22 祭壇の悪魔
ちょっと長めです
その異変は、別会場で演習の様子を見守る観客たちにも届いていた。
「おい、あれヤバイんじゃねーの……?」
リードたちの様子を映すスクリーンを見て、ギルはつぶやいた。
シャルロとカグヤが倒れ、リードが2人のリタイアを申請したが、すぐさま駆けつけるはずの魔術師たちが、いつになっても現れない。
そうしているうち、別のスクリーンにも異変があった。結界を、内側から見あげるような形で映している画面だ。
半透明の結界が、ちか、ちかと紫色に明滅した。
かと思うと、見たこともない文字の羅列が、ぞぞぞぞぞ――と結界の表面に這ったのだ。
そこに至って、尋常な事態ではないということをほとんどの観客が気づいたらしい。動揺が満員の客席に、波のように広がっていく。
ギルは元のスクリーンに目を戻す。
「……なにやってんだよ、リード」
彼もまた、原因不明の熱に浮かされたのかもしれない。
画面の中でリードは、何もない中空に向かって必死に叫んでいた――。
■ ■ ■
「どういうことだロキ!」
小型の悪神は、いつものように笑って、
「だからよォ、呪いだってば、呪い。オマエがちんたらしてるから、ちょっと面白くしてやろーと思ってナ。その小娘どもに呪いをかけてみた」
「呪いだと!?」
「ああ……こーいう呪いだぜ」
にいっと笑うと、ロキは短い指で、木にとまる怪鳥を指した。
ぼうっと怪鳥の体が光り、びくん、びくんと震える。
「ギ、ぐギギギギギッギィイ――」
奇声とともに、怪鳥の体が歪む。
羽根はあらぬ方向に、まるで見えない手で力尽くに折られるかのように曲がり、関節のきしむ嫌な音がした。首はうしろに折りたたまれ、ねじれた胴体からは折れた骨が飛び出し、赤い血が飛び散る。
ぼぎん、と何か決定的な音がして――
ボロ布のようになった怪鳥は、地面に落ちて動かなくなった。
「ま、抵抗力のないヤツなら、すぐにこうなる。そこの小娘どもも、そうだなぁ……この砂時計が落ちる頃には同じ運命をたどるゼ」
どこからか取りだした砂時計では、すでに五分の一ほどの時間が経過していた。
「ふざけるな! 今すぐその呪いを解け!」
「いやだと言ったら?」
「力尽くでもだ!」
リードは剣を薙ぎ、真空の刃を放つ。
しかしロキは避けようともせずそれを手のひらで受ける。
「無駄無駄。そいつがオマエの限界だヨ、リード。オレ様を殺したきゃ魔法を使うしかねぇぜ――おっと、オマエは魔法使えないんだっけか、クキキキキッ!」
「……何が目的だ」
「はぁ? そんなもん決まってるダロ? 脱がせろ。この会場にいる女全部ダ。安心しろよ、結界もあの鳥公も、オレ様がぜんぶ頂いた。邪魔は入らねェ」
「貴様、結界を破ってきたのか」
「あんなもん破るまでもねぇさ。この超絶かわいいオレ様には――」
宙でぐるんと一回転すると、ボブカットの少女に変わった。
黒いワンピース姿で、背中には黒い翼。
「人間の結界なんて無いのと同じだヨ。でもまあ人間どもが汗水垂らしてつくったもんだからな、せっかくなんで再利用させてもらったぜ――上書きして、ちょいと強化してやったから、人間たちがこの結界を解くには……ま、2日はかかるだろうな。つまり小娘がボロ雑巾になって干からびた頃には」
言い終わる前にリードの斬撃が飛ぶ。
だが、やはり傷ひとつ付けられない。
「何度も言わせんなって。無理無理。は、オマエの諦めの悪さは本当にサイテーだな」
「……貴様」
「そうにらむなヨ。オマエがちゃんと楽しませてくれれば、この呪いは解いてやる。結界もダ。約束するよ――そうだな、オレ様はあの祭壇で待つとしよう」
悪魔はニヤリと笑う。
「オマエは制限時間内に、この中にいる女を全部脱がせろ――リタイアしたやつも、まだ活きのいいやつも。邪魔するやつは片っぱしから倒せ。もちろん余計なことはしゃべるんじゃねぇゼ? 手加減もナシだ。もしオレ様との約束を破れば……分かってるだろう?」
リードは地に落ちた鳥の残骸を見て、それからまたロキをにらんだ。
「――承知した。貴様の望みを叶えてやろう。しかし約束は果たせ。男に二言はないな?」
「いやだからオレ様は女だっつーの。ぶっ殺すゾ」
リードはもうロキのほうを見ていなかった。
剣を手に、もと来た道を駆け戻る。
