪かったごめんなさい!」
なりふり構わず懇願するロキを、しかし神の光は無慈悲に連行する。
ふわふわと空へ引き上げられていく彼女を見て――誰よりもリードが慌てた。
彼女は強制連行されようとしている。そう、リードの身に風魔法の呪いを残したまま。
「待てロキ! おまえに行かれては……! 俺はどうすればいいんだ、行くなロキ!」
伸ばした互いの指は、触れあうことはなかった。
そうして――
散々リードを困らせた悪神ロキは、天に召されたのである。