その背中に、悪神ロキの笑い声を浴びながら――。
■ ■ ■
結界の外を目指してネーニャとメイのうしろを歩いていたクリスタが、いち早くその気配に気づいた。
森の中から何かが来る。
殺気を、圧迫感を隠そうともせず、ただ一直線にこちらへと。
剣を抜き、2人をかばって振り向いた。
そしてクリスタは、森から飛び出てきたものを見定めて、眉をひそめる。
「リード様!?」
すでに決着はついている。
彼が、敗残兵たるクリスタたちを追ってくる理由などない。
しかもあんな、嵐のような闘気をまといながら――
ごう、と風が吹く。
その直前、彼の両眼が怪しい光を発したのをクリスタは見ていた。足元に風の渦が生まれ、クリスタの体を引き裂いていく――いや、服を。
魔法による風の刃は、鎧の継ぎ目を切断し、その下の衣服までもずたずたにする。
背後のネーニャたちにも同様だった。
「きゃああ!?」
メイとネーニャの悲鳴。
空には、あの怪鳥がこちらを映すために滞空していた。
クリスタは胸元を隠しながら、もう一方の手で剣を構えリードに叫ぶ。
「……これは如何なる所業ですか!?」
リードは答えない。
クリスタの前方、剣の間合いより遠いところで直立の姿勢をとり、冷たい意志の宿る眼でこちらを見据えていた。
「わたくしたちは敗北を認めました。……敗者に対するこのような仕打ち、リード様はけっしてなさらないと、わたくしはそう信じておりましたが」
「買いかぶりだ」
リードは静かに首を振る。
「これが俺の本性だ。それに……」
ネーニャの服はほとんどはぎ取られていたが、メイのほうはまだ半分ほど残っている。
「彼女の裸も晒す。そうでなくてはならない。剣をおろせクリスタ、さもなくば――」
「さもなくば、なんですか!」
クリスタは両手で剣を握った。
その豊かな胸があらわになるのも気に留めず、剣士の意地をつらぬき徹す。
「わたくしの剣は守護の剣! 守ると決めたものを守り抜くための剣です。あなたは、わたくしの誇りを――友人を辱めました! 故に退けません!……いつものお戯れならば許しましょう。ですが――ここは戦場! 正々堂々の戦いを終えた以上、敗者には敗者の、勝者には勝者の振る舞いがあって然るべきです! これ以上蛮行を重ねるおつもりであれば――わたくしは、あなたを斬ります!」
「そうか」
どっしりと冷たい声でリードは言う。
「ならば――押し通る!」
怒濤の突進。
逆袈裟に振り上げてくるその剣を受け止め、次の一撃も刃で受ける。
「っ!」
重い。リードの剣は、迅さだけでなく強靱さも兼ね備えていた。手がしびれる。衝撃で骨まで震える。
万全の姿勢で受けたクリスタだったが、たった二合の打ちあいで構えを崩されてしまった。
「《風切》――!」
至近距離で放たれた風魔法が、クリスタの腰元に残っていた下着を無慈悲にはぎ取った。
手にした剣はリードに弾かれ、文字どおりの丸裸にされる。
しかし彼はもうこちらには目もくれず、ネーニャの発動させた魔法の蔦を切り刻み、メイのことも脱がせて、また森の中へと駆けていってしまった。
「……リード様」
驚きと悔しさの涙がクリスタの頬を濡らした。
■ ■ ■
「ちょっとギル、リードってば何してるの!?」
「……オレに聞くなよ」
観戦会場は大わらわだった。スクリーンはリードの悪行をあらゆる角度で映している。
『え、えっと……これは……』
実況の少女も、この状況を伝えるべきかオロオロしているが、教官たちには、彼女をフォローするゆとりなどないようだった。
誰かが怒鳴り散らす声。
駄目です、投影装置が我々のコントロールから離れて……などと技師がうろたる。
観客の大部分は戸惑っているが、一部は、大写しにされる少女たちの痴態を前に指笛を吹いたりしていた。普段のギルはあちら側の人間だが、さすがに今はそんな気分にはなれない。
仮にこの場が収まったとしても、このままではリードは、間違いなく学院を追放されてしまう――。
■ ■ ■
リードは止まらない。
まだ生き残っているチームに襲いかかり、男は剣でたたき伏せ、女は魔法で裸に剥く。
リードの姿を見て、リタイアしていると両手を振ってアピールする者もいたが、問答無用で斬り捨てた――なるべく怪我はさせないようにと加減しているつもりだが、彼らの安否を確認する暇などなかった。
時間がない。こうしているあいだにも、呪いの刻限は迫っている。
……倒すべきチームはあとひとつ。彼らは、祭壇のふもとでリードのことを待っていた。会場に響く実況の声から、今起こっている惨状について把握したのだろう。
「待っていたよ、リード」
そこへたどり着いたとき、赤髪の魔法剣士は、ゆっくりとこちらを振り向いて言った。
森が開けた、わずかな広場。
祭壇のある塔を背にしてアルデア・オットーは、切っ先をこちらに向けた。
「決闘の前に、何か言っておくことは?」
「…………」
「随分とレディたちを乱暴に扱っているみたいだね。極力、女性に対して魔法を使わないんじゃなかったかな? 宗旨替えかい?」
「…………」
「無言、か」
薄く笑うアルデアの顔には、ささやかな失望の色があった。
「リー君……」
神妙な面持ちのピーピが前に出て、
「メイたちを、無理矢理脱がせたってほんとう?」
「……ああ。事実だ」
「もう降参してたのに?」
ピーピの悲しげな目を見るのは、身を引き裂かれるようにつらかった。
できることなら、「仕方のないことだったのだ」と、大声で告白してしまいたかった。
だが、彼女たちまで巻き込むわけにはいかない。彼女たちには、あくまで『被害者』でいてもらわなければならない。
「やっぱりそういう人だったのよ!」
リナリーが、杖を握りしめてうなる。
「だから言ったでしょアルデア。あんな変態……早くやっちゃおう!」
しかしアルデアは、
「2人は、下がっていてくれるかな」
静かな口調でそう制した。
「リードとは、僕が決着をつけるよ」
「そんな、私だって――!」
リナリーが叫びかけたとき。
リードは《シルフィードの魔眼》を発動させた。
無詠唱の魔法。リナリーとピーピは、なすすべもなく、躱すいとまもなく風の渦に呑み込まれる。
その不意打ちに、さすがのアルデアも血相を変えた。
「リード……、君という人は!」
「無駄な問答はやめよう。どの道、俺はその2人を脱がせるつもりだった。お前を倒すのと、多少順序が入れ替わっただけ――ただ、それだけのことだ」
リードの言葉に、アルデアは激昂したような素振りを見せたが、一旦剣を収め、背にした騎士風のマントと上着とを脱ぎ去ると、それぞれ、うずくまるリナリーとピーピの肩にかけた。
アルデアは、すっかり落ち着きを取り戻して、
「リード。君の実力は尊敬に値する。これは、その力に酔っての行為なのかもしれないね……まあ、気持ちは分かるよ」
リナリーとピーピは、戸惑いのまなざしで彼のことを見あげていた。
「強者が弱者を虐げる……そんなの当たり前のことさ。自然の摂理と言ってもいい。でもね、リード。リード・バンセリア――弱者は、強者に抗うために剣をとり、魔法を使うんだ。これは強きに対する、弱き者の牙だ」
すらりと剣を抜き、まっすぐにこちらを見た。
「それは小さくとも鋭い牙――そうでなくてはならない。けっして『逆』であってはならないんだ。僕は――だから、この剣と魔法で君に抗おう! たとえ牙が届かなくとも、敵わなくとも戦おう! それが僕のプライドだ!」
「…………」
リードは無言で応じた。
彼に返す言葉などなかった――
あろうはずもなかった。
腰を深く沈め、次の瞬間にはアルデアに向けて殺到していた。
《遊撃流星群(ヒューギス)》を発動させる時間は与えない。あの厄介な魔法を相手取っている時間などないのだ。
2人の刃が火花を散らした。
リードの打ち込みはアルデアを圧倒する。
その背後で、胸元を隠しながらリナリーが詠唱を始めるが、
「やめろ! これは僕とリードの決闘だ」
アルデアが一喝する。額には玉の汗。たった数度の剣戟であっても、リードの猛攻をしのぐのに、相当の気力と体力を労していることが容易にうかがえた。
「……もう諦めろアルデア。剣では俺には敵わない」
「知ってるさ、そんなことは!」
上段に構え、アルデアは体ごとぶつかって来るような一撃を放った。素直な太刀筋。いや、素直すぎるほどの剣撃――。
躱すのは簡単だったが、リードはその気迫に思わず剣で受けた。アルデアはなおも押し込んでくる。体が密着するほどの至近距離。
単純な力比べをしようというのだろうか?
それこそ彼に勝ち目などない。膂力の点では、どう考えても敵いようもないというのに。
(……リード)
「!?」
彼は小声で囁いた。口元はほとんど動いていない。
(何か事情があるんだね?……いや、答えなくていい)
アルデアは一度剣をすりあげて離れ、距離を取る。
ふたたび突進してきて、
(君の目がそう言っている。いつもに増して君は苦しそうだしね。ただ――)
今度はリードがアルデアを弾き飛ばした。そして、『全力に見える』突撃でアルデアに接近する。
重なる刃の向こうで、アルデアは言う。
(祭壇に用事があるのかい? 分かるさ、君は嘘をつくのが下手だからね。……でも、今この時だけは僕のために戦ってくれ。僕にもプライドがある。レディたちをあんなふうにされて、ただ黙って通すわけにはいかない)
彼は見栄で言っているのではないと、リードは直観的にそう理解していた。
アルデアは、チームメイトや観客の前でいい格好をしたいわけではないのだ。
たとえリードに事情があったとして、ここでただ剣を退いては、彼の中の何かが崩れてしまう。二度と元通りにならない何かが。クリスタだって、そうだったに違いない。
(一撃だ。僕は次の一撃に持てる限りのすべてを込める。打ち破ったのなら君の勝ち。そうでなければ僕の勝ちだ)
互いに距離を取った。
「往生際が悪い……!」
リードは腰だめに剣を構え、吐き捨てるように言った。
「お前のことはずっと気に入らなかったんだ。……この際だ、再起できないほどに心を折ってやろう!」
最大級の一撃を放つために息を整える。
が、それは、アルデアに詠唱の時間を与えるための行為でもあった。
《遊撃流星群》が発動する――
すると8つの光球は刃に吸い込まれ、より密度の高い光を放ちだした。
「『魔法剣』か――!」
アルデアが中段に構えると、剣の軌道に沿ってオーロラのような歪みが生じた――凝縮された光が、まるで重さすら持ったような光が、ぐにゃりと空間をねじ曲げている。
魔法剣――
剣撃に魔法の威力を上乗せする、魔法剣士の代名詞と言える奥義。
リードは、アルデアのそれを見るのは初めてだった。 彼自身、人前で使ったことはないのかもしれない。
未完の魔法剣。しかしリグスハインの学院生といえども、これほど見事な魔法剣を自在に扱える者はわずかだろう。
息の詰まるような重苦しい対峙。
だが、勝負は一瞬だった。
「いくぞ! リード・バンセリア!」
「来い、アルデア・オットー!」
互いの影が交差し、まばゆい光とともに激しい金属音が響き渡った。
■ ■ ■
屋根のない剥き出しの祭壇で待ち構えていたロキは、リードの姿を見てにやりと笑った。
「スカっとしただろ? 周りを気にせず暴れまわるってのは、気持ちいいもんだからナ」
「否定はしない……だが」
折られた剣を右手に、リードは力なくつぶやく。刃を折られこそしたものの、紙一重のところで彼はアルデアを下していた。だが、表情は冴えなかった。
空では例の怪鳥が集まっている。今、別会場では、リードの『独り言』が映し出されているのだ。
リードがこちらを見て、手にした砂時計をあごで示す。
「時間どおり、そして要求どおりだ。呪いと結界を解け」
「クキキキキッ、いやはや、まさか本当にやっちまうとはナ。さすがは変態剣士サマ」
「早くしろ!」
中ごろから折れた剣を両手で構えるリードに、ロキは、
「……気が変わった、って言ったら?」
「貴様を斬る――」
「そのご立派な剣で? そういうのを悪あがきって言うんだ。愚行とも言うがナ……」
「愚かで何が悪い。醜くて何が可笑しい」
「最悪だっつってんだよ。見苦しくて仕方ねぇ! 人間は人間らしく――地べたを這い回ってやがれ!」
ロキが牙を剥く――
重力魔法がリードに襲いかかり、彼の全身にすさまじい重みが加わった。
「ぐっ……!?」
祭壇の床に剣を突き、リードはかろうじて体を支える。
「魔法も使えねぇクズ剣士が、このオレ様を斬るだって? 傑作だナ!」
「もう一度訊くぞ……」
苦悶に顔を歪ませながらも、リードは屹然として言う。
「2人を解放するつもりはないのか?」
「あー、あるっちゃああるけど、ないと言えばない、かな! クキキキキッ!」
「分かった。もういい」
リードは剣を構える。
「――――《斬空・万迅風牙》!」
真空の斬撃が迫る――
が、ロキはかざした手のひらで、雑草でも払うかのような気軽さでその一撃をかき消した。
「それが人間の限界だぜリード。そんで……オマエの限界だ」
「あ、ああああああ――!!」
絶叫とともに何度も剣を振るう。真空の刃が乱れ飛ぶ。
「クキキッ! 無駄無駄ぁ!」
笑いながら、ちらと手元の砂時計を見る。リードが思いのほか早くたどり着いたために、まだ砂は落ちきっていない。
つまらない。
そうだ、呪いを早めて、その様子をここで映し出してやろう。
絶望で歪むこの剣士の顔は、きっと見物に違いない――彼女がそう思ったときだった。
右の手のひらに、ぴりっとした痛みが走った。
神族である彼女の、その肌に――
「なっ!?」
髪の毛ほどの細い切り傷。
あり得ないことだ。
人の業で神の肌を裂くことなど――。
その証拠に、次の一撃は事もなく凌いだ。
だが、さらに放たれた風の刃は、彼女の肩口と腰元を引き裂く。その傷は浅く、黒地のワンピースを切っただけで、肌にまでは達していない。
偶然か?
いや、しかし――。
まだ神格の低い妖精族や、魔獣のたぐいなら、人の剣でも傷つけられることはある。非常に困難というだけで、人の業が徹らないということではない。
だが、神族を斬ることはできない。
それができるのは唯一……
「まさか――魔法? 魔法剣だと!?」
はっとして剣士を見る。
無言の斬撃。
今度は魔法を防ぐための結界を展開してみる。すると、たしかに攻撃魔法が衝突したときの感触があった。
あの変態剣士が、魔法を……?
それ自体には不思議はなかった。
絶望的に才能はないだろうが、魔力がないわけではない。知識もある。簡単な魔法なら、それも、呪いの効果が発揮されないこのふたりきりの状況であれば――魔法を使うことはできるかもしれない。
威力も大したものではない。恐らくは単節の魔法だ。服は切れても、ダメージなど一切ない。
しかし問題は――その発動に気づけないことだ。
まず、動作が速すぎる。
半身になって剣を構え、神族の眼をもってしても捉えられないほどの速度で斬撃を繰りだす。その手元で魔法を発動させているのかどうか判別がつかない。
「何を驚いている……スキルと魔法。二種類の斬撃を使い分けている。ただそれだけだ」
「んなことは分かってんだヨ!! テメェ、詠唱はどうした……!」
魔法とは、人が神に近づくために拓いた魔道であり――詠唱とは、一時的に神性を、魔性を帯びるために必要な『儀式』である。
たとえ威力の低い単節の魔法であっても、魔眼や魔法陣などの特殊な装置なくして、その詠唱を省略することはできない。
……だというのになぜ?
ただひたすらに剣を振るう目の前の人間が、急に何か得体の知れない存在になったような気がする。
「て、テメエっ――!」
ロキは右手を振る。リードは魔力の波に打たれて祭壇の縁まで転がっていった。
しかし彼は、むくりと立ちあがり、ふたたび剣を構える。
「な、何を考えてやがる! 無駄なことを」
「簡単だ――」
リードはこちらを見据え、
「俺に呪いは消せない。ほかの魔術師たちにも、神族の呪いを解く術などないだろう――故に貴様を斬る。貴様を斬って、力尽くで呪いを解かせる。それに……貴様を滅ぼせば、呪いも消失するかもしれない。俺はその可能性に賭けている」
「あ、頭おかしいんじゃねぇのカ!?」
「おかしいのは貴様だ。俺は然るべき手順を踏んでいるだけだ。それに貴様……魔法かスキルか、この程度のからくりにも気づかないのか? 俺は詠唱しているぞ。単節の魔法《風切》を――この《無音声(ウィスパーサウンド)》でな!」
特殊な発声法により音に指向性を持たせ、特定の相手、方向にのみ声を届けるスキル。
その存在を――彼女は知らなかった。
リードは言う。
「やはりそうか――この偽物め」